アマゾンの電子書籍端末「Kindle Paperwhite」がリニューアル、第11世代の「Kindle Paperwhite」と「Kindle Paperwhite シグニチャー エディション」の発売が始まった。
Kindle端末のラインナップは、エントリーの無印Kindle、ミドルレンジのKindle Paperwhite、ハイエンドのKindle Oasisと、基本的に3つのモデルで構成されている。
今回のリニューアルは、そのミドルレンジの刷新だ。第10世代が第11世代になった。先代は2018年の発売だったので、ほぼ3年ぶりのリフレッシュだ。今回はストレージ容量が大きなシグニチャーエディションが用意され、ワイヤレス充電や自動調整フロントライトなどをサポートする。モデル構成としては無印とシグニチャーエディション2つだけでシンプルなものとなっている。
ハードウェア的にはE-Inkスクリーンのサイズが6インチから6.8インチになった。また充電用に使うUSB端子もUSB Type-Cとなり高速充電に対応した。
3年ぶりの刷新ということもあり、プロセッサーなどの足回りも改良されたことで、先代よりもずいぶん動きが軽快になった。
Kindle Paperwhiteの進化はOasisに迫るもの
今回のKindle Paperwhiteは、下剋上に近いものだと思う。USB Type-C対応などでは最上位のKindle Oasisの先を行き、スクリーンサイズもOasisの7インチには及ばないものの、6.8インチとなった。レスポンスも近い。
さすがに視認性はバックライトの灯数が多いOasisに負けるし、物理ボタンでページ送りができるOasisの使い勝手には及ばないものの、Oasisよりもちょっと縦長のスクリーンは同じ300dpiで、アスペクト比的にはこちらのほうが好ましく感じるユーザーもいそうだ。それでいて価格はOasisの半額近いというのも魅力だ。
ミドルレンジのKindleがハイエンドKindleにここまで肉薄すると、逆に次世代のOasisが楽しみになったりするのだが、スマートデバイスである限り、このいたちごっこが止むことはないだろう。
B5サイズのコミック原本を、実サイズ見開きで読めるようなE-Ink端末が欲しいと願っている世代もあるだろうし、個人的にもその一人ではあるが、コスト面での懸念もある。このあたりのアマゾンの落とし所を楽しみにしていたい。
コンテンツの作り手にも読み手にも「救世主」
個人的にはKindle端末でコミックを読むことはない。やはりコミックは見開きで楽しみたいし、単ページで読むにも、Oasisのスクリーンでも目がつらく、もっぱらWindows版デスクトップKindleアプリを使って大画面モニターで読んでいる。
だから、Kindleを使って読むのは小説や評論、ノンフィクションなど、文字中心のコンテンツだ。文庫本を読むのもつらくなってきている目には、Kindleのように文字サイズや行間が自由になる端末はうれしい。これからは、そういう世代は増える一方だし、そういう世代にとってはKindleのような電子書籍端末は救世主といってもいい。
決して紙の本がなくなってしまえばいいと思っているわけではない。でも、読めない紙の本はないのと同じだ。コンテンツを楽しむという部分だけでも残せるのならそれにこしたことはない。
だからこそコンテンツの作り手にも読み手にも救世主なのだ。Kindleは、そのあたりの事情をもっと自負していいと思うし、まだまだ電子書籍という世界観に気がついていない層にリーチしていってほしい。
読み放題は“過去の当たり前”に変化を起こすか
Kindleの懸念は、購入した蔵書がアカウントに紐付き、そのアカウントの消滅とともに、コンテンツにもアクセスできなくなってしまうことにある。
音楽や映画などでは、読み放題のサブスクリプションがコンテンツの所有の概念を塗り替えてしまった感があるが、今のところ、書物についてはそうはなっていない。
Kindleのコンテンツも読み放題の「Kindle Unlimited」や「Prime Reading」として提供されているが、音楽や映画のコンテンツのように、ほとんどすべてのものがそこにあるというようにはなっていないので、どうしても個別にコンテンツを購入する必要がある。それに、カタチがないコンテンツであっても、やっぱり所有したいという欲はあったりもするのだ。
書籍出版というメディア企業の姿勢も影響しているのだろう。紙の本では2,000円近い単行本を読み放題にしてしまうと、サブスクの月額料金が高くなりすぎてしまう可能性がある。
数千円はするCDやブルーレイディスクでできるのに、書籍ではなぜという疑問もあるが、それが業界の異なる所以ともいえる。Kindleのような端末は、そうした過去の当たり前に、ちょっとずつ変化を起こし続けていくのだろう。