いまや日常生活には欠かせない携帯電話やスマートフォン。自然災害などの非常時にも、情報収集や連絡の手段としての重要性は年々高まる一方です。そんな社会インフラとしての通信サービスを提供する携帯キャリア各社は、あらゆる状況でサービスを継続するための手段を用意しています。
比較的メジャーなものとしては、トラックに携帯電話基地局やバックホール用の衛星アンテナなどを積み込んだ「移動基地局車」と呼ばれるものがあります。移動基地局車は災害時に限らず、花火大会や野外フェスなどの大型イベント開催時には局所的なエリア対策のために出動することもあるので、イベント会場などで携帯会社のロゴが入ったトラックを見かけた覚えがある方も多いでしょう。
移動基地局車以外にも、近年では船上から沿岸部に向けて電波を飛ばす「船上基地局」や、基地局がダウンしたエリアから隣の基地局までの橋渡しを迅速に行う「ドローン中継局」など、いざという時のための復旧手段は何通りも備えられています。今回は、そんな中々お目にかかれない通信設備のひとつ「大ゾーン基地局」を見学してきました。
広範囲を一手に引き受ける「大ゾーン基地局」の必要性
大ゾーン基地局の役割を理解するために、そもそも「なぜ地震や津波で携帯電話基地局が使えなくなるのか」を少し考えてみましょう。
おそらくほとんどの方は、鉄塔や電柱が地震で倒壊したり、津波で流されてしまったりといった様子を想像したのではないでしょうか。もちろんそういったケースも無いわけではないのですが、実際には基地局の設置場所や耐震強度などは並の建造物以上に注意が払われており、直接被害による停止はそうそう起きません。
ドコモでは2011年の東日本大震災の際、東北地方全体の約4割にあたる4,900局の基地局が停止しましたが、その大部分は倒壊や水没によるものではありませんでした。「長時間停電によるバッテリーの枯渇」が実に8割を占め、次点で「地震による伝送路断(バックホールの光ファイバー回線などの切断)」による停止が多かったそう。基地局そのものは無事でも、そこに至るまでの送電網や固定通信網まで無事とは限らないということです。
平常時のエリア設計としては、数百mから数kmおきに細かく基地局を配置して快適な通信環境を実現しているわけですが、それだけ膨大な数の基地局すべてに発電機を設置して無停電化したり、非常用の予備バックホールとして衛星エントランス回線/マイクロエントランス回線を片っ端から備えるというのもあまり現実的ではありません。
もちろん、災害対策本部として機能する役場の周辺や復旧に時間のかかる離島・山間部などの基地局には必要に応じて無停電化やバッテリー24時間化など、個々の基地局の運用継続性を高めるための対策を施しています。
ただ、それとは別のアプローチとして、人口密集地などで多数の基地局がダウンしかねない場面では考え方を変え、個々の通常基地局は止めても大きな拠点に設けた基地局ひとつで「広く薄く」最低限の緊急連絡手段を確保しようという考えで生まれたのが大ゾーン基地局です。
大ゾーン以外にも重要な役割を持つNTTドコモ品川ビル
大ゾーン基地局はあくまで緊急的な通信手段を広く確保するためのもので、平常時の人口密集地におけるエリア設計上は効果的な設備ではないことから、普段は電波を止めた状態で待機している緊急時専用の基地局です。ちなみに、同様にいざという時は広範囲をカバーできる性能を持ちつつ、普段は範囲を絞って通常の基地局として稼働している「中ゾーン基地局」も存在します。
数十万局のドコモ基地局のうち、中ゾーン基地局は2,000局ほど。大ゾーン基地局は人口密集地に絞って106局設置されており、東京には6カ所あります。大ゾーン基地局の性質上、耐震性の高い建物に設置することはもちろん、無停電化や伝送路の多重化も欠かせないことから、交換機などの通信設備を収容するために同様の条件を満たして設計している各地の「ドコモビル」への設置が多いようです。
今回はNTTドコモ品川ビル(東京都港区)にある大ゾーン基地局を見学しました。他の大ゾーン基地局を設置しているビルは上部を見ると大きなアンテナを設置していることが明らかな外観のものも多いのですが、この品川ビルは一見そうは見えません。実は、四隅に縦方向に並んだ四角いブロックのような部分はレドームと同じ電波を通す素材で出来ていて、その中にアンテナがあります。一見スタイリッシュなオフィスビルに見えて、大ゾーン基地局という重要な役割を担う通信機材が隠されていたとは驚きました。
また、品川ビルは東西2カ所に設けられた「ネットワークオペレーションセンター」の片方が置かれているという点でも非常に重要な拠点です。ネットワークオペレーションセンターとは全国各地の基地局などのネットワーク設備の稼働状況をモニタリングし、遠隔対応や復旧要員の手配などを行っている場所で、北海道から東北までのネットワークの円滑な運用がここで支えられています。
大ゾーン基地局に話を戻すと、1つの大ゾーン基地局でカバーできる通信範囲は半径約7km。品川ビルの場合、北は東京駅、南は蒲田付近まで届くということです。今回は特別に屋上(ヘリポート)からの眺めも見せていただきましたが、地上29階、140mを超える高さから見下ろす臨海部のビル街はまさに絶景でした。
続いて、大ゾーン基地局が設置されている場所に移動し、アンテナやRFパワーアンプといった機材を見学。実は大ゾーン基地局を構成する機材そのものは通常の基地局と同じもので、「高出力なアンテナを使っているから遠くまで届く」というわけではなく「通常の基地局よりもはるかに高い場所に設置しているから遠くまで見通せる」という理屈。これだけ高いビルの最上階付近に設置されていることも納得です。
「大ゾーン基地局」が本当に使われたのは〇〇回だけ
大ゾーン基地局の設置が始まった当初は3Gの設備でしたが、現在は全局がLTE対応の設備に置き換わっています。800MHz帯(Band 19)、1.5GHz帯(Band 21)、1.7GHz帯(Band 3)、2GHz帯(Band 1)のクアッドバンド運用で、半径7kmの最大範囲で稼働した場合の収容端末数は約42,000台におよびます。
品川ビルの大ゾーン基地局が本番運用されたことはなく、定期的に試験運用を行う際のみ電波を吹いています。ただし、人口密集地で多数のユーザーを1局に集中させることは通常の通信環境では速度や快適性を損なってしまうため、試験運用時は一般利用者の端末からの接続は受け入れない状態で稼働させているそうです。
裏を返せば、もし本当に大ゾーン基地局にお世話になるような事態が起きた際にも、最低限の連絡や情報収集に留め、不要不急の通信による負荷はかけるべきでないと考えられます。
全国に106局ある大ゾーン基地局が実際に使われたのは、2018年9月に発生した北海道胆振東部地震の1回だけ。釧路市中心部で停電が長期化し、広範囲で通常の基地局がダウンしたという状況で、NTT釧路ビルの大ゾーン基地局が初めて運用されました。大ゾーン基地局のアンテナは遠隔制御で放射角度を変更でき、このときはフルスペックではなく半径3kmほどのエリアを救済しました。
大ゾーン基地局は東日本大震災の教訓を生かして災害対策を強化する過程で生まれ、2011年9月から2012年にかけて急ピッチで全国の都市部に設置されました。近年の災害発生状況を振り返ると11年半で1回の稼働というのは少々意外な印象も受けますが、通常基地局のBCP対策も強化されていますし、船上基地局やドローン活用などの新技術も投入されています。あくまで大ゾーン基地局はあらゆる事態に対応すべく用意された選択肢のひとつであり、首都直下地震のようなケースを見据えるなら依然として重要な「最後の切り札」であることは間違いないでしょう。