米国の行動に世界が左右される今 【私の雑記帳】

イラン戦争で思うこと

 

 2月28日、米国とイスラエルが共同でイランを攻撃。最高指導者のハメネイ師ら幹部を殺害し、戦争が今も続く。 

 トランプ米大統領は『MAGA』(米国を再び偉大な国に!)をスローガンに大統領に返り咲いた。 

 第1次政権(2017―2021)時は、米国ファースト(自国第一主義)を掲げ、もっぱら関税による自国の利益拡大に徹し、他国に干渉しないという〝モンロー主義〟の風情であった。 

 しかしその後、民主党のバイデン政権を経て、2025年2度目の政権運営に乗り出してからは、様相がガラリと変わった。さらに関税率を高くし、今年1月にはベネズエラ侵攻。そして今回の対イラン戦争開始である。 

 ロシアがウクライナに侵攻してから丸4年が経った。トランプ大統領は、「バカな戦争は止めろ」とロシアとウクライナの仲介役を買って出たものの、事はうまく運ばず、依然、戦争は続く。そして、今度は自らが戦争の当事者となった。

 

力の論理の前に…

 

 力の論理が横行─。国際法という言葉も無力化し、自分の要求に従わなければ、力ずくで相手を屈服させる。帝国主義、重商主義時代に舞い戻ったといわれる所以だ。 

 世界一の軍事力、経済力を持つ米国の行動如何によって、世界が左右される。 

 ウクライナ戦争でも、専制的なロシア・プーチン大統領を対話のテーブルに着かせることができるのはトランプ氏しかいない。 

 だからこそ、トランプ氏には一定の期待が寄せられるのだが、今年(2026)に入ってからの氏の動きは予測不能なものばかりで、先行き不透明感が増す。 

 もっとも、トランプ氏の言動には賛否両論があり、簡単に善悪を決めつけられないのも現実。 

 例えば、今年1月のベネズエラ侵攻作戦がそうだ。 

 同国の情報通信網をマヒさせ、特殊部隊を同国大統領官邸に送り込み、マドゥロ大統領の身柄を拘束。米国に移送し、裁判にかけるという一連の〝手際の良さ〟は、まるでハリウッド映画を観ているようで、世界中が驚かされた。

 

国と国の関係は

 

 確かに、マドゥロ政権は圧政を敷いて、敵対する者を弾圧し、麻薬や犯罪組織を野放しにしてきた。その罪は重く、厳しい裁きを受けて当然という見方もある。 

 ただ、その国のことは、その国の国民が考えて決めるべきで、やはり国民主権は尊重されるべきであろう。自らの手で自らの国の行く手を決められないとするのならば、その国民にとっても悲劇だ。 

 イランの場合も同じである。イスラム体制下で宗教指導者が国権の最高責任者になるのは、欧米や日本の統治に対する感覚とは異なるが、それはイラン国民が決めることである。 

 1979年、イスラム革命で当時のパーレビ国王体制が倒された。その時に米国大使館が襲撃され、数年にわたり大使館職員は拘束された。反米感情が高まり、以来、米国とイラン両国は険悪な関係が続く。 

『目には目を歯には歯を』の論理だけでは物事は解決しない。第2次世界大戦が終結して80年余が経つが、その間も、戦争や紛争は世界各地で起きている。 

 肝腎の米国にしても、ベトナム戦争、アフガン戦争、イラン・イラク戦争といった中東危機に当事者として関わってきた。 

 筆者が学生だった50年前、泥沼化したベトナム戦争で米国は疲弊し、特に若い世代の間で厭戦ムードが高まった。 

 今、米国内ではイランとの戦争に反対する声も根強い。世論の支持無くしては、米軍の作戦も成り立たない。〝国内世論や市場の反応〟には敏感とされるトランプ氏。政権内にモノ申す側近や関係者がほぼいないと言われる中、〝国内世論と市場の動き〟は重要な役割を担うことになる。