• 企業独自の福利厚生がもたらすメリットとは

企業で働くビジネスパーソンにとって、福利厚生は会社選びのポイントの一つだ。しかし、その内容を戦略的に設計できている企業は、必ずしも多くはないのではないだろうか。

福利厚生の制度を戦略的に策定することで、企業にはどのようなメリットがあるのか。「企業の人材を活性化させるためにも、福利厚生を有効な投資として戦略的な対応を行うことが大事」と話す西久保浩二氏に、福利厚生がもたらすメリットや制度設計のポイントについて伺った。

賃金にはない、福利厚生がもたらすメリット

――会社選びの重要なポイントの一つとして「福利厚生」をチェックするビジネスパーソンは多いと思います。現代において、福利厚生という制度は「当たり前に存在しているもの」という認識が強いと思うのですが、そもそも日本では、いつ頃から福利厚生の制度が形成されたのでしょうか。

一般的に近代的な福利厚生の成立は、産業革命と同時期だと言われています。日本では明治維新以降ですね。

それまでは、家でモノを作る「家内制手工業」が中心でしたが、明治維新以降は労働者が遠く離れた場所で仕事をする「工場制機械工業」が主流となりました。

家で仕事をしていた頃は、食事やお風呂などに不自由することはありませんでしたが、遠くの工場に集まって仕事をするとなった瞬間、これまで家庭が提供していた衣食住を経営者が提供しなければならなくなったわけです。

つまり福利厚生は、企業形態の変化に伴い必然的に生まれた制度だと言えます。

――労働力を確保するために賃金以外のサポートをする必要があったということですね。その後、現代では法律により事業主が負担することが定められている法定福利厚生(※)だけでなく、特に提供することが義務付けられていない独自の制度(法定外福利厚生)を導入する企業が一般的となりました。企業が法定外の福利厚生を提供するのはなぜでしょうか。

経営的な効果が見込まれるからです。例えば企業が採用力を高めたい場合や、優秀な社員に定着してもらいたい場合、福利厚生を充実させることは有効な戦略です。居心地の良い環境を整えれば、従業員はその企業から離れることをリスクだと認識しますから。

近年は採用や定着だけでなく、従業員のモチベーションやエンゲージメント向上にも福利厚生がさまざまな形で影響を与えることが分かってきました。企業は今、福利厚生のこうした側面を人材戦略に生かしたいと考えるようになっています。

(※)2024年現在では社会保険(公的医療保険・厚生年金保険、雇用保険、労災保険、介護保険)、子ども・子育て拠出金の6種類を指し、所定の費用を支払うことが義務づけられている

――その一方で、「賃金以外の報酬」である福利厚生制度を整えて実行するにも、一定のコストがかかると感じます。賃金にそのコストをそのまま上乗せするのではなく、福利厚生という形でコストをかけるのには、何か理由があるのでしょうか。

賃金だけでは全ての従業員ニーズを賄えない、ということが考えられます。

例えばですが、近年、自分の子どもを希望の保育施設に入れることが大変というケースも少なくありません。もし育児手当のような金銭給付を与えたとしても、現物としての保育サービスの効果を得ることは難しいと思います。そのため、育児支援に注力する企業では事業所内に施設を設けるなどしています。

――お金があるだけでは解消できない従業員ニーズは、確かに少なくなさそうです。

また、社員に自己啓発手当として金銭を渡しても、実際は期待した用途以外で使われてしまうかもしれません。しかし、例えばeラーニングのコースを終了したら報奨金を支払うなどの仕掛けをすれば、従業員に学習を促すことができます。

このように福利厚生には、「現物給付性」や「使徒限定性」といった賃金にはない特徴があります。これらの特徴を生かした福利厚生制度設計によって、企業は賃金だけでは得られない満足感を従業員に与えつつ、一定の方向に誘導することもできるのです。

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価値観が多様化した時代、画一的な福利厚生制度だけでは不十分

――お話を聞くと、福利厚生は従業員のニーズを踏まえたうえで設計していくことも重要に感じます。企業が独自で提供する福利厚生の内容は、時代とともにどのように変化してきましたか。

日本の労働者が今よりもずっと貧しかった戦後は、衣食住に関する「経済的な豊かさ」を実感させる制度が効果的でした。社宅や社員食堂、制服の提供などですね。

特に人気があったのは住宅関連の手当です。地価が上昇し続け、家賃が最も重い生活の負担となっていた時代に、独身寮や社宅に格安で住める制度は非常に魅力的でした。

――豊かな生活をするために、安いコストで従業員が利用できるものを提供することが喜ばれたんですね。

はい。昔は従業員を画一的に見ていたとしても、貧しさの中で求められる「豊かさ」さえ提供していれば、多くの人を惹きつけることができていたんです。

しかし、経済が発展し多くの人が以前よりも便利で快適な生活を送れるようになりました。そんな豊かな時代で育った現代の労働者は、皆がかつてと同じような制度を求めているわけではありません。

家賃補助といった住宅関連の手当は引き続き人気ではあるものの、大企業層でも独身寮や社宅の空室率は3割に達しているとも言われています。「会社が用意したところには住みたくない」「寮だと相部屋になるから嫌」といった反応はもう典型的ですね。

従来のように衣食住の支援が充実しているだけでは、魅力的な会社とは見られなくなっています。

効果的な制度を作るために、人事部は「誰のため」を明確にする

――たしかに、働き方やライフスタイルの多様化もあり、画一的な福利厚生制度だけでは従業員のニーズを満たせないケースも増えてきているように感じます。今、人気があるのはどのような制度なのでしょう?

現代のビジネスパーソンに特に人気の高い福利厚生の制度は大きく3つあり、「フィナンシャル・ウェルビーイングの支援制度」「健康関連の制度」「自己啓発の支援制度」があります。

「フィナンシャル・ウェルビーイングの支援制度」は、ざっくり言うとお金に関する不安を解消させ、将来の自身の経済面に安心感を持ってもらうための支援制度です。

――先ほど「豊かな時代」といったお話がありましたが、将来の「お金の不安」は現役世代の方がよりシビアだと思います。物質的・経済的な豊かさは十分かもしれませんが、先のことを考えても良くなる兆しが見えないと言いますか……。

おっしゃる通り、若者の多くはお金の不安を感じていると思います。そのため、マネープランセミナーなどの教育や、団体型個人年金などの貯蓄制度は人気があります。

「この会社にいれば老後の資産は十分に形成できる」という安心感の形成は、従業員エンゲージメントの強化にも極めて有効です。なお資産形成制度の多くは、退職するとメリットがなくなってしまうものがほとんどですから、離職防止の効果も期待できます。

――二つ目の「健康関連の制度」、三つ目の「自己啓発の支援制度」についてはいかがでしょうか?

「健康関連の制度」に関しては、近年特にフィジカルな健康だけでなく、メンタルも含めた健康維持に役立つ制度の人気が高まっています。

例えば、本人が「楽しい」と感じた体験に対し費用を補助する制度を設けている企業もあります。従業員はこの制度を利用して同僚とボーリングに行ってもいいですし、家族や友人とキャンプに行っても構いません。仕事以外の活動によって精神的なストレスを緩和したり、従業員間でより良い関係性を築いてもらったりする効果が見込まれます。

スポーツ大会などのレクリエーションを健康促進・交流促進の目的で導入する企業もあります。ただ最近は全社で集まるというよりも、普段から気心の知れた社内の仲間たちが集まって行うスポーツイベントなどへの支援が人気のようですね。

かつては社員旅行のような強制イベントが多くの会社で行われていましたが、今は社員が進んで参加したくなるような制度やイベントが支持されています。

三つ目の「自己啓発の支援制度」は、コロナ禍以降、自己啓発に対する従業員側のニーズが高まっており、若いうちから知識を身に付けて専門性を高めたいと考える人が増えています。

――企業側としても、支援したことで仕事にも還元するようなことがあれば双方にとってメリットがありそうです。

特にIT企業は資格取得や語学、IT関連の知識の習得支援には本気で取り組んでいますし、働く側もそうした環境が整っている会社を選ぶ傾向にあります。

ほかにも勉強のための雑誌購読や図書購入費、セミナー参加費用の補助などもここに当てはまりますね。

近年特に人気の制度はおおよそこの3つになりますが、これらの制度を導入すればどの企業でもうまくいくわけではありません。従業員のニーズを丁寧に拾うことで、自社に最適な制度を作っていくプロセスが大切です。

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――働く人々のニーズを制度に落とし込む際のポイントはありますか。

手っ取り早いのは、福利厚生の企画委員会のような組織を立ち上げて、そこに社員を巻き込むことです。若手グループ、女性グループなどで構成して提案してもらうといったことが考えられます。

福利厚生制度というと「会社が従業員に与えるもの」というイメージがあるかもしれませんが、本当に価値のある制度は、会社と従業員がともに作る過程で生まれるものです。社員の声にきちんと耳を傾けることで、備えるべき制度は自ずと見えてくるのではないでしょうか。

――その一方で、いざ制度を用意しても、活用してほしい社員ほど利用しないケースもありそうです。本当に制度を使ってほしい従業員に制度を使ってもらうために、人事部ができることはありますか。

「活躍している社員のために制度を作ったのに、その社員があまり制度を使ってくれない」といった問題は以前からありました。

そうならないためには、最も福利厚生の制度を使ってほしい人、つまり自社で活躍している中核社員をターゲットとした制度を設計することが必要です。

忙しいことが予想される中核社員をターゲットに定めたなら、まとまった時間を必要とするイベント系の施策よりも、簡単な手続きで使える制度をまず提供するべきでしょう。例として、コロナ渦で広がった宅食サービスなどは、多忙な社員には助かっているようです。

企業と従業員がお互いにとって本当に効果的な制度を作るために、人事部は「誰のため」を明確にして制度を設計するように心がけてみてください。

人的資本経営を推進し、労働市場での存在感を高める

――近年は働き方が変化し、リモートワークをする人が増えました。こうした環境で特に求められている福利厚生の制度はありますか。

リモートワークは便利な反面、さまざまなストレスを伴います。同じ空間に家族がいて、子どもが走り回っているような状況では、生産性は落ちますし、夫婦間で育児の押し付け合いも起きるでしょう。介護をしている家庭においても、相手と常に一緒にいることのストレスが生産性の低下につながっているという報告があります。

こうした状況を踏まえると、リモートワークによって生まれてしまった新たな問題を、福利厚生でいかに和らげるかがポイントだと言えます。

特に重宝されているのは、育児ヘルパー支援、家事支援などの制度です。この制度を使えば、休園など子どもを保育園に預けられないときも見てもらえるケースもありますし、土日も利用が可能なため、保育園と合わせて利用することができます。

さらに大手企業では、介護施設の斡旋サービスを直接行うケースも拡大しています。リモートワークだけでなく、例えば大手商社は、従業員に安心して海外勤務にあたってもらうために、介護施設を紹介することで従業員の負担を減らしています。

――リモートワークができるかどうか、という点も会社選びをするうえで重視する人が増えてきているからこそ、それを支えたり、快適にしたりする福利厚生の提供は重要なんですね。

最近は通勤手当の上限を撤廃する企業も出てきました。企業はリモートワークをする従業員にリゾートや実家のある地方などの遠隔地に住むことを認めつつも、月数回の出社を求めるケースもあるでしょう。その場合、出勤に新幹線や飛行機が使われたとしても、交通費を全額支給するんです。

現在、通勤交通費の損金算入は10万円が上限だと定められていますが、それを超えた分も会社が支援すると割り切っているんですね。

リモートワークに対応したこのような制度があると、企業は全国から従業員を採用しやすくなるというメリットも得られるでしょう。

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――雇用が流動化し、多様な雇用形態の従業員が増える中で、人材の確保や定着を促すためにはどのような福利厚生の戦略が必要でしょうか。

最も大切なのは、人気の制度を取り入れることでも、従業員のニーズにべったりと寄り添うことでもありません。人事部は、企業の経営課題の解決に役立つ制度の導入に何より注力するべきです。

もし採用力の向上が課題なら、特に採用したい人材ターゲットに効果的と思われる施策を選び、コストをかけて良い制度を作り上げる。ここでは福利厚生もですが、勤務形態なども関連してくるでしょう。

新卒採用と中途採用でも、効果的な制度は変わってきます。初めて地元から離れて暮らす社員にとって独身寮や住宅手当はありがたいですが、すでに持ち家のある管理職世代ならば、教育費支援や住宅ローン金利補助などの方が注目されるのではないでしょうか。

そして一定の成果が上がったら、今度は次の課題に対して効果的な制度を作る。メンタルヘルスに関する課題感があるのであれば、ヘルスケアサポートなどの制度を充実させる……というように、今企業が最も成長に必要としている課題解決に集中する「戦略的福利厚生」を継続することが重要です。

それと同時に心がけてほしいのは、苦労して作った制度を社内外にきちんと発信するということです。日本企業はこの発信が弱く、従業員でさえ自社の福利厚生についてよく知らないことが少なくありません。

制度を作ったら、採用したいターゲットや社内に向かってきちんと発信することで、より高い効果を得られるようになります。

――人事部にはマーケティング的な思考も求められるのですね。戦略的福利厚生を実施できる組織になるために、人事部はまずは何から始めれば良いでしょうか。

近年求められている人的資本経営の考え方と、福利厚生の戦略を重ね合わせると良いと思います。

今は人的資本経営にきちんと取り組んで社員に投資している会社が、労働市場の中で評価を高めています。自社の人材マネジメントに対する考え方を対外的にアピールするためには、経営層を含めた他部署ともきちんと連携し、人材に対する投資の効果を定量化する動きが大切です。

例えばエンゲージメントスコアと福利厚生の利用頻度は、相関が出ることが多いです。こうしたエビデンスをまずは社内にきちんと見せていくことで、福利厚生の効果を明らかにし、他の戦略との関連も踏まえて総合的な人材マネジメントを行っていく姿勢が、これからの人事部には求められるのだと思います。

取材・執筆:一本麻衣
編集協力:はてな編集部

西久保浩二(山梨大学 名誉教授)

神戸大学卒業後、大手生命保険会社勤務、傍ら筑波大学大学院修士・博士課程で学ぶ。東京大学客員准教授を経て、2006年山梨大学教授。現在、山梨大学名誉教授、政策研究大学院大学客員研究員、日本大学商学研究所研究員。一貫して福利厚生に関する実証研究に従事。主著として『戦略的福利厚生 人材投資としての福利厚生』『戦略的福利厚生 経営的効果とその戦略貢献性』(日本労務学会 学会賞)など。また、「国家公務員の福利厚生のあり方に関する研究会(総務省)」座長。「福利厚生表彰・認証制度(ハタラクエール)」審査委員長などの多数の公職を歴任。2024年、福利厚生戦略研究所を設立。

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