落札後、東京ミッドタウンの事業計画には葛藤があったようだ。
三井不動産 東京ミッドタウン事業部長 兼 東京ミッドタウンマネジメント 代表取締役社長 中村康浩氏は、敷地落札後の当時を振り返る。
「オフィス、住宅、ホテルなどからなる複合施設を目指しましたが、特に重視したのがファッションを中心とした“BtoC”向け商業施設を手厚くすることでした。ですが、こうした商業重視の施設が成り立つのかという不安がありました」。
確かにそうだろう。2000年台に入り、様相が変わり始めたとはいえ、“夜の街”の顔が色濃く残る六本木だ。ブランド商品を求めてやってくる人々がどのくらいいるのか、当時は未知数といわざるをえない。
さらに中村氏はこうも続けた。
「新たに広大な面積のオフィスフロアを設置するわけですが、すでに六本木ヒルズさんが開業したあとです。すでにオフィス需要はヒルズさんのほうに吸収され、新設された東京ミッドタウンにどれだけ企業が入居してくれるのか……」と語る。
さらに、オフィス需要だけでなく、レジデンスについても不安材料はあった。東京ミッドタウンでは、高級賃貸住宅の供給を計画していたが、はたして成立するのか。「高級住宅賃貸というマーケットが存在するのか、懐疑的にもなりました」(中村氏)。
BtoCを意識した商業施設、すでに需要が吸収されてしまったかもしれないオフィス、はたして成立するのかどうかわからない高級賃貸住宅……。不安だらけの事業計画だったが、これが「こうしたマーケットを我々がつくっていくんだ」(中村氏)という意識に変わっていったという。
そして東京ミッドタウン開業から10年。中村氏は「この10年間、複合施設として相応しい運営が行えたと思います」と、自信に満ちた表情で力強く語った。
周辺の店舗も営業スタイルを変える
周辺の店舗も変わってきた。ポール・スミスやバーニーズ ニューヨーク、メルセデスベンツといったファッション、高級店が集まり出したうえ、飲食店も夜だけではなく日中に営業するところが増えた。
「東京ミッドタウン建設当時はランチを提供する店舗はごくわずかでした。建設作業員からは『食べるところがない』という不満が噴出していました(笑)。ですが、いまは周辺店舗のランチ営業は当たり前になりました」(中村氏)。
それはそうだろう。東京ミッドタウンの誕生は、1万数千人のビジネスパーソンを呼び込んだ。当然、施設内の飲食店だけではランチ需要をさばききれず、お昼時には多くのビジネスパーソンが昼食を求めて街へ散っていく。このビジネスチャンスを周辺の飲食店が見逃すはずはない。