「ポスト周傑倫」が現れてもいい時期に

中国の国内音楽市場で、初めて「流行歌」としてヒットを記録したのは、1980年代初頭に李谷一が歌った「郷恋」だった。その後、1980年代半ばに、崔健が「一無所有(無一物)」で中国人にロックを教え、その後「黄土高坂」「我熱恋的故郷(我が熱愛の故郷)」と西北地域を歌う曲がヒットした。

1980年代末から1990年代初めにかけては、今度は香港や台湾の音楽が一世を風靡。1990年代末には「韓流」が流行した。世紀の変わり目、2000年には台湾の周傑倫が現れ、続いて新疆ウイグル出身の歌手、刀郎が現れた。「老鼠愛大米(ネズミはお米が好き)」を始めとする、インターネット発のヒット曲が現れたのもこのころで、歌手の出身地や楽曲のオリジナリティが多様化する傾向が明らかとなった。

もっとも、それぞれのジャンルはせいぜい3~5年しか流行らない。流行の変遷サイクルが加速度的に短くなっているのだ。何が流行するかは常に人々の予想を超えるもので、10年を超えてヒットし続けるジャンルはまずない。周傑倫が2000年に初登場して以来既に7年の歳月が経つが、そろそろ新しいトレンドの音楽が現れてもおかしくない時期にきている。

のど自慢が大流行、多くの歌手を輩出

中国では、地方テレビ局の湖南電視台などが仕掛けた、いわゆる「のど自慢」的な番組が2005年、2006年に大受けしたが、2007年からはそうした流れにも打ち止め感が見えてきている。要するに、もう注目される話題ではなくなったのだ。

2007年後半、音楽業界にはここ2、3年にのど自慢の選抜で選ばれた歌手が何百人も存在していた。たが、当然業界側ではそれほど多くの歌手を使い切ることはできなかった。選ばれた歌手たちの生き残り競争は、今後一層熾烈なものとなるだろう。

もちろん、のど自慢を支えているファンはそれほど多くの数ではないため、曲が売れる数にも限界があり、のど自慢発の歌手が第一線の歌手として活動していくことは難しい。そのため、新たに広範な層のファンを引き付ける必要がある。レコード業界が低迷する中、こうした新人歌手たちは十分にその才能を発揮することができないまま、ほとんどが表舞台から消えつつある。

レコード業界とは、歌手(タレント)を発掘し、きらびやかに装飾し、消費者の心をつかんで、持続的に消費をさせることを目指す。音楽は誰でも聞くが、レコードを購入するところまでいくかどうかは別問題。熱狂的なファンでないと、なかなか最後の消費のところまではいかないものなのである。