理化学研究所(理研)は4月19日、哺乳類の子どもが親に運ばれる際にリラックスする「輸送反応」の仕組みの一端を、ヒトとマウスを用いて科学的に証明したと発表した。

同成果は、理研脳科学総合研究センター 黒田親和性社会行動研究ユニットのGianluca Esposito国際特別研究員と吉田さちね研究員、黒田公美ユニットリーダーらと、精神疾患動態研究チーム、トレント大学、麻布大学、埼玉県立小児医療センター、国立精神・神経医療センター、順天堂大学などによるもの。詳細は米国の科学雑誌「Current Biology」オンライン版に掲載されたほか、5月6日号にも掲載される予定。

哺乳類の赤ちゃんは未熟な状態で生まれ、親の手により子育てを受けて成長するため、親は子を守り、哺乳や保温といった「子育て行動」に必要な神経回路を備えている。また、子どもも親を覚え、慕って後を追い、泣くことで意思を伝えるなど、さまざまな「愛着行動」を本能的に行っているが、見た目に分かりやすく研究が容易な親の行動に比べ、子どもの行動はあまり研究されてこなかったという。しかしヒトでは例えば、親が泣く赤ちゃんを抱っこやおんぶして歩くことで、泣き止み、眠りやすいことが経験的に知られている。同様な親子の行動は、ネコ、ライオン、リスなどさまざまな哺乳類でも見られ、母親が仔を口にくわえて巣や安全な場所に運ぶときには、仔は運ばれやすいように丸くなる姿勢をとること(輸送反応)が知られているが、科学的な研究の対象として取り上げられるケースは少なく、その意義や神経メカニズムについてはあまりよく分かっていなかった。

今回、研究グループは、生後6カ月以内のヒトの赤ちゃんとその母親12組の協力を得て、母親に赤ちゃんを腕に抱いた状態で約30秒ごとに「座る・立って歩く」を繰り返してもらい、その際の赤ちゃんの行動を映像にて、また生理的反応を心電図を用いて記録して調査を行った。その結果、母親が歩いているときは座っている時に比べて、赤ちゃんの泣く量が約10分の1、と自発運動の量が約5分の1に低下し、心拍数は母親が歩き始めて約3秒程度で顕著に低下することが確認されたことから、母親が赤ちゃんを抱きながら歩くという行為は、赤ちゃんをリラックスさせる効果があることが科学的に証明されたこととなった。

母親が「座って抱っこ(Holding)」から「抱っこして歩く(Carrying)」の前後における、赤ちゃんの行動と心拍の変化。母親がX軸の0の時点で「座って抱っこ」(青)から「抱っこして歩く」(赤)に行動を切り替えると、数秒以内で赤ちゃんの動きが少なくなり、泣き止み、また心拍間隔が増加し(心拍が遅くなる)、リラックスしていることが判明した

さらに、この輸送反応の詳細な調査を目的に、同じ哺乳類のマウスを用いて解析を実施したところ、母親がマウスの仔を運ぶ動作に真似て、離乳前の仔マウスの首の後ろの皮膚をつまみあげると、人間と同様に自発運動や心拍数が低下することが確認されたほか、仔マウスが有する超音波で母親を呼ぶ習性の発声も何もしない時に比べて、約10分の1に低下することも確認されたとのことで、母親が子を運ぶときには、マウスでも人でも子が数秒程度で泣き止んで、おとなしくなり、リラックスすることが明らかになったという。

仔マウスをつまんだだけ(Holding)の状態からつまんで持ち上げる(Carrying)時の、仔マウスの心拍間隔の変化と仔マウスの超音波発声の回数。つまんだだけ(青)の時に比べて、グラフのX=0の時点で仔マウスを持ち上げる(赤)と、1秒以内に心拍間隔が顕著に増加し(心拍が遅くなる)、仔マウスの超音波発声回数も少なくなることが確認された

また、さまざま脳の機能障害を持つ遺伝子改変マウスを使って輸送反応のメカニズムを調べたところ、小脳皮質に異常のあるマウスでは、体を丸めて運ばれやすい姿勢をとるのが難しいことが判明したほか、リドカインで母親にくわえられている首後ろの皮膚の触覚を阻害したり、ピリドキシンで空中を運ばれている感覚を作る固有感覚を阻害したりすると、そのどちらの場合も仔マウスのおとなしくなる時間が短くなることが確認された。

小脳皮質が輸送反応時の姿勢制御に果たす役割。小脳皮質に異常があるマウスでは、つまんで持ち上げられた時にコンパクトな姿勢をとりにくくなる

仔マウスがおとなしくなる反応に必要な知覚入力。左はリドカインで仔マウスの首の後ろの皮膚を局所麻酔したもので、じっとしている時間が短くなることが分かった。右はピリドキシン投与で仔マウスの固有感覚を阻害したもので、じっとしている時間が短くなることが分かった。この2つの結果から、輸送反応時に仔マウスがおとなしくなるには、首の後ろの皮膚をつままれているという感覚と固有感覚が必要であることが分かった

これらから、輸送反応中の姿勢制御には小脳皮質が、おとなしくなる反応には首後ろの皮膚の触覚と空中を運ばれる固有感覚の両方が、それぞれ重要であることが示されたほか、触覚と固有感覚が同時に刺激されると、瞬時に子の副交感神経が興奮し、心拍数の低下した「リラックス状態」をもたらし、じっとしていない仔を母親が運ぶには、おとなしい仔に比べてより多くの時間が必要になることが判明。

仔マウスの固有感覚をピリドキシンで阻害した時の母マウスが仔マウスを救出するのに要した時間。ピリドキシン投与で、固有感覚を阻害した仔マウスと、阻害していない仔マウスをプラスチックカップ(左の図の点線)の中に入れ、母親が仔マウスをカップの中から救出するのに要した時間を測定、比較したものが右の図。ピリドキシンを投与した仔マウスは、輸送反応を示さず母親が助けようとしている間も暴れ、救出により時間がかかることが確認されたことから、仔の輸送反応は母親の子育てを助けていることが分かった

研究グループではこれらの成果から、仔が運ばれやすい格好でおとなしくするのは、もし運ばれているときに暴れて大きな鳴き声を出せば、危険が迫っている時に母マウスが仔を助けようとする行動を妨害することとなり、結果として仔自身の生存が危なくなることを避けるための行動と考えられると指摘する。

また研究グループでは、この考えを哺乳類全般に広げると、親子関係は最も重要な社会関係であり、それを維持するため、子どもも愛着行動によって親に協力しているということが考えられると説明するほか、輸送反応は、最も原始的な愛着行動の1つとして、ネコやネズミ、ヒトなどのさまざまな哺乳類で保存されていると推論できるとしており、親子関係が一方的なものではなく、双方の協力によって成り立つ相互作用であることを実証するものだとしている。

なお研究グループでは、子どもが泣き止まないことは親にとって大きなストレスになるため、子どもがどういう刺激で泣き止んだり、泣き始めたりしやすいのかを客観的に知ることにより、親の育児ストレスを軽減させることが可能になるとするほか、輸送反応に必要な神経機構の一端が明らかにされたことから今後、一部の脳機能障害などの理由で適切な輸送反応がうまく起きない場合に、どのような神経回路の問題が考えられるのかについて、手がかりを得ることができるようになるとの期待を述べている。