
首相(自民党総裁)の石破茂が9月7日、退陣を表明した。昨年の衆院選に続き7月の参院選でも大敗し、衆参両院で少数与党となった後も続投に意欲を示していたが、リコールを意味する党総裁選が前倒しとなる公算となった直前に決断した。自民党は「ポスト石破」争いの最中だが、参院選後の「政治空白」はすでに2カ月以上続く。物価高対策や現金給付・消費税減税の有無など国民の生活に密着した政策は遅々として進まず、一刻も早い安定した政治の実現が求められている。
引導渡した小泉と菅
7日夜、官邸で緊急の記者会見に臨んだ石破は悔恨の念をにじませながら、こう語った。
「身を引くという苦渋の決断をした」
石破に引導を渡したのは、農林水産相の小泉進次郎だった。石破がなお続投に意欲を示していた6日夜、首相公邸に裏から入った。同席したのは元首相の菅義偉。小泉が慕う菅に声をかけ、3人で約30分間、そして菅が先に出ると石破は小泉を引き留め、2人で1時間以上にわたり密談した。
2021年9月、総裁選目前に窮地に陥っていた首相の菅が1年あまりでの退陣を決意したのも、「身を引くべきではないか」と進言した小泉の説得が大きかった。4年前の経験談を菅の口から直接石破に伝えれば石破も決断するに違いない─。そう考えた小泉のもくろみ通りの結果となった。
菅と小泉が最も懸念していたのは党の分裂だった。自民党総裁が任期途中であるにもかかわらず、党則に基づき総裁選の前倒しを行えば、初めてのケースとなっていた。所属議員295人と47都道府県連代表各1人の総数の過半数が実施を要求すれば、臨時総裁選を行う仕組みだ。賛成した議員の名前は公表されるため、賛否は「踏み絵」となり、党内に取り返しのつかない禍根を残しかねなかった。
これまでの自民党は、総裁が窮地に陥った場合、自ら身を引くことが常識だった。しかし、石破に常識は通用しなかった。
石破は総裁選前倒しの是非が決まる前の5日、なお続投に意欲を示した。関税交渉を巡り米大統領のトランプが日本から輸入する自動車の追加関税を27.5%から15%に引き下げるなどの大統領令に署名したことを受け、石破は記者団に「トランプ大統領あての親書を作成し、届けた。トランプ大統領とともに日米関係の黄金時代をともに築いていきたい、トランプ大統領をぜひ日本にご招待したいという内容だ」と明らかにした。
石破は「秋に経済対策を策定する。与党とも連携して検討を深め、党派を超えた協議を呼び掛けて結論を得たい」とも述べた。堂々たる続投宣言だった。
しかし、足元は火事場だった。自民党が2日に「解党的出直し」の必要性を明記した参院選の総括をまとめると、幹事長の森山裕ら党四役が一斉に石破に辞意を伝えた。しかし石破は認めず、辞意を固めた執行部が党運営を担う異常事態が続いた。党役員の任期は9月末なので、選挙大敗の引責辞任ではなく通常の人事異動で済まそうとした石破の魂胆が透けて見える。
深刻な機能不全
実務への影響はすでに出ていた。与野党は参院選後、ガソリン税に上乗せされている暫定税率の廃止を巡り5日までに5回協議を重ねたが、結論は出なかった。廃止の場合、国・地方あわせて年間1兆円規模の減収となる財源の代替措置が懸念だが、レームダックの石破の居座りで自民党が意思決定できない状況も大きく影響した。
党四役の1人は石破に辞意を伝えた直後、「慰留はなかったが、辞めさせてもくれない。当面は仕事をしろということなのだろうが……」と困惑していた。ましてや秋の経済対策を党としてどう検討するのか。自民党は完全に機能不全に陥っていた。
総裁選を経て新しい人事が固まるまで、政治空白はさらに続くことになる。
石破は2日の両院議員総会の冒頭、進退について自らこう語った。
「地位に恋々とするつもりは全くない。自民党として道筋を示すことが私の責任だ。しかるべきときにきちんとした決断をすることが、私が果たす責務だ」
総会後、記者団に「しかるべきとき」がいつかを問われると、①物価高を上回る賃金上昇の実現②関税対策をはじめとする経済対策の速やかな実施③防災庁の設置④防衛力の強化⑤コメ問題への対応─を列挙し、「それを責任を持ってやっていく」と語った。いずれも石破の本来の総裁任期である残り2年間でも実現困難な課題だ。
これは14年前の11年7月6日、衆院予算委員会で石破本人が当時民主党政権の首相だった菅直人にぶつけた内容とそっくりだった。
民主党は10年の参院選で議席を減らし、参院で与党過半数割れとなった。11年3月に発生した東日本大震災の対応の不手際もあり、民主党内で「菅降ろし」が起き、民主党に在籍していた小沢一郎らが自民党提出の内閣不信任決議案に賛同する姿勢を示していた。
すると菅は11年6月2日の党代議士会で「大震災に一定のめどがついた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい」と退陣を示唆。直後の衆院本会議で小沢らの造反を阻止し、不信任決議案は反対多数で否決された。
しかし、菅はなかなか辞任せず、野党・自民党の政調会長だった石破が先の予算委で「菅民主党政権を正せということが参院選の結果だ。選挙をなめないでください」と追及した。
「あなたは民主主義の結果を正面から否定した。その報いは必ず来る」
「震災や原発に一定のめどはいつつくのか。10年か、20年か。実はいつまでも辞めないと言っているのと一緒だ」
首相の石破に浴びせられた批判とそっくりだった。
石破は「あらゆる責任は政治がとるのだ」「あなたの自己満足のために内閣があるわけではない。私は、政治は結果責任だと思っている」とも訴えた。昔の石破の激烈な言葉を今の石破はどう受け止めていたのか。
一時は衆院解散も検討
多くの歴代首相を支えてきた首相官邸のスタッフは石破の退陣表明の前、「今の石破首相は制御不能だ。周りの声が全く頭に入らない。根拠不明な自信と使命感で続投できると思っている」と語っていた。
退陣表明の記者会見では、驚くべき発言があった。石破が一時、衆院の解散・総選挙を検討していたことを「否定はしない」と語ったのだ。
解散・総選挙説は、総裁選前倒しが現実味を帯び始めた9月初旬、永田町に一気に広まった。石破は複数の議員に直接電話をかけ、解散が選択肢にあると伝え、前倒しの署名に賛成しないよう「脅し」をかけている、という内容だ。
衆院解散は国会開会中に行うのが通例だ。憲法7条には、内閣の助言と承認に基づき天皇が解散を行うと定めてある。「国会開会中に限る」とは書いていないが、閉会中の解散は現行憲法で一度もない。石破は事務方に調べさせ、閉会中でも解散可能との言質をとっていた。
ただ、仮に臨時国会を召集し、解散を行おうにも、議長や議院運営委員会委員長の協力がなければ実現できない。何よりも党四役が辞意を表明していた中で公約は誰が作成するのか。候補者の選定は誰が行うのか。
石破や数少ない側近議員ですべてをこなすことは不可能だった。こうした冷静な判断ができないほど、石破は周りが見えていなかった。有事が発生していた場合、冷静に自衛隊の運用などを指揮・監督できるのかといった疑念さえ惹起する。
10月以降の政局はかなり流動的だ。自民党の新総裁は、衆参両院で少数与党のため、首相に指名される保証はない。立憲民主党や国民民主党、日本維新の会などの野党が結束して政権を取る空気は現時点でないが、仮に新総裁が首相に就いても不安定な政治状況が続く。
15%への引き下げに合意した日米関税は、なお予断を許さない。米国の裁判所は、1審と控訴審で「トランプ関税」を違法と判断した。トランプは最高裁に上訴したが、敗訴した場合は日本を含む合意を無効化する意向を示しており、高関税に戻る可能性が残っている。
現状の合意が履行されたとしても、打撃を受ける輸出産業などへの支援対策を含めた25年度補正予算案の行方は見通せていない。その必要性は与野党でほぼ一致しているが、自民党の政局の影響で補正予算案の審議を見込む臨時国会の召集は10月下旬以降にずれ込む可能性もある。
経済対策の柱である物価高対策も具体的には見えてこない。自民党が参院選で公約した国民1人あたり原則2万円の現金給付は宙に浮いたままだ。野党が軒並み主張した消費税減税を取り入れるのかどうかも自民党は決め切れていない。
8月に締め切った26年度一般会計予算の概算要求総額は122兆4454億円に上った。前年度から5兆円ほど増え、要求額としては3年連続で過去最大となった。国債の元利払いにあてる国債費も過去最大の32兆3865億円に膨らんだ。
政策経費の幅が狭まる一方、財政支出圧力は今後も確実に続く。石破政権が維新と合意した高校授業料の無償化は、26年度以降は所得制限なく私立高校も対象とし、支給の上限額が45万7000円となる。これにより4000億~6000億円の財源が必要となるが、恒久財源の議論は煮詰まっていない。
「手取りを増やす」と訴える国民民主との協議を機に政府が導入した「年収の壁」は、課税最低限の額を103万円から160万円に引き上げた。引き換えに25年度は約6200億円の減収が見込まれる。ガソリン税の暫定税率を廃止した場合の財源もしかり。財政再建の道は遠くなるばかりだ。
中朝露の脅威
ますます険悪化する国際情勢への対応も懸案だ。石破が粘りを見せていた3日、中国・北京で「抗日戦争及び反ファシズム戦争勝利80周年記念軍事パレード」が大々的に行われた。中国国家主席の習近平、ロシア大統領のプーチン、北朝鮮労働党総書記の金正恩が勢ぞろいした。
ウクライナを侵略するロシア、そのロシアに兵士を送る北朝鮮、そして北朝鮮のロシア接近で一時は関係悪化も伝えられた中朝は「抗日戦争80年」を機に結束をアピールした。「反ファシズム」とは名ばかりで、独裁・強権化を進める「脅威の枢軸」結集の様相だった。
対する米国は毀誉褒貶の激しいトランプの下で不安定な政治状況が続く。ウクライナ戦争に対峙する欧州各国も米国との距離感がはかりきれず、一枚岩と言い難い。本来ならば日本が橋渡し役として、何よりも日本周辺の「脅威の枢軸」に対処するためにリーダーシップをとるべきだが、石破にはその能力もなく、結果も出せなかった。
新総裁は離反が著しい保守層の取り込み、国会では野党との協調、政策では経済対策に安全保障と課題が山積する。いずれにせよ、また1年程度で首相が交代するようでは、日本の国際的な地位が下がるばかりである。(敬称略)