2018年にチューリング賞を共同受賞し、昨年末までMetaのバイスプレジデント兼チーフAIサイエンティストを務めていたYann LeCun(ヤン・ルカン)氏が、新会社としてAMI Labs(Advanced Machine Intelligence)の設立を発表した。仏パリに本社を置く同社でルカン氏が取り組むのは、大規模言語モデル(LLM)一辺倒の現在のAI業界への挑戦だ。「LLMを拡大すれば人間レベルの知能に到達するという考えは、誤りだ」--。同氏はそう語った。

Metaを離れ、欧州でAI企業を立ち上げた理由

ルカン氏は長年、AI業界における異端児的存在だった。OpenAIやAnthropicといったフロンティア研究所の閉鎖的アプローチを批判し、オープンソースAIを強く主張してきた。そして今回、自らが創設したMetaのFAIR(Fundamental AI Research)を離れ、新たな挑戦に踏み出した。

同氏は「ヨーロッパには非常に優秀人材が豊富にいるが、それを活かす環境が不足している。適切な環境で才能が花開いているとは言えない」と述べている。AMI Labsの拠点としてパリを選んだ背景には、こうした人材を活用するだけでなく、AI産業における米・中二極化への危機感があるようだ。

ルカン氏は「多くの国にとってAIに対する主権の問題がある。中国語か英語か、プロプライエタリか、中国製オープンソースか--。それは魅力的な未来ではない」と話す。同氏は多様なAIアシスタントの必要性を「多様な報道機関が必要なのと同じ理由だ」と説明している。

同氏は2025年末にMetaを退社したが、Metaとの関係は必ずしも決裂ではないようだ。「Metaが最初のクライアントになるかもしれない」と話しており、ロボティクス部門の解散などMetaの戦略的判断には異論もあったが「人々は合理的に意思決定する。腹を立てる理由はない」と冷静に振り返っている。

「LLMを拡大しても知能は生まれない」、ルカン氏が語る根本的限界

ルカン氏は、AI業界の現状に対して明確な異論を唱える。業界全体がLLMのスケーリングに注力しているが、それは根本的に間違った方向だというのだ。「LLMが多くの人々、特にテキストを書いたり、研究したり、コードを書く人々にとって極めて有用であることは確かだ」と同氏は認める。

しかし「時間さえかければLLMをスケールアップして人間レベルの知能に到達できるという考えは幻想、あるいは妄想だ」と同氏は断言する。この批判は、認知科学の根本的洞察にもとづいている。

その理由が「Moravecのパラドックス」だ。1988年にコンピューター科学者のHans Moravecが観察した現象で「人間にとって容易なこと、例えば知覚やナビゲーションは、コンピューターには困難であり、その逆もまた然りだ」というものである。

こうしたこともあり、ルカン氏は「本当に難しいのは現実世界を理解することだ。LLMはテキストという離散的な世界に限定されている。彼らは真に推論したり、計画したりすることができない。なぜなら、世界のモデルを欠いているからだ。自分の行動の結果を予測できない」と指摘する。

その結果が、われわれの目の前にある現実だ。同氏は「これが、家猫ほど敏捷な家庭用ロボットも、真に自律的な車も存在しない理由だ」と述べている。ChatGPTが登場してから2年以上が経過したが、AIは依然として物理世界での基本的なタスクに苦戦している。

ルカン氏が提唱するJEPAとは?

このような現状に対し、ルカン氏が提唱する解決策がワールドモデルとJEPA(Joint Embedding Predictive Architecture)だ。同氏は「世界は予測不可能だ。未来のあらゆる詳細を予測する生成モデルを構築しようとすれば、失敗する」と強調している。

ルカン氏の説明によると、JEPAとは生成AIではなく、世界の抽象的な表現を学習し、予測できない詳細を無視して、その抽象空間で予測を行うシステムだという。同氏は「赤ちゃんが重力について学ぶように、観察から世界の根本的なルールを学習する。これが常識の基盤であり、現実世界で推論し計画できる真に知的なシステムを構築する鍵だ」と主張する。

重要なことは、AMI Labsのシステムがテキストだけでなく、ビデオ、音声、あらゆる種類のセンサデータで訓練されることだ。同氏は「ロボットアームの位置からLiDARのデータ、音声まで、さまざまなモダリティで作業している」と説明している。

また、JEPAの応用範囲は広大だ。例えば、ジェットエンジン、製鉄所、化学工場といった複雑な産業プロセスには何千ものセンサが設置されている。同氏は「現在、これらのシステム全体を包括的にモデル化する技術は存在しない」と述べており、ワールドモデルならセンサデータから学習し、システムがどう動くかを予測できるという。

別の応用例として、スマートグラスが人が何をしているかを見て、行動を識別し、次に何をするかを予測して支援するという例も紹介し、こうしたエージェントシステムを信頼できるものにするには、ワールドモデルが不可欠だという。

ルカン氏は「行動の結果を予測するワールドモデルなしには、エージェントシステムは信頼性を持って機能できない。それなしでは、システムは必然的に間違いを犯す」と続けている。

ヒューマノイドロボットへの懐疑と、ルカン氏が描くAI研究の次なる焦点

一方、最近話題のヒューマノイドロボットについても、厳しい見方を示す。同氏は「カンフーやダンスをするロボットは、すべて事前に計画されている。率直に言って、誰もそれらのロボットを有用なほど賢くする方法を知らない。17歳が20時間で運転を学べる理由は、彼らがすでに世界の振る舞いについて多くを知っているからだ」との認識を示す。

真に有用な家庭用ロボットを実現するには、物理世界を理解するシステム、つまり優れたワールドモデルと計画能力が不可欠だという。ルカン氏は、AI研究の未来についても明確なビジョンを示しており「LLMは今や技術開発であり、研究ではなく製品だ。アカデミアが興味を持つべきものですらない」と述べている。

その代わりに、何か別の新しい技術の発明に取り組むべきとの考えを示している。実際、ワールドモデル分野の面白い研究は大きなラボではなくアカデミアから生まれているという。

ルカン氏が立ち上げたAMI Labsは同氏が会長を務め、元Meta AIの同僚Alex LeBrun氏がCEOに就任している。すでにOpenAI、Google DeepMind、xAIなどから人材を引き抜いているようだ。

同氏自身はニューヨーク大学の教授職を維持し、経営マネジメントに関わらない理由として「(マネジメントは)私の人生の使命ではない。使命は、科学と技術を可能な限り進歩させ、人々に興味深いことに取り組むよう鼓舞し、それらに貢献することだ」と述べている。2月には財務や中核メンバーなど、さらなる詳細の発表を予定している。1月22日付けのMIT Technology Reviewの独占インタビューで語っている。