日経新聞の本領発揮

かつて「クーポン」といえば紙でした。折込チラシの端に刷り込まれ、名刺大のチケット風のもの、値引きだけではなく、友だちと同伴したときだけ受けられる特典など、見た目と内容に工夫を凝らしたものです。狙い通りお客の財布に侵入できても、忘れられては期限切れになってしまいます。実はその「期限」も、時間を区切ることにより、利用を促進する狙いがあります。いまではガラケーやスマホ向けに配信される「クーポン」が増えました。紙のクーポンでお財布を膨らませる必要はなく、画面を見せれば特典を享受できます。しかし、携帯電話はすでに一人一台に行き渡り、その半分近くがスマホに置き換わった今でも、「紙版」の需要が絶えないところにクーポンの真実が隠れています。

大日本印刷とイオンは、さらに踏み込み「提示不要」のクーポンサービスを開始します。お客は小売店が配信したクーポンをスマホで受けとり、望みの商品をチェックしておけば、購入時に自動的に値引きなどの特典が与えられるという仕組みです。クレジット機能付きの会員カードと紐付けすることで実現します。これを日経新聞は

"混雑・使い忘れ防ぐ"

と打ち出し、この販促手法を「CLO(カード・リンクド・オファー)」と呼び、

"米国で普及し始めた最新のクーポン配信の手法"

と2014年7月25日付朝刊で伝えます。従来のクーポンのように、客が提示し、スタッフが確認する手間がいらず、客も使い忘れずに済み、さらにはレジの混雑を防げる…とはさすが企業の広報誌だけのことはあります。

優越感という武器

合理的な仕組みではあります。しかし、そもそもクーポンを配信する目的は「ロイヤリティ(顧客忠誠心・満足)」の向上です。クーポンを提示した刹那、うやうやしく店員は特典を告げ、レジを操作します。ピッという電子音が店内に響き、値引き金額が映しだされ、他の客が羨望のまなざしを送ります。その特別扱いによる「優越感」こそがクーポンのもつ魅力です。さらにクーポンの授受や提示といったやり取りとは、ささやかながらもコミュニケーションであり、人間同士の接点を作りだすものです。そして一連の様子を見ていた他の客が、クーポンを求め会員登録することも期待できます。

ところが自動的に処理されるCLOにはこれがありません。自動処理されるのですから単なる値引きです。クーポン授受という手間を混雑の発生要因とみれば、その解消は双方の利便性を高めます。使い忘れ防止はお客の利益になるかもしれません。しかし、波及効果を含めた販促効果は確実に低下する「クーポン0.2」です。自動化により生み出す「便利」とは、「満足」や「幸福」と同義語ではないのです。

また、米国で普及したサービスが、必ず日本で流行るわけではありません。特に消費行動において、両者の違いは明らかです。

「いろはす」のためだけに

週末ごとに、大型ショッピングセンターでまとめ買いをするアメリカ人に対して、浮いたわずかなお金を、別の商品に注ぎ込むことを期待できます。100円程度のキャッシュバックならば、その場で「ガム」を追加購入するということで、来店頻度(コスト)から考えれば経済合理性の高い選択です。

一方、クーポンにより得たメリットを、他の商品の購入で相殺しない日本人は少なくありません。ネットキャンペーンでプレゼントされた『い・ろ・は・すみかん555ml』一本を引き替えるためだけに、コンビニへと足を運ぶ主婦は実在します。特別なケチ…倹約家という訳ではありません。目的の完遂を優先する、禁欲的なまでの勤勉さともいえ、なにより、たかが100円前後の商品のために、わざわざ店舗に足を運べるのは、日常の行動半径に多くの小売店があり、スーパーマーケット、コンビニ、ドラッグストア、ついでに「キオスク」まで含めれば、ほぼ毎日、買い物をする日本人のライフスタイルのなせるわざです。

CLOと日本人

そもそも「CLO」とは、米国の銀行が考え、始めたサービスです。米国では銀行が、クレジットカードやデビットカードを発行しており、自社のカード利用を促すために、カードの利用履歴という個人情報を元に広告配信を始めたのです。実際に購入に至れば、広告を出稿した加盟店から手数料収入がはいる仕組みです。クレジットカードの利用履歴とは究極の個人情報で、銀行がお客の「性癖」を特定するということです。ベネッセの個人情報流出であれだけ大騒ぎした日本人が、甘受するでしょうか。

日経新聞が報じたのは、「イオン」の取り組みで、小売店が主体になることで個人情報が利用されることへの抵抗感は若干薄らぐかもしれません。しかし、面白い記事をイオンのサイトに発見しました。

"「イオンスクエアかざすサービス」は、7月31日(木)をもって終了します。"

専用アプリをインストールしたスマホをレジにかざせば、特典が受けられるというクーポンサービスの終了告知です。2010年10月のサービス開始から4年と持たずに撤退します。クーポンの失敗を、イオンは「かざす」に求め「自動」にチャレンジするのかもしれません。しかし、先に指摘したようにクーポンの狙いはロイヤリティの育成にあり、「かざす」はそれに失敗したということです。お客にとって大切なことは「クーポンの中身」であって、「かざす・かざさない」といった方法論ではありません。いまだにかさばる「紙版」が廃れていない理由です。

エンタープライズ1.0への箴言


「Webは道具。販促の絶対条件ではない」

宮脇 睦(みやわき あつし)
プログラマーを振り出しにさまざまな社会経験を積んだ後、有限会社アズモードを設立。営業の現場を知る強みを生かし、Webとリアルビジネスの融合を目指した「営業戦略付きホームページ」を提供している。コラムニストとして精力的に活動し、「Web担当者Forum(インプレスビジネスメディア)」、「通販支援ブログ(スクロール360)」でも連載しているほか、漫画原作も手がける。著書に『Web2.0が殺すもの』『楽天市場がなくなる日』(ともに洋泉社)がある。最新刊は7月10日に発行された電子書籍「食べログ化する政治~ネット世論と幼児化と山本太郎~」

筆者ブログ「ITジャーナリスト宮脇睦の本当のことが言えない世界の片隅で」