婚姻時に夫婦が別姓を選べない戸籍法は平等に反するという訴えが、3月25日、地方裁判所で棄却された。つまり「選択的夫婦別姓」を求める側の敗訴である。

夫婦別姓と言えば、美味しんぼの山岡と栗田さんが結婚した時、栗田さんが会社では今まで通り「栗田」を名乗ろうとして、小泉局長がブチ切れる話があった。かなり昔から議論され続けているということである。

一部の好事家以外に全く伝わらない話をしてしまったが、選択的夫婦別姓は1996年に法相の諮問機関・法制審議会が民法改正案要綱に盛り込んだものの、実現はしていない。

「20年前から話は出ているのに全く進展がなく、今回も進展しなかった」というのが、選択的夫婦別姓の現状である。ONE PIECEで言えば、1997年に連載が始まってから、未だにルフィがフーシャ村を出ていない、みたいな状態である。

今、日本の姓に関する法律では、民法上も戸籍法上も「夫婦は同性にしなければいけない」ということになっている。私も恥ずかしながら今回初めて知ったのだが、姓というのは民法上の姓と戸籍法上の姓の二種類あるのだ。

まず民法が「婚姻とはこういうものや」というでかい定義をし、戸籍法が「社長はこう漠然としたことをおっしゃっておりますが、具体的にはこうです」と家族情報の管理方法を定めているという感じだ。結婚した場合、今の法律だと義務的に民法上も戸籍法上も同じ姓になるため、姓が2種類あると意識することさえ少ないだろう。

しかし、「民法上の姓と戸籍上の姓が違う」というケースがある。それは、離婚時だ。

結婚して山田から武者小路になった人が離婚した場合、民法上は旧姓の山田に戻る。しかし本人が「拙者これからも武者小路を名乗りたく…」と申し出れば、戸籍上の姓は「武者小路」のままでいいのだ。また、外国人と結婚した場合も、戸籍上の姓は選択でき、夫婦別姓も可能である。

つまり、離婚時と、外国人との結婚ではできる戸籍上の姓の選択が、何故日本人同士の結婚ではできぬ。これは平等に反するではないか、というのが今回の訴えである。

なお、今回の訴えでは民法の改正は求めておらず、仮に勝訴となり戸籍上の姓を別にできるようになっても、民法上は「夫婦同姓」であることに変わりはない。よって、夫婦別姓の支持者からも、「この内容では完全な夫婦別姓は望めない」という不満の声も出ているという。

しかし、原告は戸籍法上だけでも別姓を選択できれば、今より姓を変える側の不利益は大きく減ると考えており、それが今回の訴えの目的と言える。

夫婦別姓、名乗る「だけ」なら今でもできるが…

話を美味しんぼの話に戻したいので戻すが、同じ会社の同じ部署同士で結婚した山岡と栗田さん、栗田さんの姓は山岡になったが同じ部署に山岡が2人いては紛らわしい。

よって会社では今まで通り栗田さんは旧姓の「栗田」を名乗ろうとするが、それに夫婦別姓反対派の小泉局長が「絶対許さん」とブチ切れるのだ。

それでどうなったかというと、重大なネタバレになって申し訳ないが、何と料理の力で局長は考えを改め、栗田さんは、今まで通り「栗田さん」と呼ばれるようになったのだ。

このように、現状でも自分で名乗るだけなら、正直なんでも良いのだ。実はここだけの話、私の「カレー沢」も本名ではない。

職場での呼称を旧姓のままにしている人はそう珍しくないだろうし、「栗田から山岡になったので職場では『ポール』と呼んでください」と求めるのも、「変わった人だ」と思われるだけで不可能ではない。

しかし、その呼称に法的根拠はない。つまり栗田さんは、職場でどう呼ばれようが民法的にも戸籍法的にも「山岡」であり、免許証や保険証、銀行口座の名義は「山岡」でないとダメなのである。こればかりは料理の力でも変えられない。

作中には描かれていなかったが、栗田さんは丸1日ぐらい使って、身分証ほかの名義変更をしているはずなのである。もしかしたらそれに有給を使ったかもしれない。もちろん離婚して、戸籍上も旧姓に戻ろうと思ったら同じ手間がかかる。

このような不利益や手間が、「姓を変える側」だけに存在するのだ。平等とは言い難い状態である。これが、戸籍法上だけでも旧姓のままにできれば、そこに法的根拠ができ、名義変更などの手間をなくすことができる。

「手間と言っても、一度変えれば済む話ではないか、何回結婚するつもりだ」と思われるかもしれないが、原告は社長という立場であり、株式の名義変更などに数十万の実費がかかったという。さらに、書類に記名するときでも、会社での呼称の旧姓を書くか、法律上の姓を書くか、書類によって迷いが生じるとのことだった。

このように、別姓が認められないことにより、手間や不利益を継続的に被っている人がいるため、まずそれをなくすよう、今回の戸籍法上の選択別姓を求める訴えを起こしたそうだ。

民法改正を求めなかったのは、そこまですぐに変えるのは現実的ではなく、また「今までの家族観が崩壊してしまう」ことを懸念している夫婦別姓反対派の意見を汲んだ折衷案だ。決して「夫婦同姓なる古い価値観をぶっ壊したい」という動機ではなかったのだ。

このような、確固たる目的と理屈を用意し臨んだ訴えであったのだが、それでも棄却となった。結局、裁判所は「まずは国会が民法改正の審議を進めるべき、話はそれからだ」という見解なのである。

だが国会でその審議が一向に進んでないのでどうしようもなく、戸籍法だけ変えるのは難しいという「今回もフーシャ村から出られなかった」という展開となった。

だが、もし夫婦別姓が認められても、すぐに全世帯の半分ぐらいが別姓になる、ということはないだろう。

改姓による手続きの面倒さより、別姓を選ぶことによる周囲の「え、なんで?」という反応、ともすれば反対されることを面倒に感じ、通例どおり「女が男の姓を名乗る」のがある意味「一番面倒じゃない」と感じる勢の方がしばらくは多数ではないだろうか。

そういう人たちを「旧体制に諾々と従う思考停止野郎」と罵るようなら「夫婦別姓などけしからん」と言っているのと大して変わらない。どっちを選んでも良いし、どっちを選んでも「えっ」とならないのが、選択制夫婦別姓の完成形だろう。

たとえ「別姓が合法化」という船が出ても、グランドラインに到着するまでにはまだ時間がかかる。だが、何せ今は村から出られてないので何とも言えない。

それに、夫婦別姓により解消する問題もあるだろうが、夫婦別姓だからこそ起こる新しい問題も必ず生まれるだろう。

結局、同姓も別姓も、利点もあれば面倒もある。ただ「好きな面倒を自分で選んでよい」となることに意義があり、それが多様化ではないだろうか。