8月26日~29日に開催されたオンラインイベント「TECH+ フォーラム データ活用 EXPO 2025 Aug. データを実装し、ビジネスを駆動させる時代」において、松尾研究所 取締役 執行役員の金剛洙氏が、生成AIがもたらす社会的・経済的インパクトをテーマに講演を行った。
経済キャスターの瀧口友里奈氏との対談形式で行われた同講演では、急速に進化する生成AI技術の現状と、それが産業界に与える変革について詳しく語られた。
東大・松尾研から生まれた技術の社会実装を目指す
松尾研究所は、東京大学の松尾・岩澤研究室と伴走するかたちで設立された組織で、同研究室が行う基礎研究や起業家育成活動から生まれた技術を社会実装することが主要な使命となる。これまでに35社の松尾研発スタートアップが誕生しており、さまざまな業界業種の企業と協力して社会実装を進めている。研究室と実装組織の役割分担について、金氏はこう説明する。
「研究者の根底にあるモチベーションは、『知能がどのように成り立っているのかを解明したい』という探究心です。一方、社会実装の立場では、将来的な人口減少を見据え、いかに生活や産業を支え続けるかが課題となります。そこでAIをどう活用し、より少ない人数で社会を回していけるかという点に重きを置いているのです」(金氏)
金氏自身は元々金融機関に勤務していたが、2017年に大規模言語モデルの基盤となるTransformerアーキテクチャに関する論文(Transformer論文)が発表された際、その可能性にいち早く注目した。
「Transformer論文には大きなインパクトを受けました。研究者たちは『これはさまざまな業界を変えるだろう』と気付いており、私も当時所属していた金融機関で実装したいと提案したのですが、なかなか受け入れられず、もどかしい思いをしていました。その話を松尾豊教授にしたところ、『社会実装を担う会社を立ち上げるから、そちらでやってみてはどうか』と誘っていただいたのが参画の経緯です」(金氏)
「物量」の戦いへ - 激化するグローバル開発競争
ChatGPTの登場により、AI開発競争は新たな局面を迎えることとなった。特に注目すべきは「スケール則(Scaling Law)」と呼ばれる現象の発見だ。スケール則は、計算資源、データ量、モデルのパラメータ数を増やせば増やすほど、AIの性能が予測どおりに向上するという法則で、金氏によると、この発見によってAI開発は資金力を持つ巨大テック企業が圧倒的に有利な戦いとなった。実際、GPT-1のモデルパラメータ数は約1億だったが、現在では兆のオーダーに達しており、このような巨額の予算を投じることができる企業は限られている。
しかし、2025年に入ってから、単純にモデルを大きくするだけではない、新たな進化の方向性が見えてきた。「推論モデル」と呼ばれる、思考の深さを追求するタイプのAIの登場だ。金氏は「人間が難しい問題に対して即答せず少し考えるのと同じような方向へとAIも進化している。中国のDeepSeekなどの企業からも、こうした推論モデルが発表され、これまで解けなかった難しい問題も解けるようになってきた」と説明する。
このグローバル競争のなかで、日本の立ち位置は厳しい。国のAI関連予算が数千億円規模であるのに対し、海外の巨大テック企業は年間で数兆円から数十兆円規模の研究開発費を投じている。この圧倒的な資金力の差を前に、日本はどのような戦略を描くべきなのか。
同氏は、AGI(Artificial General Intelligence、汎用人工知能)開発の重要性に触れつつ、日本の活路は「技術的なブレイクスルーにある」と語る。
「AGIは、AIが自律的に賢くなり、産業構造を根底から覆す可能性を秘めています。この開発競争で後れを取るわけにはいきませんが、資金力で真っ向から勝負するのは難しい。日本が戦える道筋があるとすれば、現在のTransformerベースではない、まったく新しいアプローチによる技術的なブレイクスルーを起こすこと。それによって、今の資金力勝負のゲームのルールを変えられるかもしれません」(金氏)
頭脳と肉体の代替 - AIエージェントとロボットがもたらす未来
AIの進化は、我々の仕事や生活をどのように変えるのか。金氏は、現在注目すべき応用分野として「AIエージェント」と「ロボット」の2つを挙げた。
「AIエージェントは、Web上で行えるタスクを基本的に全て代行してくれるため、『頭脳労働の代替』と位置付けられます。一方、ロボットは物理的な作業を行うため、『肉体労働の代替』です。この両輪が、今まさに一気に進もうとしています」(金氏)
AIの知能は、すでに東京大学理科三類に合格するレベルに達しており、ペーパーテストにおいては人間を凌駕している。この賢くなったAIが、ソフトウエアエージェントとして、あるいは物理的な身体を持つロボットとして、実社会で活動を始めるインパクトは計り知れない。
とくに、家事のような不定形な作業をこなす「フィジカルAI」の進化は目覚ましい。洗濯物を畳んだり、折り紙を折ったりといった、これまでロボットには困難とされてきた器用な作業をこなすデモが次々と公開されており、家庭や工場での活躍が現実味を帯びてきている。
ビジネス実装のフェーズも、新たな段階に入りつつある。これまでは、RAG(Retrieval-Augmented Generation)技術を活用して、社内文書を参照できる質問応答システムや創業者の思想を学習させた「社長AI」を構築するなど、既存の業務プロセスの一部をAIで置き換える事例が中心だった。しかし、同氏は「これからは、ビジネスモデルそのものがAI前提で設計されるようになる」と予測する。
「例えば今までは、既存の工場に後からAIを導入して効率化を図る、という発想でした。しかし今後は、工場を建設する段階からAIやロボットが稼働することを前提に設計されるようになります。そうなれば、人間の役割はAIやロボットでは対応できない、ごく一部の作業に限られていくでしょう。あらゆる産業で、ビジネスのあり方が根底から変わっていくはずです」(金氏)
AIネイティブ時代の到来と、日本企業が進むべき道
こうした急激な変化は、雇用や教育、企業文化にも変革を迫る。すでに海外のIT企業では、AIによる生産性向上を背景とした人員削減の動きが始まっている。
さらに重要なのが、「AIネイティブ世代」の台頭だ。金氏は「今の大学生や新入社員は、生成AIがあるのが当たり前の世界で育ってきた。彼らはレポート作成や就職活動のエントリーシート作成にも自然にAIを使いこなす。こうした世代が社会に出てくる以上、教育の在り方も、AIをいかにうまく活用して共に生きていくか、という視点で変わらなければならない」と指摘する。
企業もまた、AIの利用を禁止するのではなく、むしろ積極的に活用し、その活用能力を評価する仕組みへと転換する必要がある。同氏は、あるコンサルティングファームがインターンシップで「生成AIの使用を許可し、その使い方(プロンプト)まで含めて評価する」という取り組みを始めた事例を紹介し、これからの時代に求められる能力評価の1つのかたちを示した。
最後に、金氏は日本の競争力強化に向けた提言を「使う側」と「つくる側」の双方の視点から語り、講演を締めくくった。
「まず『使う側』の企業は、AIの加速度的な進化を常にキャッチアップし続けることが不可欠です。『今できないから』と諦めるのではなく、半年後には可能になっている未来を見据えて事業を構想すべきです。そして『つくる側』は、厳しい競争環境ではありますが、日本として決して撤退してはならない領域です。国は、スタートアップなどが巨大テック企業と戦えるよう、計算資源へのアクセスを安価にするなど、より一層の支援を強化していく必要があります。そうすることで優秀なエンジニアが集まり、エコシステムが循環し始めます」(金氏)
生成AIがもたらすのは、産業構造、働き方、そして社会の在り方そのものを変容させる巨大なインパクトだ。その進化の速度は我々の想像を絶し、もはや直線的ではない。この非連続的な変化の波に乗り遅れることなく、未来を構想し行動を起こしていくことが、日本企業にとって、今後の競争力維持・向上の鍵となるだろう。
