I AM ROBOT AND PROUD×真鍋大度 -エレクトロミュージックとアートの融合

カナダ、トロント在住のエレクトロニカアーティスト、I AM ROBOT AND PROUDと、アーティスト、プログラマー、デザイナー、DJなど多様な肩書きを持つ真鍋大度氏の「MUSIC × INTERACTIVE ART」。セッションは、I AM ROBOT AND PROUDの音楽と、真鍋氏のインタラクティブアートのライブパフォーマンスによって構成された。

会場に美しい音色を響かせたI AM ROBOT AND PROUD

パフォーマンスの解説をする真鍋大度氏。前列の8名は口内にLEDを入れたパフォーマンスを披露

エレクトロをファクターとしながら、優しくも温もりを感じさせる音色を奏でるI AM ROBOT AND PROUDは、TENORI-ONなどを駆使してパフォーマンスを披露。一方、真鍋氏はYOUTUBEでも話題になった、音に合わせて顔に電気信号を送り表情を強制的に変化させる、electric stimulas to faceや、音に合わせて光るLEDを口内に入れたパフォーマンスでセッション。タナカカツキ氏が飛び入りでelectric stimulas to faceを行ったため、その表情の変化を見守る会場では笑いが起こるなど、音楽も相まって、終始、和やかな雰囲気でパフォーマンスは終了。「自分の音によって誰かが痛みを感じるのははじめて(笑)」とライブの印象を語ったI AM ROBOT AND PROUD。今後は、音を違うカタチで表現してみたいと語る真鍋氏とのコラボレーションも期待できそうなニュアンスを含みつつ、セッションは終了した。

飛び入り参加でelectric stimulas to faceを体験したタナカカツキ氏


辻川幸一郎×伊藤直樹 -制限を設けること=ディレクターの仕事

「MOVIE × INTERATCTIVE」と題されたセッションは、コーネリアスのPVやユニクロのCMなど、視点の置き所と表現方法が特異な映像作家の辻川幸一郎氏と、ナイキジャパンの「NIKE COSPLAY」などを手掛けたクリエイティブディレクターの伊藤直樹氏による対談。お互いの作品を紹介しつつ、この対談をきっかけに何かコラボレート案を創出したい、という前提をもってセッションは進行。辻川氏、伊藤氏ともに映像やWeb上での表現の性質、可能性などについて質問を交わしあうなど、それぞれの立場から積極的な意見もあり、見応えのあるセッションとなった。

辻川幸一郎氏の発想力は会話からも伺えた

伊藤直樹氏は、要点を端的にまとめ話しを進めた

Webという自由な表現の場、表現を無限に見ることのできる空間であるからこそ、「制限や制約」を設けるというおふたり。ディレクションとは、制限や制約のシミュレーションでもあり、自由さの中にディレクションを介在させることで作品として成立することを認識しあった。また、伊藤氏からはご自身にとっていくつか考えさせられるきっかけとなったサイトの紹介があり、Webサイトでの表現は、すでにあるコンテンツを利用して再構築することができることを両氏が指摘。それゆえに、面白いサイトこそ編集力の高さがあることを確認しあった。その他、動画における解像度についてなど、制作における実践的な話題も合わせて展開されていた。こちらも、コラボレーションが行われる可能性を残し、終了。


富野悠由季×中村勇吾 -表現とは? プロフェッショナルとは?

イベントを締めくくるのは、事前のアンケートで最も人気が高かったというセッション「INTERFACE×ANIMATION」。「ガンダム」シリーズなど、日本を代表するアニメーション監督である富野悠由季氏と、インタフェースデザイナーの中村勇吾氏による対談は、中村氏のリクエストにより実現。富野氏の対談集を読んだときから会ってみたかったという中村氏と、その中村氏に対して、映像への冷静な視点を持っている印象があるという富野氏の対談は、一貫した「表現」についての話題で終始した。

中村勇吾氏は、終始、インタビュアーの役割に専念

常に客席に話しかけるようにメッセージを投げかけていた富野悠由季氏

「人を育てることはできない」、「才能のある人は少ない」、「動画でもデザインでも少し制作できるからクリエイターというわけではない」と冒頭から富野氏の厳しい発言が続くも、会場はひとつひとつの言葉を真摯に受け止める雰囲気が満ちていた。アニメーションを一人で制作することは不可能であり、個々が自分の役割をしっかりと見つけることでスタジオワークが成立するという組織論から、現在とは異なり、アニメーションという特殊な表現が抱えてきた歴史的な偏見など経験談を含め、中村氏がインタビュアーに徹して対談は進行。ツールの肥大化による表現の未熟さ、プロフェッショナルとアマチュアの違い、ガンダムが作られた制作秘話から著作権についてなど、さまざまに内容は転換した。印象に残ったのは、物語性についてのやりとり。人が集まるコミュニティの核になるものは、物語性であるとする中村氏の意見に対し、歴史と物語を考えると行き着くのがアニミズムであり、それこそがアニメの語源であると語った富野氏。映像における物語性の必要性にも触れた。

途中、椅子から立ち上がったり舞台に座ったりした富野氏。緊張感あり、笑いあり、充実の90分に観客も満足

今後について中村氏は、グラフィック的な表現の延長としての映像を考えたいと語り、富野氏は、Webだからこそ、好きなものではなく、誰が見てもわかるといった公共性の高いものを作ることに映像の意味が見いだせると語った。公共性をいかに内面化するかがWebで重要な意味を持つと付け加え、対談は終了し、「PUBLIC/IMAGE.METHOD」も幕を閉じた。

数年前に比べれば、表現することに対する環境が目まぐるしく変化している現在、制作の過程や発表の場など、ツールやメディアの進化によってより自由度を増しているのは明らか。しかし同時に、アイディアやイメージがあり、カタチにしていくための「方法」はツールやメディアが解決してくれるわけではなく、それこそ生身で見つけていかねばならない。PUBLIC/IMAGE.METHODは、「今」という時代で何をどのように表現していくのか、さまざまな先駆者たちのメソッドを垣間見ることができた、貴重なイベントとなったのではないだろうか。