60年代の写真に対する熱かったエネルギーは、70年代後半になると衰退してしまう。それに合わせるように、『カメラ毎日』の売り上げも落ちていった。『カメラ毎日』の最終回は、70年代の山岸章二の仕事と『カメラ毎日』について飯沢が解説する。

世界基準で日本の写真を見る

『カメラ毎日』 1985年4月号。本号をもって休刊

70年代に入ると山岸の関心事は、アメリカを中心とした新しい写真の動向と、日本の写真界をどう結びつけるか? ということに移っていった。そして『カメラ毎日』という枠組みを外れた仕事もやるようになるんだ。彼は日本の写真を同時代の世界における写真誌の流れの中に位置づけられるかを考え始めていった。そして頻繁にアメリカに渡ってアメリカの写真家とつき合ったり、ニューヨーク近代美術館のジョン・シャーカフスキーという有名なキュレーターと組んで写真展を企画するといった活動を積極的にやるようになっていった。

結果的に、1974年にニューヨーク近代美術館で行われた「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィー」展は、ジョン・シャーカフスキーと山岸によって開催された。土門拳から始まって東松照明、川田喜久治、内藤正敏、一村哲也、土田ヒロミ、深瀬昌久、奈良原一高、細江英公、森山大道、秋山亮二、小原健、田村茂(のちに彰英と改名)、十文字美信と、この当時日本を代表する写真家の作品を初めて本格的にアメリカに紹介したんだ。日本の写真家たちが国際的な舞台で評価されるきっかけを作った重要な展覧会だと思う。この功績はすごく大きいよ。1979年4月には、やはりニューヨークのICP(International Center of Photography)で「ジャパン・ア・セルフポートレート」展が開催されるけど、その展示企画を担当したのも山岸章二だった。

逆にアメリカの写真家を日本に紹介する活動も始めていて、1972年の『カメラ毎日』12月号から毎号、1人のアメリカ現代写真家を紹介する「現代アメリカの作家」シリーズを開始する。世界の新しい表現は日本のカメラマンたちに衝撃を与えた。また、山岸はダイアン・アーバス、リチャード・アベドン、ピーター・ビアードらの展覧会を日本で開催している。僕にとって衝撃的だったのは1973年6月に東京・池袋の西武デパート特設会場で開催された「ダイアン・アーバス写真展」だね。フリークスを中心とした「暗いアメリカ」の深部に踏み込んだ素晴らしい展示だった。この時は『カメラ毎日』のダイアン・アーバス特集も何度も見返したよ。

『カメラ毎日』 72年8月号。ダイアン・アーバス特集

写真界全体の衰退

70年代後半になると、60年代のアマチュアの写真に対するエネルギーが枯渇していく。その低迷傾向は現在も続いていると思うけどね。カメラがオート化して、雑誌に頼らず誰でも写真が楽しめるようになって、写真以外の表現手段も増えてくると、熱い意気込みを持って写真表現を行なうアマチュアカメラマンが減っていった。その結果、カメラ雑誌でありながら写真雑誌でもあった『カメラ毎日』は、内容があまりにも写真表現に寄りすぎていて売り上げはどんどん落ちてしまった。

じつは山岸が『カメラ毎日』の編集長に就任したのは76年。それまでは、編集部員という立場でやりたい企画を立てて実行していたんだ。しかし、編集長という責任ある立場になると、やりたいことより雑誌が売れることを優先しなくてはならなくなる。そして、その頃の山岸の興味は世界の写真に向けられていた時期だったから、余計に『カメラ毎日』への情熱が離れていったんだろうね。その結果、78年に山岸は毎日新聞社を繰り上げ退職してしまう。だから編集長の時期っていうのはすごく短いんだ。

そして初老性の鬱病を患っていた山岸は、翌79年7月に自殺してしまう。50歳だったからまだまだ若い。というより、僕自身がすでに彼よりも長く生きているという事実をあらためて確認すると、愕然としてしまう。彼がやろうとしていた仕事の大きさを考えると、かえすがえすも彼の突然の死は残念なことだった。もしかすると山岸の不在によって、日本の写真界はかなり足踏みをしたのではないかとも思うんだ。

「New Japanese Photography」展 カタログ。1974年、ジョン・シャーカフスキーと山岸章二により、「ニュー・ジャパニーズ・フォトグラフィーN.J.P展」がニューヨーク近代美術館(MOMA)で開催された

山岸が辞めた後、『カメラ毎日』は立て直しのために編集方針を変えてメカニック中心の紙面にするけど、うまくいかなくて存続が危ぶまれることになる。やはり、山岸が辞めてしまったことが大きかったんだろうね。山岸の編集能力が『カメラ毎日』の一時代を支えたことは間違いない。そして山岸自身が『カメラ毎日』への情熱を失くしてしまったことは大きな痛手だった。結局、『カメラ毎日』は85年4月号が最終号となってしまう。しかし、それは山岸だけの問題ではなく、同時に写真界そのものが変わってしまったことのあらわれだったと思う。

『カメラ毎日』の全盛期はカメラ雑誌という枠組みすら越えていたとは思う。それの象徴が山岸章二だった。もちろん他にもいい編集者はたくさんいたけど、彼は行動力があり、写真を見る眼がずば抜けて良かった。彼が亡くなったことで日本の写真界は10年は遅れたと思うんだ。『カメラ毎日』を見直すことで、60年代、70年代、80年代の日本の写真表現の最前線を大きな視野で捉えることができる。そういった雑誌は現在はないよ。『カメラ毎日』の栄枯盛衰を見てみると、日本での写真表現のアップダウンがはっきりと見えてくるね。

JCIIライブラリー

日本カメラ博物館内にある写真とカメラの専門図書館。今回、『カメラ毎日』のバックナンバー撮影に協力いただいた。『カメラ毎日』のほか、『アサヒカメラ』『写真工業』『カメラレビュー・クラシックカメラ選科』などは創刊号からほぼ全巻そろっており、閲覧できる。館外貸し出しはしていない。

〒102-0082
東京都千代田区一番町25番地 JCII ビル(地下1階)
TEL:03-3263-7111
開館時間:10:00-17:00(資料出納は16:30分まで)

飯沢耕太郎(いいざわこうたろう)

写真評論家。日本大学芸術学部写真学科卒業、筑波大学大学院芸術学研究科博士課程 修了。
『写真美術館へようこそ』(講談社現代新書)でサントリー学芸賞、『「芸術写真」とその時代』(筑摩書房)で日本写真協会年度賞受賞。『写真を愉しむ』(岩波新書)、『都市の視線 増補』(平凡社)、『眼から眼へ』(みすず書房)、『世界のキノコ切手』(プチグラパブリッシング)など著書多数。「キヤノン写真新世紀」などの公募展の審査員や、学校講師、写真展の企画など多方面で活躍している。

まとめ:加藤真貴子 (WINDY Co.)