Twitter(ツイッター)にだって良いところはある。

どこが、と聞かれたら「元気そう」など漠然としたことか、「使っている人が多い」とただの事実を言うしかできないが、本当にないことはないのだ。

ツイッターを愛する紳士たちのふるまい

Clubhouseが話題になった時も「どうせそのうち、俺たちのツイッターくんが、微妙に使い勝手の悪い似たような機能をつけるだろう」という逆安心感があった。

しかし、ツイッターが発表したのはスーパーフォローという微妙な課金システムだったため、どうした具合でも悪いのかと胸がざわついた。

だがその後、本家でさえ腐りかけている時に「Spaces」というボイスチャット機能を発表してくれたので胸をなでおろした。

何かやるたびに文句を言われるツイッターだが、ツイッターにいるのは、他の店は全部出禁になっているため、潰れかけの店で死にかけのババア(毒蝮リスペクト)が作るちくわ入りチャーハンを「不味いよババア」と言いながら食うしかない客ばかりである(個人の感想)。

そして意外とババアとチャーハンに愛着を持っているため、不味いといいながらも毎日来るのだ。むしろこの店に出禁を食らったら「いよいよ」である。

それに、ツイッターにはチャーハンの味に顔をしかめている新規客に、隣の両鼻毛を均等に伸ばした紳士が「兄ちゃん、酢をしこたまかけると割とイケるよ」とアドバイスしてあげるような温かさもある。

つまり、独り言ともつかない疑問をつぶやくと、どこからともなく識者や解析班が現れ、答えを教えてくれることが結構あるのだ。

もちろんツイッターなので、「ここのババアは昔、義偉の女だった」など嘘や適当なことをいう人間もいるが、本当の場合もある。

ついに流行語にまで上り詰めたツイッターの「日常風景」

このように、クソの中にたまにマシなクソが紛れているのもツイッターの良いところだ。しかし、そのどこからともなく現れる識者の行きすぎたバージョンが「○○警察」である。

○○警察とは、他人が発した画像や情報などに「それは違います、素人が適当なこと言わないでください」などと言って取り締まってくる、自称その道に詳しい人である。

「それは『湯飲み』と言ってお茶などを飲むためのものなので、お尻には入れないほうがいいと思います」等、一片の曇りもない正論や、広まったら困る誤情報に対する指摘は良い。

それより「ファッション」のように、極論を申せば「局部が隠れていれば正解」なものに「それは正しい着こなしではない」と言って、正しいかもしれないが、楽しんでいる人に水を差す、何の権限があってそんなことを言っているのかわからない人に対して使われることが多い。

昨年、「自粛警察」が流行語にノミネートされたことで「○○警察」という概念が広く知られることになったが、ツイッター民からすると見慣れた存在であり、「今更騒ぐことじゃないでしょう、そもそも前からいたし、起源は…」と○○警察警察になっている人もいた。

このように、どこからともなく現れる識者は余計なお世話な場合もあるが、助かることも多いし、それが新たな発見につながることもある。

「ダニを撮る釣り人」とダニ研究者の出会いを生んだツイッター

  • 本来の目的ではないダニに着目した釣り人とダニの研究をしている専門家、Twitterがなければ出会う確率はかなり低そうです

    本来の目的ではないダニに着目した釣り人とダニの研究をしている専門家、Twitterがなければ出会う確率はかなり低そうです

先日、ツイッターに投稿された写真から、新種のダニが発見されたという。

写真を投稿したのは、銚子市の外港に釣りに来ていた会社員である。アマチュアカメラマンとも記載されてはいるが、当然ダニに関しては素人だ。

その会社員が外港で見つけたダニの写真をツイッターにアップしたところ、それに法政大学自然科学センターの教授が気づき、オーストラリアの博士らと正式調査したところ、新種であることが確認されたそうだ。

そのダニはツイッターで発見されたことにちなみ「Ameronothrus twitter」と名付けられた。しかし、日本では「ツイッターダニ」ではなく「チョウシハマベダニ」という「田んぼの中に住んでいるから田中」みたいな和名がつけられた。

だが「ツイッターダニ」と言われると「俺たちのことか?」と被害妄想が爆発しそうなので、チョウシハマベダニで良かったと思う。

ちなみに、ツイッターから新種の生物が発見されたのはこれで2例目であり、動物でははじめてだそうだ。このようなことから「SNSは新種生物の発見を促すことができる」と言われている。

しかし、私からすると「海岸に釣りに行って、そこにこびりついているダニの写真をとってツイッターに上げる」という行為の時点で謎だし、それをTLで見たら「虫なら閲覧注意って書いてくれよ」としか思わなかったかもしれない。

その一方で、私がやっている「完成された既存の二次元キャラクターをわざわざ己の低い画力で描き直しツイッターにあげる」行為の方が不可解だという人もいるだろう。

つまりツイッターでの新種発見は、「ツイッターには人が多勢いる」からできることなのだ。

人が多いから、その中に、釣りに行ったのにダニが気になりその写真を撮ってアップするという変わった人がいて、さらにその写真を見て「これ新種やんけ?」と気づく変わった人が現れるのだ。

「人が多い」というのは、やはり得難き財産だ。ツイッターにはその財産を減らさないようこれからも頑張ってほしい。