このコラムの第16回で、インドや中国でジャスミン革命は起きるのかという記事を書いた。そこで筆者は、インドに限っては「起きない」と書いている。食料価格の暴騰や貧困層のさらなる貧困化という基礎的な要因は強まっているものの、インドでは民族対立間、宗教紛争、カースト間戦争のために、誰も「多数派」になれないからである。コミュニティは存在しても国民社会が存在しないインドならではである。
「インド国民」の誕生
前回は中国の変化について書いたが、インドも変わりつつある。
第21回「変わりゆくインド社会 - 社会の潤滑油!? "汚職" が市民の怒りの矛先に」でも書いたように、最初の変化は昨年の英連邦競技会・コモンウェルスゲームで表れた。
競技施設などの準備は散々で、スケジュールは遅れに遅れた。
やっと施設ができたと思ったら、今度は屋根や歩道橋が崩落。選手村の方は意外と早く完成したのだが、こちらは野犬が選手村を荒らし、トイレの水は逆流するなど、当初は選手が住めるような状態ではなかった。
最後まで大会に間に合うのかどうかわからず、インドは国際的に恥をさらしてしまった。この原因は、建設業者選定時の汚職である。
開会式当日、大会準備の責任者であるカルマディ組織委員長に対し一斉にブーイングの嵐が襲った。これは、コミュニティとは別のインド国民としての怒りである。
続いて発覚したのが、携帯電話回線の周波数割り当てを巡る汚職である。これで「国民」の怒りはますます高まった。
今年の4月、「現代のガンジー」アンナ・ハザレ氏が強力な汚職監視機関の設置を求めて無期限ハンストを実施し、対応に苦慮した政府が要求を受け入れる結果となった。6月にはヨガのカリスマ的な指導者であるラムデブ師がシン政権の汚職体質を批判してハンガーストライキを開始した。同氏の支持者数万人がハンストを始め、反汚職の動きは全国で始まった。
インド国民による「八月革命」
8月15日はインド独立記念日である。テロの心配もあるが、インドの最も輝かしい一日である。しかし今年の独立記念日は反汚職の動きでかき消されてしまった。
一度はアンナ・ハザレ氏の要求を要求を受け入れた政府が国会に提出した汚職監視機関設置法案(ロクパル法)では、首相や地方政府がロクパルの捜査対象から外れたため、ハザレ氏のグループはより強力な法案を要求して運動を再開した。
国会でも野党インド人民党(BJP)が、汚職で逮捕されたカルマディ組織委員長を任命したシン首相の責任を激しく追及した。学生による抗議の大規模デモも発生したが、これは警察による放水と催涙弾で鎮圧された。
15日、マンモハン・シン首相はデリーのレッドフォートで独立記念日の演説を行ったが、汚職に対して全国民が協力して取り組んでいくべきと訴えざるを得なかった。
そのような状況の中で、より厳格なロクパル法を求めたアンナ・ハザレ氏は、警察の禁止命令にもかかわらず、16日からデリー市内で断食を強行すると発表した。
ハザレ氏は15日の記者会見で「警察は許可しないだろうが、それでも私は会場に行って断食し、逮捕されれば刑務所で断食し、釈放されれば再び会場に戻って断食する」と述べ、法案要求のための断食を強行することを明らかにした。また、ハザレ氏は支持者たちに、ハザレ氏が逮捕された場合、自ら進んで逮捕され、「刑務所を埋め尽くす」よう呼びかけた。
断食を阻止するために警察は同氏を逮捕せざるを得なかった。怒った支持者らは全土で抗議デモを始め、警察当局などによると、数千人が拘束されたようだ。
抗議が全国に広がり、各地で数万人規模の抗議行動が起きた。州も民族も関係ない、都市中間層だけでなく農村でも起きた。イスラム教徒も立ち上がった。政府もハザレ氏を釈放しようとしたが、ハザレ氏は断食を認めるまで釈放を拒否したため、ついに政府も断食を認めざるを得なくなった。
これはおそらくインド独立以来でも初めての国民運動である。ついに本当の「インド国民」が誕生したのだ。民族も宗教も、都市も農村も、カーストも超越した真の「インド国民」である。「インド建国の父」初代ガンジーさんもなし得なかった国民運動だ。
ガンジーさんは「非暴力主義で独立」と流布されているが、実際には武力による抵抗運動が独立運動を支えた。独立直後も、各地の独自の動き、たとえばハイデラバードとかアッサムの独立運動などを武力で鎮圧して現在のインドが生まれた。
最終的にはハザレ氏の要求する厳格なロクパル法を制定することを国会が満場一致で決議して断食は収まった。メディアはこれを「八月革命」と称した。
ここまでは「非暴力」を前面に出して戦ったハザレ氏の勝利である。しかし、実際にはロクパル法が制定されたわけではない。単に「制定すべき」と決議されただけだ。
一方、チーム・アンナの活動家たちは次々と暗殺されている。「非暴力」を崩そうとしているのだろう。政府云々というよりも、インドの裏社会(マフィアたち)がこんな法案を認めるわけがない。たとえ法案が成立したとしても、彼らは潰しにかかってくるだろう。映画「スラムドッグ$ミリオネア」で描かれたインドのマフィア達は武力による鎮圧の時を待っている。
インド国民はどこに向かうのか
インド国民はどこに向かうのか、筆者ごときにはまったくわからない。これがインドに対する正直な感想である。
実は前回のコラムの直後に、筆者の独自コラム「インド・中国I見聞録」で書こうとしたのだが、まったくわからずに書けなかった。
ただ、インドについては何点か言われていることがある。
ハザレ氏の背後にはヒンディ至上主義者たちがいるという説
これはインド人民党(BJP)が背後で動いているという説である。確かにそういう面もあるのかもしれない。
国家主義に向かう
中国の後を追いかけるという意味か。たしかに「封建主義国家インド」の次の姿なのかもしれない。
筆者が考えるのは次の2点である。
食料価格の暴騰
根底にあるのは食料価格の暴騰だろう。中東のジャスミン革命の根底と同じである。その怒りが「汚職」に向かったのが今回の「八月革命」だろう。だからロクパル法がどうなろうと、今回の革命の動きは続く。これは、ハザレ氏の思惑がどうあろうと。
カースト制度崩壊の始まりか
カースト制度と「国民社会」は両立しない。ヒンディ至上主義者たちがバックにいようがいまいが、カーストが無意味な全国的な動きを作ってしまった。これもハザレ氏の思惑とは違うだろうが。
筆者の独自コラムでは「嘘八百のIT見聞録」という記事を書いた。このコラムも「インドでジャスミン革命は起きない」と書いたのだから、「嘘八百の羅針盤」とでも書かないとダメかもしれない。
著者紹介
竹田孝治 (Koji Takeda)
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エターナル・テクノロジーズ(ET)社社長。日本システムウエア(NSW)にてソフトウェア開発業務に従事。1996年にインドオフショア開発と日本で初となる自社社員に対するインド研修を立ち上げる。2004年、ET社設立。グローバル人材育成のためのインド研修をメイン事業とする。2006年、インドに子会社を設立。日本、インド、中国の技術者を結び付けることを目指す。独自コラム「(続)インド・中国IT見聞録」も掲載中。
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