インドのマンモハン・シン首相が来日した。折しも尖閣諸島の事件に端を発した日中対立問題が過熱している最中であり、中国と並ぶ新興国の雄 インドに対して、与野党、メディア、経済界の区別なく日本が沸いた。日本にこんなに親印家が多かったのかと不思議ですらある。

シン首相の狙い

シン首相の狙いはひとつ。EPA締結を機に、さらに日本からの投資を呼び込むことであろう。ムードは最高、インド政府にとっては大成功の訪日だったはずだ。

では、日印の狙いは本当に一致していたのだろうか。これに関しては少し疑問である。日本側の政治的思惑は空振りであろう。

ハノイでの印中両首脳の会談にとどまらず、万博最終日には温首相がインドパビリオンを訪問して蜜月ぶりを演出した。経済面ではどうか。韓国から買えば良いとでも思っているのか、原子力発電に関してはインド側の熱意は感じられない。「もっと協議する必要がある」とのスタンスである。レアアースに関する方向性は一致しているが、すべて"これから"の話である。その他の話は以前から言われていることばかりである。

しかし、経団連との昼食会におけるシン首相の挨拶は、インド側の狙いをはっきりと表している。「日本からの投資が水の供給や廃棄物処理などのインドのインフラ整備でかなり大きな役割を果たすことを期待している」と述べられているように、インフラといっても、彼らの狙いは「水」なのである。

インドの最重要産業は農業

インドで最も重要な産業はITでも製薬でもない。繊維産業でもない。農業である。

国土は中国の1/3ながら、中国の2倍の灌漑可能耕作地を持ち、12億人が自給自足できている農業国である。農業がインドの最大の武器である。

国民の7割が農村部に住み、農業を支えている。格差の問題、カーストの問題、いつ爆発するかわからない問題も、農村部が最も危険である。農民を食べさせることができなくなればインドは崩壊する。だからこそ第二次産業を育成して農民の現金収入の途を作ろうと必死になっている。だから、輸出を止めてでも貧困層に米を安く配った。

独立以来、インドの農業における生産性は飛躍的に向上した。「緑の革命」である。人口増加以上に農業生産高が増え、自給自足体制を作った。それを支えたのが井戸水による灌漑と農薬である。インドは、そうやって貧困層の不満の爆発を防いできた。

伸びが止まった農業成長率

しかしここ数年、インドの農業成長率が鈍化してきた。JETROの資料では1.2%まで落ちてきた。

いくらなんでも富裕層は農薬漬けの野菜は敬遠する。全体の生産高を落としてでも低農薬の野菜がもてはやされる。深刻なのは水不足である。

NASAの調査では、すでに北インドの地下水が10年間で10フィートも水位が低下したとされる。故に水争いも激化している。雨が降れば洪水、降らなければ土は乾き、ひび割れる。

井戸を掘るために借金をしたが、100メートル掘っても水が出ずに自殺したとか、妻や娘を売ったとか、こんな話が毎年繰り返されている。自殺者はここ10年で16万人以上、借金して井戸を掘り農薬を買ったが、返済できないのである。

大雨の被害を伝える地元紙

水害の被害を伝えるTHE HINDU紙

チェンナイの大雨を伝えるTIMES CITY紙

アフリカ最貧国26ヵ国より貧しい東部8州と赤い回廊

国連の調査によると、インドの東部8州、人口4億2,100万人の地域は、アフリカ最貧国26カ国(人口4億1,000万人)の地域より貧困状態とのことだ。ここはインドの経済発展とは無縁の地である。

もちろん、各州の州都周辺は別である。西ベンガル州の州都はコルカタ(旧カルカッタ)であり、最近では郊外にIT企業も集結している。しかしそこを一歩出ると最貧困地帯である。

経済特区ができると土地を取り上げられる、わずかな水も工場に取られる。だから強力に反対する。

昨年、西ベンガル州の共産党政権とタタ自動車がナノの工場を作ろうとしたが失敗した。ジャルカンド州などに建設しようとした欧州ミタルや韓国ポスコの製鉄所の計画も進まない。農民の土地と水を奪おうとしたからである。

この地域には世界有数の鉄鉱石の鉱床がある。石炭もボーキサイトも、そしてダイヤモンドまでも眠っている。しかしこの地域を支配しているのは毛沢東派である。ただし、毛派といっても中国とは無関係だ。

毛派は東部の村の集合体であるナクサルバリにちなんで「ナクサライト」と呼ばれ、最貧困層の農民を基盤として武装闘争を続けている。政府軍も手を出せない「赤い回廊」といわれる地帯である。

日本が期待するレアアースもこの地域にある。レアアースを採取するにも製鉄所を作るにも、まずは農民が貧困から脱することができなければ夢物語である。

その鍵が「水」である。インドが期待するインフラ投資がこれである。

中国の砂漠化と戦う最前線

2009年の4月末、筆者は中国・寧夏回族自治区の区都 銀川の空港に降り立った。

空港から北に100km余り、内モンゴル自治区に囲まれた石嘴山市の北端まで車で行った。高速道路の西側には小高い丘のような山が続いている。内モンゴルとの境である。山の向こう側は完全な砂漠が広がっていると聞く。黄砂が凄い。

黒い車を数時間停めておくと灰色の車になる。しかし、それでも高速道路と山の間の狭い土地には野菜畑が延々と続いていた。東側の黄河の向こう側は内モンゴルの荒地である。

ここは厳しい自然との闘いの最前線である。ここでも必要なのは「水」である。

寧夏・石嘴山市の朝市には野菜がたくさん

寧夏回族自治区の砂漠化を防ぐ防砂林

レアアースより重要なのは「水」

レアアースなどは世界中にある。現在は採算性の問題で中国がほぼ独占しているに過ぎない。売値が上がれば世界中で採取できる。現在騒がれている状況などは一過性の問題に過ぎない。

それよりも「水」である。

40年後、世界の人口は90億人を超え、インドだけで16億人を占める。すでに中国は食糧輸入国だが、40年後のインドはどうか。経済が発展すれば国民1人あたりの食料も増える。それを別にしても、インドでは現在から30%以上もの食料の増産が必要である。中国が食糧輸入国のままで、インドも足りなくなったら大変だ。

その時はレアアースどころの騒ぎではない。買おうにも買えるものがない。それに比べると尖閣諸島のことも小さな問題である。地球の上から増えも減りもしないのだから。それよりももっと地道にコツコツと灌漑を進めていく方が大事である。これはインドのためではない。日本のためである。

著者紹介

竹田孝治 (Koji Takeda)

エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「[(続)インド・中国IT見聞録]」も掲載中。