山口氏は震災で既存メディアの限界を感じたという

元週刊朝日編集長の山口一臣氏は、「週刊誌の原点は現場に記者を派遣して、映像では伝えきれないことをすくいあげてくること。テレビでは流れていってしまう情報をスチール写真で残し、記録性を持ったツールとして支持されているのでは。また避難所に新聞を持って行くと回し読みされたりと、新聞の価値も見直されるきっかけになった」と、紙媒体の価値を再確認したと述べつつも、福島原発事故の情報を隠蔽したことで日本の報道国際ランキングが大幅にダウンしたことに対しては、「情けないことに、政府や東電から出てくる情報を否定するだけの材料がなかった」と反省する。

その裏にあるのは、「メディアは確実な情報でないと書けない」(山口氏)という事情だ。

「例えば甲状腺がんと福島原発事故の関係性についても、検証するソースがなく判断がつかないと、新聞などでは書けない。可能性を把握した上で両論併記することも最近のユーザーにはいいが、ちょっと古い読者になると、じゃあどっちなんだよとなる。」(山口氏)

また、商業メディアにはもう一つの問題があると杉本氏は指摘する。それは、「時間が経つにつれて収益性に結びつかない情報の扱いが少なくっていく」という点だ。これを補完するのがネットの役割であり、杉本氏によれば「ネットそのものは商業メディアではないので、話題性うんぬんではなく必要な情報はこれからも継続的に出てくる。個人がメディア化することで議論が起こり、マスメディアにも影響を与えられる」ことが利点なのだという。

この意見に山口氏は同意しながらも、「出版事業には売れなくても必要な本は出していくという使命がある。売れる記事で週刊誌の存在をキープしながら必要な記事をしっかり書いていく。実際に、原発のその後についてはどの週刊誌も書いている」と反論した。

では今後、メディアは、そして情報の受け手である個人はどうしていくべきなのか。

杉本氏は「ネットは相互通信が当たり前で、マスメディアが提供してくれたテーマをもとにミクロな情報に落としこんでいく」ことで、「情報のリテラシーが上がってきた」としながらも、「不必要な情報もあるので、自分なりにフィルタリングしていくことが大切」と述べる。それは、ネットと従来のメディアが結託することで「社会監視装置として国や企業に対して適正な情報を引き出すよう議論を投げかけていく」ことでもある。……続きを読む