
JP Morgan ChaseのCEO・Jamie Dimonが最強金融マンと称されるまでの過程は疾風怒濤の物語だ。
Dimon栄達の背景に、もう1人の金融界傑物・Sandy Weillがいる。
父親所有の鉄鋼輸入業者への就職を当然視していたコーネル大学生Weill。だが父親は彼の卒業直前、会社を売却し愛人と駆け落ち。突然、就職先を失ったWeillは何とか中堅証券Bear Stearnsのバック事務部門に入社する。
野心家Weillは数年後、自らの証券会社を設立。その後多くの買収を推進し証券大手Shearson Loeb RhoadesCEOに駆け上がる。そこを1981年、WASP(アングロサクソン系白人新教徒)系のAmerican Expressが買収、WeillはAmexのNo.2となる。
そんな時、優秀で数字に強いハーバード経営大学院生Dimonが家族ぐるみの交際があったWeillに就職相談に来る。Morgan StanleyかCitibankか迷っていたのだが、Weill曰く「そんな所、普通過ぎる。俺の下に来い。ずっと面白いぞ」。Dimonの最初の職場はAmexとなる。
WeillはCEO職を目指すも叶わず85年、結局Amexを去る。その際、Weillの秘書のほか、たった1人だけがWeillと行動を共にした。Dimonだ。Weill53歳、Dimon 28歳のことだった。
2人の浪人生活が始まり2年後の87年、メリーランド州ボルティモアの小ノンバンク、Commercial Credit社を買収した。ここから12年間、怒涛のM&Aが続き、最後はSalomon Brothers、そして保険会社Travelersも獲得する。
98年、Travelers社とJohn Reed率いるCitibankとが合併しCitigroupに。当初はWeillとReedの2人CEO体制だが、結局Reedが去り、Weillは当時米国最大金融機関の1人CEOに立つことになる。
WeillとDimonは鉄壁のコンビで怒涛の成長を共にしていた。ところが、合併数カ月後、Dimonは42歳でCitigroupを去ることになる。Weillとの訣別だった。
Salomon CEOだったDeryck MaughanをDimonよりもWeillが気に入った、DimonによるWeillの娘人事がWeillの怒りを買った等、噂されている。Dimonは2度目の浪人生活後、Bank One経由で2005年末、JP Morgan Chase CEOに就任、現在に至る。
WeillとDimonの物語は、名門出身でもない徒手空拳の人材が小組織から出発、多くの統合や捲土重来を繰り返し、住友系企業のNo.2になり、更に転じて三菱系企業CEOになる、というような話だ。この人材ダイナミズム、厳しい競争の国際舞台で米国が勝っている一つの秘訣だろう。