2020年1月27日、アップル「iPad」の発表から10年が経った。2010年1月27日、スティーブ・ジョブズ氏はカウチに腰掛けてiPadのデモをした。ゆったりとした姿勢で大きな画面のデバイスを手に持ち、コンテンツを楽しむ。そんな姿が象徴的だった。
しかし今日のiPadを見てみると、低価格・高性能のコンピュータとしてPCのリプレイスを狙おうと鼻息が荒い。米国では教育向けに299ドルから販売される10.2インチiPad(第7世代)は、先代から対応していたApple Pencilに加えてSmart Keyboardまでサポートし、ドキュメント作成からコミュニケーション、写真・動画編集まで快適にこなせて5万円以下の価格を実現するコンピュータとなった。
今回のシリーズでは、これまでのiPadの歩みと現在のポジション、将来像について考えていきたい。
“賢い板”として登場したiPad
iPadは2010年1月27日に発表され、米国では4月3日に販売がスタートした。初日に30万台の売上を記録したことは、AppleがiPhoneに続いて登場させた「新しいフォームファクターのデバイス」への期待が高かったことをうかがえる。思い起こせば、当時はまだスティーブ・ジョブズ氏がCEOを務めており、その“魔法”の効果もあったはずだ。
2010年5月28日には日本などでも販売が開始され、2カ月以内に200万台を販売するなど、初速は非常に好調だった。2010年から2019年9月までに、累計で3億6000万台ものiPadが販売された。ローエンド、ミドル、ハイエンドとフルラインアップがそろった現在のiPadの状況と、iPad用アプリの更なる充実ぶりを見ると、2020年中に4億台を達成する可能性は高い。
iPadは、メディア消費デバイスとしての期待が高かった。iPhoneが登場して3年目で、マルチタッチスクリーンの有用性が認められ、“サイズの大きなiPhone”が簡単に使いこなせることに疑問を持つ人は少なかったはずだ。
それ以上に、大きな画面とこれに合わせてデザインされたOSによって、マルチタッチスクリーンによるコンピュータの操作が更に便利であることを証明した。そして、2011年には「Newsstand」を登場させ、新聞や雑誌の購入・管理を行う方法を提供した。ただし、このサービス自体は上手くいったとはいえず、2019年に「Apple News+」というサブスクリプションサービスにリニューアルされた。
このころからAppleは、映像とともに書籍や雑誌、新聞を大きなデジタルスクリーンで読む方法についてこだわりを見せている。iPadは当初、紙を代替する存在になろうとしていることをうかがわせる側面だ。
実際、AppleはRetinaディスプレイの発展として「TrueTone」ディスプレイという機能を用意し、各製品に採用した。この機能は、ディスプレイのホワイトバランスを環境光にマッチさせる機能で、暖色系の照明の下ではディスプレイは黄色からオレンジの色が強まり、蛍光灯の下ではより色温度が高い青っぽい白になる仕組みだ。
2012年1月、iPad向けの教科書を再発明したとして「iBook 2」のアプリを発表し、先生が自由にiPad向け教材を作ることができるアプリ「iPad Author」も発表した。この際、教育機関で1500万台ものiPadが使われていることも明らかにした。
ビジネス現場での「紙の代替」は大好評
2011年3月にiPad 2が登場し、ギネスによって「歴史上最も早く売れたコンシューマー向け電子機器」に認定された。
同時に、2011年6月にアラスカ航空を皮切りに、米国の航空会社が分厚いパイロット向けのマニュアルをiPadに置き換える動きが加速した。現在、日本の航空会社でも、客室乗務員や地上係員はiPad miniを肩から提げ、マニュアルの表示や情報の確認、音声のコミュニケーションを行うツールとして活用している。
紙の代替としてのiPadの役割は、その大きな画面表示の特性によるものだ。手元で紙を最も快適に表示することができる『ビューワー』という役割が、ビジネス現場でクローズアップされ、管理や更新が手軽で検索ができ、500g以下のデバイスに何千ページもの資料を収められる点で、iPadはビジネス市場で人気を博したのだ。
そうしたビューワーとしての役割を意識し、2010年モデルのiPhone 4から採用された高精細のRetinaディスプレイを搭載したiPad(第3世代)を2012年3月に、そして10月にはこれを刷新するiPad(第4世代)をそれぞれ発表した。
iPad戦略の転機となったiPad mini
第4世代iPadを発表した際、Appleはもう1つ異なるサイズのiPadを登場させた。iPad miniだ。7.9インチの小型タブレットで、登場した際にはRetinaディスプレイを採用していなかったが、翌年10月にはRetina化されたiPad mini 2が登場した。
iPadの登場以来、Androidタブレットもものすごい勢いで製品バリエーションを拡げていった。Appleが9.7インチサイズにこだわっている様子を見て、それより大きな10インチ以上のサイズや、7~8インチ程度の小型モデルを登場させるなど、さまざまなサイズ展開がなされた。
なかでも、小型モデルはパーソナル情報デバイスとして人気を集め、iPadにとっての脅威となっていた。iPad miniは、そうした市場動向に対応する製品として登場したと考えられる。というのも、iPad当初の思想は紙の代替であり、iPad miniは情報デバイスとしては良いサイズかもしれないが、紙を置き換える役割からすると小さすぎたからだ。
その一方で、ビジネスや教育のニーズとしては、小型モデルが求められた。例えば、前述の航空会社の端末として考えると、常に広い空港内を歩き回りながら持ち歩くなら、より軽いデバイスの方が有利だ。学校でいえば、小学生の手には450g強の9.7インチデバイスは少々手に余る。これまでのiPad向けの資産を生かせる軽くて小さいデバイスとして、iPad miniはAndroidへの競合とともに、iPad活用のニーズから生まれた製品だった、と振り返ることができる。(続く)
著者プロフィール
松村太郎
1980年生まれのジャーナリスト・著者。慶應義塾大学政策・メディア研究科修士課程修了。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)、キャスタリア株式会社取締役研究責任者、ビジネス・ブレークスルー大学講師。近著に「LinkedInスタートブック」(日経BP刊)、「スマートフォン新時代」(NTT出版刊)、「ソーシャルラーニング入門」(日経BP刊)など。Twitterアカウントは「@taromatsumura」。