「OSSにコミットして世界が変わった。自分の書いたソースコードが世界中の人に見られると思うと心が弾んだし、20歳そこそこの自分が大人の社会に触れられる貴重な機会だった」――現在、グリー CTOの肩書きを持つ藤本真樹氏は、自身のキャリアを振り返り、このように語る。

今回は、かつてPHPの世界で名を馳せた藤本氏に、OSSコミュニティでの活動内容やエンジニアとしての幸せについて聞いたので、その模様をお伝えする。

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――早速ですが、藤本さんは、"ソフトウェアエンジニアにとっての幸せ"とはどういうものだとお考えですか?

藤本真樹 - グリー CTO。学生時代からアルバイトなどでソフトウェア開発に従事。卒業後、OSSのコンサルティング企業等に勤務しながら、PHPコミュニティに携わる。PHPコミュニティでは、イベントの主催やパッチの製作など、さまざまな活動を展開。同コミュニティで現 グリー 代表取締役社長の田中良和氏に出会い、CTOとして迎え入れられる。

藤本: いきなり難しい質問ですね(笑)。もちろん、答えは人によってさまざまだと思います。ソフトウェアがかたちになったときが楽しいという人もいるし、コーディングしているときが楽しいという人もいますよね。それぞれが楽しいと感じることをやれれば、それが幸せなのだと思います。

ちなみに、私の場合は、ソフトウェアをデザインしているときが一番楽しいですね。ソフトウェアが面白いと思うのは、作成者の手を離れても勝手に動くところです。ユーザーがどのように使うのかを考えながらデザインしているときはわくわくしますね。

――藤本さんはPHPコミュニティで活動されていましたが、プログラミング言語のコミュニティでは、自分でプロダクトをデザインするような機会はあまりないように思えます。PHPコミュニティに参加するきっかけは何だったんでしょうか?

藤本: PHPは、3.0からプログラムを処理するエンジンとして「Zend Engine」を採用していて、これをPHP本体から切り離して使うこともできるんです。私はそのZend Engineを使って、2000年ごろに「Aqua」というプログラミング言語を開発しました。その際にZend Engineの情報が必要だったため、PHPのコミュニティに参加するようになった、というのが経緯ですね。

その後、周囲から声をかけられたりして、徐々に活動範囲が広がっていき、さまざまな活動に関わるようになりました。具体的には、ドキュメントの日本語化作業に参加したり、カンファレンスの運営をお手伝いしたりといったかたちです。PHPは日本語が扱いにくかったので、それを改善するためのパッチを作って送ったりもしましたね。

PHPコミュニティで広く活動できたのは、先輩に恵まれたことも大きかったですね。彼らの斡旋により、Zend Engineの開発者にお会いしたり、PHPに関する記事を書かせてもらったりもしました。どれも貴重な体験です。

――プログラミング言語を作ろうなんて、すごい発想ですね。

藤本: 先ほども触れましたが、ソフトウェアに関しては、一度プログラムを作ると作者の手を離れても勝手に動くという振る舞いに興味がありました。その影響から、自分が使いやすい構文で動くプログラミング言語を作ってみようと考えたんです。

とはいえ、いきなりものすごいプログラミング言語を一から作り上げるというのは現実的ではない気がしていました。いろいろと検討してたどりついた結果が、Zend Engineを利用したAquaだったんです。

――AquaやPHPコミュニティでの活動を通じて、得られたものがあれば教えてください?

藤本: たくさんありますね。あの時期の活動がなければ、今の私はなかったと思います。

まず、世界観が広がり、ソフトウェアを開発するときに何に気を配らなければならないかを学べましたね。私は学生のときからプロダクトを公開したり、コミュニティに参加したりしていたのですが、一人で勉強していただけでは決してわからないであろうことがたくさんありました。

例えば、Aquaに関しては、Windows向けに開発したプロダクトだったのですが、「自分のOSでは動かない」だとか、「こういう使い方をしたいんだけど」だとか、思いもよらない要望をもらうことがありました。再現しない問題が出たり、中国で使っているといった連絡をもらったりすることもありましたね。

こういったユーザーの多様性は、一介の学生にはなかなか想像が及ばない部分なんです。実際、私も、さきほどのような経験をするまでわかりませんでしたし、その後は考え方が大きく変わりました。また、他OSへの対応を進めるうちに、ソフトウェア技術やプロダクトについて調べるスキルが身に付きましたし、設計時に考慮するべき点もわかるようになりました。あの頃は、飛躍的にスキルアップが遂げられた時期だと思います。

加えて、先ほど説明したとおり、PHPのコミュニティではパッチを送ることもあったんですが、これは気持ちが昂りましたね。自分が書いたソースコードを世界中の人に見てもらう機会なんて普段の生活ではありませんから。問題があればすぐに指摘が来ますので、しっかりしたソースコードを書かなければという意識も生まれました。

また、パッチを送ったり、ドキュメントを翻訳したりしていると、知名度が上がるという副次的なメリットもあります。私自身は別に名前を売ろうとは思っていなかったのですが、自分の成果物が多くの人に見られるようになった結果、私が何者なのかが理解されやすくなり、初対面の人とも話しやすくなりましたね。さらに、講演を頼まれることが増えるなど、活動範囲はどんどん広がっていきました。グリー 代表取締役社長の田中と出会ったのもPHPコミュニティです。

<2回目に続く>