今回のテーマは、写真評論家、飯沢耕太郎が考える「写真家」になるためのヒントである。このコラムを通じ、来たるべき写真家像を明確にしていきたい。 (文中敬称略)

角の煙草屋までの旅

よく学生や初心者から「被写体が見つからない」とか、「いいテーマがない」とかいう話を聞くけど、僕はその気持ちがわからないんだよね。撮影する被写体なんていくらでもあるんだ。「角の煙草屋までの旅」というのは最初誰が言い始めたか知らないけど、須田一政がシリーズのタイトルに使っている。須田は「風姿花伝」のような旅の写真もあるけれど、基本は身の回りの日常の世界をテーマに撮り続けている写真家だ。

須田は1980年に『カメラ毎日』で「門の煙草屋までの旅」というタイトルで連載をする。その連載のなかで、約300メートルほど離れた煙草屋までの道のりでも、ひとつの旅になると言っている。日常を旅にするという感覚は大切だよ。300メートルほどの短い道でも、見方を変えればいろいろな発見がある。同じ道でも、季節や天候が変わると、花が咲いたり、商店街の飾り付けが変わったり、光の見え方や空気感も変わってくる。東京のような大都会は特に被写体の宝庫。常に新鮮な感動を持ち続けることが、写真家の基本的な心構えだね。じっくりものを観察すれば、被写体がないなんて絶対に言えないはずだ。

カメラはスポーツだ

浅井愼平に、『カメラはスポーツだ フットワークの写真術』(1977年/主婦と生活社)という名著がある。これはぜひ復刊してほしい、すごくよくできた実践的な写真論なんだ。浅井は高校時代からバスケットをやっていて、基本的にスポーツ選手の精神を持っている人だと思う。バスケットやサッカーは、野球と違ってゲーム中に攻防が常に入れ替わるスポーツ。自分のゴールを守ったと思ったら、次の瞬間には相手のゴールへ攻めに行く。試合中は常に走りっぱなしの状態になる。ボールをもらった瞬間、そのボールをどう扱うかを一瞬で判断しなくてはいけない。写真家も、被写体が目の前に現れたときに、構図やどう撮るかを瞬時に判断しなくてはいけないから、スポーツに通じるところがある。スポーツも写真も、運動神経、反射神経が要求される。だから「カメラはスポーツだ」という浅井の言葉は的を射ているね。

写真の運動神経や反射神経を鍛える方法は、前回も話したけど、まず撮りまくるしかない。撮って場数を踏むことによって、運動神経や反射神経が少しずつ備わってくる。もちろん恵まれた体格や才能も必要かもしれないけど、むしろ小さな選手などはそのハンディを武器にしてしまう。身長160センチくらいしかないバルセロナのメッシ(編集部注:リオネル・アンドレス・メッシ。アルゼンチン代表のサッカー選手)なんかはそうだよね。身長の低さをスピードで補って大きなディフェンスを翻弄してしまう。ストリートスナップを撮る写真家が撮影している姿を見ると、スポーツ選手に近い身のこなしで撮影している。パッと撮って、パッといなくなる。逃げ足の早さがすごいし、被写体を見つける眼もいい。それと集中力も大事だね。

浅井愼平 『カメラはスポーツだ フットワークの写真術』 1977年 主婦と生活社
語り調で書かれた写真実践論。撮影技法から暗室ワーク、写真家の心得など、浅井氏や、交流のある著名人などの実体験を収録

浅井の撮影現場の話を聞いていると、とても面白い。たとえば1981年にパルコの広告ポスターで、ロックンロールの創始者、チャック・ベリーを撮影したときの話。来日したチャック・ベリーがスタジオに来たときに開口一番、「写真は何枚撮影するんだ?」と聞いたらしい。それで「8枚必要だから3ロール(1ロール36枚)撮る予定だ」と答えたら、「それならシャッターを切るのは15枚だけ」と言われてしまった。過酷な条件だけど、浅井はその状況に逆に燃えた。浅井がシャッターを切るたび「One」、「Two」……とチャック・ベリーがカウントして、15枚撮りおわったら本当に帰ってしまった。枚数が限られる状況での撮影にはすごい集中力が必要だよ。チャック・ベリーの動きと、シャッターを押すタイミングがシンクロしないとうまくいかない。そうやって、すごく集中して撮ったパルコの広告は、その年の東京アートディレクターズクラブ賞の大賞を受賞している。このチャック・ベリーの撮影のときに、浅井は相手の動きの先を読むことを考えていたというんだ。状況を予測することは写真にとってすごく大切なこと。ポートレートだけじゃなく、報道写真やネイチャーフォトなど、すべてのジャンルに通じている。この先読み能力もスポーツ選手と共通した資質だね。

足を使って体を鍛えろ!

良い写真を撮るためにはフットワークが必要になってくる。そのためにはいつも体を鍛えていなくてはならない。70-80代でもバリバリ現役で作品を作り続けている写真家は多い。きっと歩いている量が半端じゃないし、重い機材を常に持ってるから体力もあるんだろう。腰や肩を痛める人も多いけど、足を使うことで下半身が鍛えられているから、歳をとって行動力が衰えてないんじゃないかと思う。彼らの旺盛な制作意力を見ていると、「こんなものを見てみたい」、「こんな人に出会ってみたい」という好奇心と、それを実現するための行動力がいかに大切かということがよくわかる。

僕は時々、自宅に学生を呼んで本の整理を手伝ってもらうことがある。まあ体力仕事だよね。写真家は体力勝負だから、それがどれくらいあるかを見るのは当たり前なんだけど、実は僕はそこで彼らの行動力や思考力も見ている。手伝いに来ても、指示を待っている生徒はダメだね。仕事が効率よく進む段取りを、あらかじめ自分で判断して、指示される前に行動しないといけない。考えて、正しく体を使うには、多くのことを経験したほうがいい。経験値が増えることで、正しく体を動かせるようになる。何度もいうけど、行動力と経験値で、写真家の資質は変わってくるんだ。残念だけど、学生の様子を見ていると男の子はほとんどダメ(笑)。気が利かないやつが多過ぎる。唯一、ちゃんと動いていたのは韓国から来た留学生だけだった。これはちょっとまずいんじゃないかな。

テーマを絞れ、視野を広げろ!

1つのテーマに絞って、じっくり撮影し続けることは大事だよ。最近の学生のポートフォリオを見ると、1ページ1ページにドラマを作ろうとしていて、ページをめくるとぜんぜん違うものが見えてくる。「起承転結」というような当たり前の連続性より、非連続性で表現したいという傾向があるみたいだ。でも非連続性な写真の構成には、相当高度な能力が必要。散漫な構成意識で作られたポートフォリオは、なにを表現したいのか見えにくい。撮ってくる写真も、日常生活の似たような光景ばかりで、ちっとも意外性がない。

しかもテーマが見えにくいから、何を撮りたかったか聞いても答えられない人が多いんだ。僕は、自分の作品を自分の言葉で説明できないような人には、「もっとテーマを絞り込んでみろ」と言っている。テーマを絞り込むことで、自分で撮りたい被写体についてきちんと認識できるし、相手にも伝わりやすくなる。日常写真でも「角の煙草屋までの旅」を徹底してやれば、自ずとテーマは絞られてくるはずだ。写真家として活動するときも、「なんでも撮れます」と売り込むより、「このジャンルなら誰にも負けません」とアピールしたほうが印象は強くなる。テーマが絞られていると、作品を見せられる側も、写真家を特徴づけやすくなるんだ。表舞台に立つためには自分のトレードマークを持っていた方がいい。テーマを広げるのはデビューした後でいいんだ。

荒木経惟 『天才になる!』 1997年 講談社現代新書
飯沢耕太郎が対談相手となり、荒木経惟の写真論。東京下町生まれの幼少から、破天荒な電通の修業時代、「天才アラーキー」になるまでのエピソードがまとめられている

ところでいい作家は、デビュー作がすべてだと言っても過言ではないね。デビュー作には、作家のあらゆる萌芽が含まれている。荒木経惟の実質的なデビュー作である『センチメンタルな旅』(1971年 自費出版)が良い例だ。荒木はデビュー前の電通時代に、月に1冊のペースで手作りの『ゼロックス写真帖』を作っていた。それらのエッセンスを絞りこんだものが『センチメンタルな旅』の世界観なんだ。『センチメンタルな旅』を見ると、エロスとタナトスを自在に取り込んでいく「荒木世界」が完全にできあがっているのがわかる。まさにその後の荒木の作品の原点になっているんだ。

突き詰めて考えると、「これだけは言いたい」ということはそんなに多くないはずだよ。だから、自分が表現したいことを絞り込んでいけば、テーマは自ずと決まってくる。でもテーマを絞るためには視野を広げなくてはいけない。視野を広げないと自分にとって本当に表現したいものがわからないからね。いろいろ経験を積んで視野を広げつつ、テーマも絞り込むという作業を、同時に並行してやっていかなければならないんだ。

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)、『きのこ文学大全』(平凡社新書)、『戦後民主主義と少女漫画』(PHP新書)など著書多数。写真分野のみならず、キノコ分野など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)