「女の子写真」の代表的な写真家として、HIROMIX、長島有里恵、蜷川実花の3人の名前が挙げられるだろう。彼女達は、2000年度の第26回木村伊兵衛写真賞を同時受賞し、マスコミでも大きな話題になった。今回は、この3人の女性写真家を取り上げ、具体的に「女の子写真」の表現について解説しよう。

「女の子写真」の代表的な女性写真家

1993年に写真を含む現代美術の公募展「URBANART #2」に、長島有里枝は「セルフポートレート」のシリーズを出品するんだ。審査員の1人だった荒木経惟の強力な推薦もあって、次点にあたるパルコ賞を受賞した。彼女の作品は、スキンヘッドの長島が自宅で父親、母親、弟と一緒に写っている家族ヌードという衝撃的なものだった。家族ヌードという衝撃的なデビューをした有島有里枝は、『YURIE NAGASHIMA』(1995年 風雅書房)、『empty white room』(1995年 リトルモア)の2冊の写真集を立て続けに刊行して、一躍マスコミの注目を集めていく。だけど、環境の急激な変化と、"若い女の子のセルフヌード"という側面だけを強調するマスメディアの扱い方は、若い彼女にかなりの負担だったらしい。友人の反応など周りの環境も変わりつつあって、とても大変だったと思う。長島は1996年から1999年にかけてアメリカに渡り、写真学校で学び直すという選択肢を取る。日本の状況から離れるという緊急避難は、結果的にはうまくいき、一時帰国したときに『家族』(1998年 光琳社出版)と、帰国後にそれまでの写真をまとめた『PASTIME PARADISE』(2000年 マドラ出版)を刊行した。さらに結婚や出産を重ね、年下の夫を撮影した『not six』(2004年 スイッチパブリッシング)を発表する。これらの作品を見ると、10代の時の苛立たしい感情の爆発などの写真から、静かで安らぎの感情が見える写真になっている。彼女は、新しいステップを進み始めていて、今後の活動もとても楽しみだ。

1995年に当時18歳だったHIROMIXは、高校時代に撮影したサービス版のスナップをカラーコピーして綴じ合わせた手作り写真集『SEVENTEEN GIRL DAYS』で写真新世紀のグランプリを受賞するんだ。本名・利川裕美という東京・高円寺出身の彼女が、HIROMIXと名乗ってデビューした時、彼女の周りは魔法のように変化していった。デビュー写真集の『girls blue』(1996年 ロッキング・オン)を今見ると、コンパクトカメラ ビッグミニ1台を武器に、ブームという荒波に立ち向かっていこうとしている彼女の不安と恍惚とが痛々しいほど伝わってくる。その後、音楽雑誌やファッション雑誌を中心に活動の幅を広げるとともに、バンドを組んで音楽デビューをするなどマスメディアの露出度が高くなり、カルト的な人気を博するようになる。しかし、急激に人気が出たことと、HIROMIXというキャラクターのブランド化の成立は諸刃の剣だった。「女の子写真」は、もともと若さや可愛らしさを消費しようとする企業の文化戦略に乗りやすい側面があって、その典型的な形で消費されてしまったのがHIROMIXだと思うね。2000年の木村伊兵衛写真賞受賞後も彼女は活動を続けるけど、逆に写真家としての存在感は希薄になってしまった。女の子写真のブームが去るとHIROMIXの魔法は解けてしまったけど、ゆったりとした制作のペースを取り戻して、もう一度ちがう形でチャーミングな魔法をかけてほしいと思う。

長島有里枝 『YURIE NAGASHIMA』 1995年 風雅書房

HIROMIX 『HIROMIX』 ※英語版 1995年 Steidl

「女の子写真」から次のステージに表現を拡張した蜷川実花

「女の子写真」という商品化による危機を自分自身で消化して乗り越え、仕事の領域を拡大していったのが蜷川実花だね。1996年にひとつぼ展と写真新世紀をダブル受賞してデビューした彼女も、セルフヌードを撮ったりして自分の身近な環境を撮影することを武器にしていた。しかし、90年代後半からセルフポートレートを封印して、木村伊兵衛賞受賞作の『Pink Rose Suite』(2001年 エディシオン・トレヴィル)のように、軽やかな旅のイメージを中心に発表するようになる。それと同時に、彼女のトレードマークである鮮やかな極彩色の色の効果が強調されるようになってくる。覚えている人は少ないと思うけど、デビュー時の蜷川はモノクロ写真で作品を作っていたんだよ。

蜷川実花は、女の子写真の自分を閉じこめた狭い世界から、外の開かれた世界へと自分を発信していこうという強い意志が感じられる。蜷川は2000年以降、活動の幅をものすごく広げて、写真集を次々と刊行し、2007年には映画『さくらん』で映画監督も務めた。2008年のオペラシティーの回顧展「蜷川実花展 -地上の花、天上の色-」を見ると、デビュー当時の作品から、仕事のポートレート、リアルな旅の写真、内面の感情的な写真である新シリーズの「ノワール」まで展示されていて、作品の質も上がり、仕事の幅もどんどん拡大していることがわかる。あれだけやりたいことをやり切ってもらえると見ていて気持ちがいいね。「蜷川実花展」は、2009年4月からは全国4カ所での巡回が決定した。ぜひ彼女のエネルギーを全身で浴びてほしいね。

蜷川実花は、今まで演出家の蜷川幸雄の娘ということや、セルフポートレートのヌードなど、彼女自身のキャラクターに興味を持たれることが多かった。そういう意味で、写真の世界ではプロカメラマンや専門家からの評価は低かったらしいけれど、「蜷川実花展 -地上の花、天上の色-」を見ていると、玄人筋をも魅了するパワーを持ち始めている。ポスト篠山、ポスト荒木の一番手に躍り出たと言いきってもいいと思ったね。実際、同展は入場者数が6万5千人以上を記録して、オペラシティ始まって以来の来場者数記録を作っている。

女の子写真の武器であるセルフポートレートやセルフヌードは、自分をアピールできるし、メディアにも露出しやすい手段だった。蜷川がブームに消費されなかったのは、セルフポートレートを途中から全く発表しなくなったことが大きい。セルフポートレートには、自分の存在をナルシスティックに見ていく快楽があるけど、逆に社会に浸食されることで、自分自身が不安感で自滅してしまう危険性もある。蜷川にはポジティブに社会のプレッシャーを跳ねのける強さがあったけど、ときには長島有里恵のように、ブームから緊急避難することも必要だろうね。

90年代に女性が一斉に写真を撮り始めたということは、今考えてもすごく大きな出来事だった。あの当時、なぜ「女の子の写真」がブームになったかと考えると、"自分たちでも撮れる・表現できる"という勇気を普通の女の子たちに与えたことが大きかったと思う。つまり彼女たちは、普通の女の子たちが抱いていた思いや感情を表現し、それにみんなが共感してブームになっていったんだ。苦節何10年でカメラマンになったような人達は、彼女たちの写真を下手くそで、技術力もなく、誰でも撮れると批判的に見ていたけど、エネルギーが湧き出していれば、テクニックは関係なかったということだね。何度もいうけど、彼女たちが現れてきたことで、後の写真界に与えたインパクトはすごく大きかったんだ。

蜷川実花 オペラシティ『17 9 '97』 1998年 メタローグ

写真における「男性原理」と「女性原理」

90年代の女の子写真を一過性のブームとして見て、若い女性の写真家が社会に消費されてしまったと捉えると、大事なものを見落としてしまう可能性がある。少なくとも、戦後写真史において初めて開花した「女性原理」を前面に押し出した写真のムーブメントだった。写真における男性原理と女性原理については、宮迫千鶴が『《女性原理》と写真』(国文社、1984年)で詳しく述べている。その中で、中平卓馬、藤原新也、島尾伸三、潮田登久子らの写真を論じることで、宮迫は写真の「女性原理」を見出そうとしている。実際に「女の子写真」が登場してくる10年以上も前の本だけど、僕は90年代以降の女の子の写真家を予言しているような気がするんだ。

写真における「男性原理」と「女性原理」について、簡単にまとめてみようか。「男性原理」の写真の場合、写真家は自分とは違うものと被写体を見ていて、それらを異化・分類している。どちらかといえば否定的な見方をしていることが多いようだ。反対に「女性原理」の写真は、被写体を自分と同化し、受け入れて、肯定的に見ている。被写体との距離や遠近感について見ると、「男性原理」的な写真は、大判カメラで距離を置いてしっかり撮っているものが典型的だね。「見る」という視覚的な原理に純粋に特化している。たとえば、畠山直哉とか柴田敏雄の風景写真は典型的な「男性原理」の写真だね。「女性原理」の写真は小型カメラのスナップショットがほとんどで、被写体との距離が近く、クローズアップが多かったりする。まるでレンズで被写体に触れるような感じで触覚的だ。

作品の見え方の面では、「男性原理」の写真は構図がしっかり決まっていて動かしようがない。決定性があり、精密に描写されている。「女の子写真」ブームと同時期に出てきた野口里佳の撮り方は、むしろ「男性原理」的だね。「女性原理」の写真は揺らいでいたり、アレたりブレたりボケていたりする。中平卓馬や森山大道が参加した『プロヴォーク』の写真は、見かけ以上に女性的な写真だといえる。制作態度では、「男性原理」の写真はコンセプトがきちんとしていて厳密なのに対し、「女性原理」の写真は、感覚のひらめきや、偶然性のあるスナップショットが多くなる。写真家の感情について見ると、「男性原理」的な写真にはペニシズム(悲観主義)やニヒリズム(虚無主義)、不安感が現れていることが多い。反対に「女性原理的」な写真には幸福感、融合感がある。荒木経惟が撮るのは典型的「女性原理」的な「幸福写真」だね。性に対する扱い方でも違いが大きい。「男性原理」的な写真は、セクシュアリティや肉体性をあまり感じないね。どちらかというと、性を固定的に捉えている。逆に「女性原理」的な写真家は、性的・肉体的なものに非常に敏感で、流動的に捉えている。"私"の位置も、「男性原理」的な写真は、写真の中から写真家の存在を探しても見えなくて、超越的な写真なんだ。「女性原理」的な写真は、対面的だから被写体の目の前に写真家が存在していて、写真を通じてその姿が見えてくる。まず"私である"ということが強く出ている写真だね。こうやって対照させてみると、男性でも「女性原理」的な写真家もいるし、女性でも「男性原理」的な写真家がいて、写真家の性別とは直接結びつかないていないことがわかる。

「女の子写真」がメディアに大きく取り上げられたのは、社会が「女性原理」の写真が求めていたという側面もあった。高度成長期を経てバブル時代に突入した1980年代は、畠山直哉、柴田敏雄、小林のりお、伊奈英次などの「男性原理」的な風景写真が受け入れられていった時代だった。しかし、80年代後半にバブルが崩壊すると、社会全体が不安感を抱えていた。そんな時に「特集:シャッター&ラヴ」が組まれ、若い女の子たちが撮った「女性原理」的な写真が掲載された。すると、瞬く間に女性原理の写真が社会に広まっていった。経済環境が厳しい時代になって、「女性原理」的な"受容性"、"肯定感"、"幸福感"のある写真が社会に求められ、受け入れられたんだろうね。女の子たちが撮った写真が、バブル崩壊後の喪失感の漂う社会を元気づけたことには間違いないはずだ。

写真における男性原理と女性原理

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)