2012年3月に日本初の本格LCC(低コスト航空会社)として運航を開始したピーチ・アビエーション(以下、ピーチ)が3年目に入った今年、当初の目標通り黒字化を達成した。ただ、「黒字達成」と聞いて、「おおっ、景気のいい話だな」などと無邪気に喜ぶ人は今やそう多くはないだろう。LCCにはLCCの"世界基準"があるのだ。

日本のLCCは総じてサービスは悪くない。ピーチは機内食に地元・大阪のお好み焼きを採用して好評を得たり、空港にいるスタッフが自動チェックイン機の使い方を親切に説明することもある

コストを抑えるための戦略

LCCは英語で「Low Cost Carrier」と表記されるように、乗客に提供する運賃が安いと同時にコスト(経費)を低く抑えている航空会社である。ピーチに続きジェットスター・ジャパンやエアアジア・ジャパン(現バニラエア)などが続々と就航し、一時、LCCブームを巻き起こしたことで、LCCの経費削減の手段が盛んに報道されるようになった。

飛行機を単一化する、空港のターミナルをアクセスが不便なバジェット(LCC専用)ビルにする、搭乗橋(ボーディングブリッジ)を使わず駐機場までバスで移動する、事務所を街中ではなく空港などの家賃の安い場所に置くなど、設備費用を極力削るのは全て安い運賃を提供するためである。食事や毛布の配布、預け荷物などのサービスを有料で提供するのは、営業費用をまかなうためである。

社員への待遇が手厚いサウスエスト

そして、人件費ももちろん経費であるから削減の対象になり得るが、LCCの"老舗"と言われるアメリカ・サウスウエスト航空は、人件費を削らない方針をとっていることで有名だ。従業員持株制度なども採用している。LCCとはいえ、サウスウエスト航空は今やアメリカ国内の旅客数(定期便)では大手をしのぐまでに成長し、人件費にかけるコストの割合も大手をしのぐほどである。

「従業員を守れ。顧客がいつも正しいとは限らない」(『破天荒!サウスウエスト航空-驚愕の経営』より)とまで言っているほどだ。ただし、これは接客をおろそかにしているというわけではなく、従業員が自分たちは確かに一番大切にされていると感じた時に、会社との信頼感が生まれ、その信頼感が優れたサービスにつながるとの考えからだ。

もちろん理想ばかりでは経営は成り立たない。安くはない人件費を支えることができる環境がアメリカにはあった。飛行機社会であり航空自由化も進んだアメリカでは増便もしやすかった。LCCは運賃が安いため1便当たりの利益幅は薄いが、便数を増やせば利益を積み上げられる。つまり、多頻度運航によって人件費をねん出してきた面が大きいのだ。

サウスウエスト航空機。LCCとはいえ、今や「大手」といえる規模に成長し、LCC経営の理想とされている

社員に訴えられたライアンエアー

一方、サウスウエスト航空とは全く逆といえる方針で成長したのがヨーロッパ最大手のLCCであるライアンエアーだ。ライアンエアーは、立ち席にすることで座席数を増やして利益を上げる、座席スペースを拡大するためにトイレを撤廃するなど、およそ客を客とは思わないような奇抜なアイデアを発信するLCCとして有名だが、従業員への対応も推して知るべしだろう。

数字にもはっきりと表れており、コスト全体に占める人件費の割合はサウスウエスト航空が約17%なのに対し、ライアンエアーは約12.5%(05年時点)である。労使関係をめぐって裁判に訴えられたこともあるほどだ。また、インターネットで手続きするべきことを忘れて空港へ行くと高額な追加手数料を徴収されるなど、サービスの評判も日本人旅行者には総じて芳しくない。

日本の環境に合ったピーチのビジネスモデル

そして、ピーチはどちらかといえば後者ライエンエアーに近いビジネスモデルで運航を行っている。もちろん、労使関係に関する法律も社会的な事情もヨーロッパやアメリカと日本とでは異なるわけだが、ピーチの井上慎一CEOは講演でライアンエアーの人材育成を例に挙げるなどしている。スタッフは契約社員で契約期間は3年。会社設立から3年を迎えた今年2月頃には、実際に退職した社員も少なからずいた。

日本はアメリカほど航空自由化が進んでおらず、運航の頻度も深夜・早朝便の需要も飛行機社会と言われるほどではない。また、パイロット不足により多頻度運航には限界が出てきた。一方で、航空会社の仕事はいまだに人気があり、キャビンアテンダント(CA)の場合、10年勤めれば年収1,000万円を超えた古き良き時代に比べれば、現在は4分の1の250万円前後。それでも、新規採用における倍率は20倍とも言われる超買い手市場。いくらでも変わりはいる環境である。

もちろんこれはピーチに限ったことではなく、同じ環境で競争するジェットスター・ジャパンやバニラエアなども大きな違いはない。つまり、ピーチのビジネスモデルは正解とも言えるわけで、また、労使間の問題は法に触れない限り外からとやかく言えるものでもない。

安い運賃を求める乗客がいて、それを提供するために高いとは言えない賃金で働くスタッフがいる。経済格差が広がっている日本の航空業界にも、いくつかの業種と同様に"世界基準"の雇用環境が生まれたということなのだろう。

筆者プロフィール : 緒方信一郎

航空・旅行ジャーナリスト。旅行業界誌・旅行雑誌の記者・編集者として活動し独立。25年以上にわたり航空・旅行をテーマに雑誌や新聞、テレビ、ラジオ、インターネットなど様々なメディアで執筆・コメント・解説を行う。著書に『業界のプロが本音で教える 絶対トクする!海外旅行の新常識』など。