
事業構造転換に踏み切って5年
2023年(令和5年)4月、西武HD社長に就任して3年目を迎える西山隆一郎氏(1964年=昭和39年8月生まれ)。西山氏にとって、社長になって3年目という歳月よりも、同社が事業構造転換を実行し始めた2021年5月からの5年間が感慨深いという。
「わたしの意識としては現在進捗中の経営改革を開始して5年が経ったという意識の方が強いです」
同社にとっての事業構造転換というと、都心にある『東京ガーデンテラス紀尾井町』の資産流動化に象徴されるもの。
旧グランドプリンスホテル赤坂(旧赤プリ)の跡地に建てられ、2016年に超高層複合施設(地上36階、地下2階)として開業した『東京ガーデンテラス紀尾井町』。オフィス、高級ホテル、カンファレンスルーム、商業施設、さらに別棟の21階建てレジデンス(賃貸住宅)などと、さまざまな機能を持ち、都心の新名所となった。
その『東京ガーデンテラス紀尾井町』を約4000億円で米投資ファンドに譲渡。譲渡益として得た約2600億円を計上し、新しい事業に投資するという〝不動産回転型ビジネス〟を開拓すると発表(2024年)した時は大きな話題となった。
『東京ガーデンテラス紀尾井町』は、西武グループの象徴的な建物。土地・建物のオーナーとして、同社が引き続き運営していくものと見られていたが、米投資ファンド・ブラックストーンに譲渡し、自らはホテル運営を担う〝運営受託型〟のマネジメントへと、大胆に方向を転換した。
これは、単に譲渡益をあげることにとどまらず、それを新しい投資に振り向けるという〝キャピタルリサイクル戦略〟への転換を告げるものであった。
西武グループの事業構造転換策の象徴となったのが『東京ガーデンテラス紀尾井町』。
この資産を流動化、「次の投資」に振り向けて、新しい成長を図る戦略だ。
2024年5月のこの事業構造転換宣言は、旧来の不動産事業を「総合不動産事業に飛躍させる」ものとして、産業界でも注目された。
「当時、宣言という言葉は使っていませんが、そういう気持ちでわれわれはいました」と西山氏は述懐。西山氏の当時の立場は、取締役上席執行役員経営企画本部長。
その1年後に取締役常務執行役員経営企画本部長、そして子会社の西武・プリンスホテルズワールドワイド取締役常務執行役員に就任。さらにその1年後の2023年4月、西武HD代表取締役社長に就任という足取りである。
西山氏は、代表取締役社長COO(最高執行責任者)就任後も経営企画本部長を兼任し、事業構造転換の責任者として改革に尽力してきた(4月1日付で社長兼CEO=最高経営責任者)。
それゆえに、この数年間の来し方について、「わたしとしては5年というイメージでおります。途中で確かに社長に就任しましたが……」という氏の発言につながる。
それだけ『東京ガーデンテラス紀尾井町』の資産流動化は同社の経営に大きな意味を持つということ。資産流動化で得られたキャッシュイン(約3200億円)を次の投資に振り向け、「投資による成長戦略」を実行していくという大転換である。
経営改革が始まって今年は20周年
純粋持ち株会社の西武HDが設立されたのは2006年(平成18年)2月のこと。今年は、20周年という節目の年だ。
西武HDの下に、西武鉄道、西武・プリンスホテルズワールドワイド、西武不動産などが子会社として名を連ねる(グループ会社数は113社、連結従業員数は約2万1000人、2025年12月末時点)。
前身の西武鉄道時代の2004年、総会屋への利益供与による商法違反や有価証券報告書虚偽記載などの不祥事が起き、当時の西武鉄道は同年12月に上場廃止となった。
創業家2代目の堤義明氏(1934年生まれ)は退任を余儀なくされ、メインバンクであった旧第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)出身者が経営再建に当たることになり、後藤高志氏(現会長)が派遣され、社長に就任。後藤氏はガバナンス(統治)改革を進め、米ファンド(サーベラス)が敵対的TOB(買収)を仕掛けてきた時も正々堂々と受けて立ち、これを退けた。そして事業構造改革を実行してきた。
後藤氏は旧第一勧銀時代もさまざまな試練に直面。後藤氏は企画畑、西山氏は広報畑に在籍。部署は違うが、約15歳下の西山氏は、後藤氏が中堅幹部として身体を張って銀行改革に当たる後ろ姿に啓発されたという。
こうしたことを見ても、経営を担うのは「人」であり、その生き方、決断のあり方によって、企業経営の方向性が決まる。そうした意味でも、西山氏は「人的投資にも力を入れていきたい」と語る。
事業構造転換を軸にした中長期戦略として、2024年度から10年後を見据えた2035年度までの間に総額約1兆8500億円にのぼる設備投資策を掲げる。「当社の持つ資産を活用していく」と西山氏が言うように、同社は東京・高輪、芝公園、西武新宿線の西武新宿や高田馬場などに持つ不動産の都心再開発に約6000億円を当てる。
ほかには、新規物件の取得・出資やM&A(合併・買収)に約2400億円、ホテル改装や海外ホテルのM&Aに約3000億円、西武鉄道沿線などの都市交通・沿線事業への投資に約4500億円、リゾート開発に約700億円といったキャッシュアロケーション(資金の割り振り)計画である。
ここ5年は這い上がっていく道のり
「この5年は、かなり苦しく、這い上がっていく道のりでした。本当に、全社員と役員、約2万1000人が頑張ってくれました。血のにじむような努力と現場力があって、ここまでやってこれたのだと思っています。そういった意味では、計画通りにやって来ました。(事業構造転換がスタートして2度目の)今の中期経営計画(2024年度─2026年度)の年度末が近づいていますけれども、ほぼ計画通りに来ています」
近年の同社の業績を見ると、コロナ禍の影響で、2021年3月期は売上高に当たる営業収益は約3370億円で、515億円強の営業損失を計上。営業利益段階で史上最悪の赤字を計上。翌22年3月期も、営業収益約3968億円で、約132億円の営業損失と、2年連続の赤字決算となった。
さらに、翌23年3月期になり営業利益段階で黒字化を達成(営業収益約4284億円、営業利益221億円)。そして24年3月期は営業収益約4775億円、営業利益約477億円と増収増益を達成した。
25年度3月期は、『東京ガーデンテラス紀尾井町』の資産流動化もプラスして、営業収益は約9011億円、営業利益も約2927億円と大幅な増収増益となった。
資産流動化で、売却益が大きくなったわけだが、常にこうした〝恵み〟があるわけではない。
大幅な増収増益に気を緩めずに、〝レジリエンス&サステナビリティ〟経営を標語に、持続性のある経営を目指す。
レジリエンス(Resilience)。弾力性がある、復元力があること。次々と起こる出来事や環境の変化に対して耐性のある経営体質にし、サステナビリティ(Sustainability、持続性)のある経営にしていこうという考え。
10年後を見据えた『西武グループ長期戦略2035』計画の中で、2021年度から2023年度までの中期経営計画と2024年度から2026年度までのそれは「種まき期」とし、「次の3年が育成期、残りが開花期」と西山氏は位置付ける。
「人の力」をどう掘り起こすか
「投資なくして成長なし」─。
同社は先述のように、高輪や品川、芝公園、西武新宿、高田馬場などの都心5区に約19万平方メートルの土地を所有。他にも箱根、軽井沢、富良野(北海道)などの有名リゾート地にも「ポテンシャルのある土地を所有するのが当社の強みです」と西山氏。
全国で1億平方メートルを超える広大な土地を保有しているのも同グループの強みだ。
この潜在的な強みを何とか活用できないかということで、先述の〝キャピタルリサイクル戦略〟、不動産回転ビジネスが生まれてきた。こうした大胆な戦略を取るには、社内の意思統一をどう図り、〝人の力〟をいかに引き出すかが要となる。
この点について、西山氏は数年前の、厳しい決算となった経営企画本部長時代を例に、次のように述べる。
「経営企画本部長だった2020年度の業績はどん底。会社は大丈夫なのかという不安を持っていましたが、そういう時の改革は皆がついてきてくれる。逆に、今回の東京ガーデンテラス紀尾井町の売却の時は、業績が回復基調にあり、経営も軌道に乗り始めた時でしたからね。『まだ売却するの?』との思いが社内にもあったと思います」
西山氏が経営企画本部長時代は、まさに経営が厳しく、先行きも分からない時。現在のように、不動産を流動化してキャッシュイン拡大を図り、それを元手に新しい投資をして、次の成長を取り込んでいくという考えも定着していなかった。
そうした時代に、一部の不動産をGIC(シンガポール政府系投資ファンド)に売却するなどして資金を確保。この時は社内への周知も容易で、「腹落ちもできた」と西山氏は言う。
それが、コロナ禍が明け、業績が回復して経営が軌道に乗ってくると、「東京ガーデンテラス紀尾井町まで売るのか?」と戸惑う者も出てきたのである。
「西武グループはもともと仲間意識の強い会社」
肝腎の西山氏はどう考え、どう動いたのか─。
「確かに象徴的な不動産なので、そう思う人もいました。それは、わたしの実感です。ただし、将来を見据え、レジリエンス&サステナビリティという西武グループの将来の持続的な成長を考えると、それをやり遂げないといけないと」
西山氏はこう考え、「ダイナミックに成長しながら、安定的な収益を積み上げるモデルに転換する必要がある」と社内に周知し、理解を求めていった。
業績が回復してきたからといって、事業構造転換は終わりではない。そこには、キャピタルリサイクル戦略を軌道に乗せ、持続的な成長を実現するという氏の強い思い。
「西武グループには元々のDNA(遺伝子)として、方向を定めて社員も腹落ちすると、すごい力を出して機動力を発揮するんです。いい意味での仲間意識の強い会社だと思っております」
西山氏が続ける。
「今回も危機から立ち直り、新しいところに進むに当たって、わたしはまたそれを再認識しました。やはり人は財産だということです」
武蔵野台地の地盤と558万人の顧客基盤
西武グループの歴史は、1912年(明治45年)、西武鉄道の源流である武蔵野鉄道と、1920年(大正9年)に設立された箱根土地株式会社から始まった。
「西武鉄道は100年の歴史を持っていますが、鉄道という領域では、近江鉄道(滋賀県)もそうです。西武鉄道より歴史の古い近江鉄道、伊豆箱根鉄道といった鉄道会社の脈々としたノウハウと歴史を持つのが西武グループです」
元々、西武グループは、堤康次郎氏(1889―1964)が興した会社。実業家であり、第44代衆議院議長を務めるなど政治家でもあった堤康次郎氏は起業家精神の旺盛な人物で、自らの出身地である滋賀県の近江鉄道(設立は1896年=明治29年)を、1943年(昭和18年)に箱根土地の傘下に入れた。
西武鉄道の強みは何か─。
「わたしは2つの固いプレート、地盤があると言っているんです」と西武池袋線や西武新宿線などが走る武蔵野台地の地盤の固さ、強さを氏はまず挙げる。
「武蔵野台地というのは、武蔵野礫層と言うんですね。十数万年耐えてきた固い層です。その上に関東ローム層が薄くある。この地盤は地震にも強い。西武池袋線は池袋駅(豊島区)から西武秩父駅まで約77キロ、西武新宿線は西武新宿駅から本川越駅まで約48キロ。ほぼ全ての路線が地盤の固い武蔵野台地を走っています」
武蔵野台地─。「これは天から授かった宝物ですし、安全・安心の象徴です。そして終着駅の西武秩父、本川越は観光地でもあります」と西山氏は語る。
西武秩父エリアは、JR山手線から一番近い国立公園で、本川越駅のある川越市(埼玉県)は〝小江戸〟と呼ばれ、江戸期の街並みや風情を残した通りは世代を超えて観光客やインバウンドに人気だ。
この西武鉄道沿線を中心とした顧客基盤も同社の強みで、「強固な地盤と顧客基盤の2つはわたしたちの強みです」と語る。
沿線人口は約558万人で、1日に西武鉄道を利用する人は約170万人。
西武池袋線と同新宿線が交差するのが所沢駅(埼玉県)。最近では、この所沢駅周辺の土地再開発が進み、オフィス、商業施設、飲食店やエンターテインメント施設が充実したエリアとして賑わいを増す。
所沢エリアには、西武園ゆうえんちや、埼玉西武ライオンズ球場もあり、近隣の立川や八王子(東京都)などから多くの人が集まる。
また、同社が展開するSEIBU PRINCE CLUBの会員数は約231万人を数える。
西武鉄道線沿線の店舗や加盟店で買い物をするとポイントが貯まり、遊園地などのレジャー施設やホテル・リゾートでは会員限定の特典を受けることができる。地域に根差した観光やサービス産業の掘り起こしにも力を入れる。
「毎日170万人の方々がご利用される鉄道、沿線には約558万人の人たちがお住まいになる。西武鉄道を知らない人はいません。武蔵野台地には西武鉄道と西武バスを張り巡らしています。この日常的なブランドである顧客基盤は、他のホテル・レジャー事業や不動産事業を進めるにあたって、とてつもなく大きな基盤だと思っています」
先行き不透明な時代にあって「攻めながら守る」
「攻めながら守る」─。ホテル・レジャー事業のように、資産を一定程度売却して、キャッシュフローを大きくし、フィー収入で稼ぐ一連の構造改革。
フィー(料金、手数料)で稼ぐには、付加価値の高い事業でなければならない。顧客や地域社会に支持されることが必要。それには「人」の生産性向上が不可欠だ。
西山氏が『人への投資』を度々口にするのも、そうした思いがあるからである。
フィー収入向上を図る事業構造にした理由について、改めて西山氏が語る。
「コロナ禍での教訓があります。コロナ禍の教訓が何かと言えば、いつ何時、同じ事が起こるか分からない。その時に、耐久性の高い企業モデルにしようということです。そういった意味で長期のプランではありますが、手数料収入があげられるようなビジネスをきっちり作っておく必要があると」
やや専門めくが、氏は「マネジメントコントラクトフィーを積み上げていく」と強調。
「不動産事業にしても、AMフィー、BMフィー、PMフィーを積み上げ、総合不動産業に脱皮することによって何ができるのか。それは大きな流動化による売却益の実現のみならず、フィー収入の土台を貯めていくと。急激な変化が起こった時、きっちりとフィー収入の実績があれば、何が起きても、しばらくの間は耐えられますからね」
AM(アセットマネジメント)。投資家から預かった資産の価値を最大化する資産運用をして、フィー収入をしっかりと積み上げていく。不動産メンテナンス(設備管理)を担うBM(ビルマネジメント)や、入居者への対応など不動産管理を担うPM(プロパティマネジメント)についても同じことが言える。
この事業構造改革は、いつ何が起きるか分からない時代で危機管理投資にもつながる発想。
同社は2024年5月、10年後をにらんだ『西武グループ長期戦略2035』を作成した。その中核に、『レジリエンス&サステナビリティ』を据えたのも、「安全・安心と共に、かけがえのない空間と時間を創造するためです」と西山氏は語り、次のように続ける。
「目指すべきは、トータルステークホルダーサティスファクションということです。顧客、株主、取引先、地域社会、債権者地域社会、あと社員です。この社員というのが大事。社員という存在と役割を長期戦略の中で明確に位置付けています。当然、お客様や株主も入ります」
一連の事業構造改革は、結局、全てのステークホルダー(利害関係者)の満足(サティスファクション)に行き着くという西武グループのビジョンだ。
20年前につくられたコーポレートメッセージが、『でかける人を、ほほえむ人へ。』。最近、これに『はたらく人を、ほほえむ人へ。』が加わった。
「やるべき事はもう決まっています。世のため、人のためにやっていると。それは絶対自分たちに返ってくるということです」
『前進』という言葉が好きだという西山氏。
「人間にはいい時もあれば、不調な時もあります。調子が悪い時でも、少しでもいいから、とにかく前に進む。諦めるのだけは止めようと。自分から後退する必要はないし、しばらく止まってもいいじゃないか。ただ、明日に向かって半歩進めばいいんだよと。1年経ったら進んでいるぞ、心配するなと社内には言い続けています」
西山氏の〝前進〟論である。
