
現・中期経営計画は「種まき期」
─ 2023年の社長就任から3年目を迎える中での現状認識を聞かせてください。
西山 確かに社長就任から3年目になりますが、私の意識としては現在進捗中の経営改革を開始して5年が経ったという意識の方が強いですね。21年5月の決算発表と同時に23年度までの中期経営計画も発表したのですが、このときの決算では最終赤字が723億円と過去最悪の決算となっていました。
コロナ禍の影響が大半ですが、ステークホルダーの皆様には大変なご心配をおかけしたことは事実です。ですから、業績と新しい船出の計画を同時に発表しようということになりました。その中計の趣旨は事業構造転換の最初の宣言になります。
─ どのような宣言になっているのでしょうか。
西山 まずは、不動産事業は総合不動産業に飛躍するという宣言であり、ホテル・レジャー事業はオペレーター専業になり、国内外に拠点を広げていくという宣言になります。このときから経営改革を少しずつ具体化して進めてきました。
その途中で社長に就任しました。さらに社長就任1年目は経営企画本部長を兼務し、改革の責任者も務めました。ですから私にとっては事業構造転換への出発から既に5年が経過し、6年目に入ったという感覚です。
さらに今年は24年度から26年度までの中期経営計画の最終年度に当たりますので、将来に向けた青写真を描き、取り組みを加速させていきます。
─ 現在進行中の中計はどのような位置づけになりますか。
西山 24~26年度の中計の発表と同時に「西武グループ長期戦略2035」を発表しており、そこでは現在の中計は10年後を見据えた中の「種まき期」と位置づけています。その次の27~29年度の3年間は「育成期」、そして30年度以降は「開花期」へと進んでいく予定です。
ですから、この26年度は現在の中計の種まき期の最終年度に当たり、次の育成期に向けた0年度と位置付けています。既に種まき期の土台固めをしっかりと行い、次の育成期に向けた準備をしているのが現状になります。不動産事業もホテル・レジャー事業も、都市交通・沿線事業も、その他事業も含めて種まき期の土台づくりを着実に行い、種まきを完了するというのが26年度になるということです。
─ 将来の事業を花咲かせるための種まきを完了すると。
西山 はい。もちろん、その後も種まきは続けるわけですから土壌づくりとも言えるかもしれません。
事業構造転換を進める上での肝
─ 5年間は計画通りに動いているという手応えですか。
西山 この5年間は、臥薪嘗胆の中に光を見出し、着実に前進してきたと言えます。どん底から這い上がっていく計画でしたからね。それでも社員と役員、約2万1000人の血の滲むような努力と現場力があったからこそ、今のように立ち直ることができたのではないかと思っています。
21年度からの中計の3年間を無事に終えることができたという意味では計画通りです。
─ 社員の意識改革は、どのように進めてきましたか。
西山 大きな事業構造転換を進める中で、特に大胆に変わったのが不動産事業とホテル・レジャー事業です。それに伴って体制を変える際には、各事業会社の社長と協力して啓発活動に力を入れました。事業構造を大きく変えるわけですから社員の理解を求めて賛同してもらうことが大事でした。
これをフェイス・トゥー・フェイスの対面や社内媒体も含めてグループ全体に発信して社員を鼓舞していくことに心掛けてきました。西武鉄道や西武・プリンスホテルズワールドワイド、西武不動産などの社長が各社の社員を鼓舞して、まずは回復に向けて事業構造の転換をすることを細目に伝えていきました。私自身もタウンホールミーティングや社員との座談会などを繰り返してきました。これは今でも続けています。
─ 先ほどの経営企画本部長だった厳しい状況下、どのように叱咤激励してきましたか。
西山 20年度の決算はまさにどん底、株価は1000円を割り込む時期もあり、非常に厳しい状況でした。そのような中、経営企画本部長に着任しましたが、当時の後藤(高志)社長の強いリーダーシップと決断のもと、過去経験を積んで強靭になっていた企画本部のメンバーにより、様々な改革案が生み出されました。その一環として、シンガポール政府系投資ファンドのGICに一部の不動産の流動化を決定しました。
当社が保有していたホテルやスキー場、ゴルフ場を譲渡しましたので、その意義を社内に周知させて社員に腹落ちしてもらうことに力を入れました。それでもありがたかったのは、こういった苦しいときこそ社員皆がついてきてくれたことです。
「東京ガーデンテラス紀尾井町」を流動化する意義とは?
─ グループ一丸となって同じベクトルを向いたと。
西山 そうです。一方で今は「キャピタルリサイクル」と銘打った不動産事業を核とした成長戦略を掲げています。そして、その象徴的な事例として「東京ガーデンテラス紀尾井町」の流動化を行うことができました。
ただ、今は業績が回復しており、GICのときとは環境が違います。ですから社内でも「まだやるの?」といった気持ちもあったと思います。だからこそ、先ほど申し上げたような意識改革を進めているわけです。
私の実感としては、本部長のときは会社の業績もどん底で、皆が「会社は大丈夫なのか?」という不安を持っていました。そういった最中の改革には社員もついてきてくれます。しかし今は業績も回復して軌道に乗り始めていた中で、さらに将来を見据えて今回の紀尾井町の流動化を決めたわけです。
─ 業績が回復基調にある中での取り組みだっただけに、社内にも疑問の声があったと。
西山 はい、一部にはありました。ですから、これがどんな意味を持ち、会社の将来に向けた成長にどうつながっていくか。そこを社員にもしっかり説明しなければなりません。先を見据えた「レジリエンス&サステナビリティ」が重要になります。西武グループには100年以上の歴史がありますが、次の100年に向けて持続的かつダイナミックで安定的な収益を積み上げるモデルに転換していく必要があります。
それは東日本大震災やコロナ禍を通じて得た大きな教訓でした。ですから、今回の紀尾井町の流動化も将来のためにやる取り組みであり、業績が回復したからこれで終わりではないと。事業構造の転換、あるいはキャピタルリサイクルの象徴として社内外に理解を求めました。
─ 一致団結して前に向かうことが貴重ですね。
西山 ええ。西武グループが持っている、もともとのDNAとしては、方向を定めて社員も腹落ちすると、大きな機動力を発揮できる点があります。いい意味での仲間意識の強い会社だと。今回も危機から立ち直って新しい方向に向かって進むに当たり、私も再びそのことを再認識しているところです。やはり人が財産だということです。
─ 具体的な成長戦略の1つとして東京・品川駅周辺の大規模再開発がありますね。西武グループにとっての品川エリアの位置づけを聞かせてください。
西山 高輪・品川エリアは日本の玄関口になっていると思います。東海道新幹線は全ての新幹線が品川駅に止まりますし、羽田空港も近い。将来はリニア中央新幹線も品川が発着駅になります。そういった背景から、様々な企業が本社を移転したり、進出したりしています。
例えば、KDDIさんはJR東日本さんが再開発した「TAKANAWA GATEWAY CITY」に本社移転していますし、京浜急行電鉄さんはトヨタ自動車さんと品川駅前で再開発を行い、新たなビルにはトヨタさんが東京本社を移転する予定となっていますからね。
企業が集まれば人も集まります。今後、それがより一層際立ってくると思います。そんなエリアで当社も加わって「品川駅西口地区(高輪三丁目)」の再開発を進めるわけですが、そういったニーズにも応えられるようにしていきたいと思っています。
西武グループの強み
─ もともと「グランドプリンスホテル新高輪」などの資産を持っているからこそですね。西山さんが西武グループの強さを1つ挙げるとしたら?
西山 〝人財〟です。例えば、西武鉄道は固い地盤のもと、スキルの高い人財により、安全・安心を徹底してきた歴史があり、さらに沿線の皆様に感動を提供する活動も活発化しています。西武・プリンスホテルズワールドワイドもオペレーション(運営)を、100年を超える歴史の中で培ってきました。まさに、お客様の方向を向いたおもてなしを提供してきたわけです。
もちろん、オペレーターとしてだけではなく、オーナーとして土地や建物を保有し、様々な宴会場などの運営機能も積み重ねてきました。そういった蓄積があるからこそ23年の「G7広島サミット」の会場に「グランドプリンスホテル広島」を選んでいただいたわけです。
─ 岸田文雄首相がホストを務めたときでしたね。
西山 そうです。このときは驚きました。ウクライナのゼレンスキー大統領も出席されましたからね。それも当社が長年にわたって蓄積してきたMICE(会議、研修旅行、国際会議、展示会)の運営力が評価されたのだと受け止めています。これは日々のおもてなしだけではない組織力や機動力があるといったこともあると思います。
都市交通・沿線事業も同じです。伊豆箱根鉄道や近江鉄道を含め、西武鉄道の100年以上の歴史の中で安全・安心を旨とし、沿線開発にも力を入れてきました。こういったノウハウが脈々と受け継がれているのです。ですから、これからも沿線開発には力を入れていきますし、不動産事業を核とし、ホテル・レジャー事業、都市交通・沿線事業とのシナジーにより、各事業の競争力を強化していくことを目指していく方針です。
─ 厳しい環境は西武グループ以前の第一勧業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)時代にも総会屋への利益供与事件ほか、いろいろあったと思いますが、当時をどう振り返りますか。
西山 銀行員生活は22年ほどでした。45歳で退職して西武ホールディングスに転職してきましたが、銀行員時代に経験した様々な修羅場で鍛えられ、育ててもらったという感謝しかなく、転職してもやっていけるかもしれないと思いました。
総会屋への利益供与事件で学んだことは、どんな困難に直面しても決して逃げないということ。当時、「四人組」と言われていましたが、そういう先輩の方々の生き様から教えられました。自分も幹部になったら、そんな人間になろうと意を強くしました。