従業員4万人超、56の連結子会社を抱えるANAグループが、前例のない挑戦に乗り出している。部門や役職、ITスキルにかかわらず、全ての社員が必要なデータに自由にアクセスし、業務に活用できる「データの民主化」の実現だ。
8月26日~29日に開催されたオンラインイベント「TECH+ フォーラム データ活用 EXPO 2025 Aug. データを実装し、ビジネスを駆動させる時代」で、全日本空輸(ANA) デジタル変革室 イノベーション推進部データドリブンチーム マネージャーの紺野元気氏が、同社のデータガバナンス戦略について紹介した。
エアライン事業・ノンエア事業の収益拡大に向け、データを“新たな武器”として位置付ける
ANAグループは従業員約4万1000人、連結子会社56社を擁する巨大企業だ。航空事業を核としながらも、近年は、ANA MallやANA Payといった非航空事業にも力を入れている。紺野氏は「非日常のエアラインと日常の生活サービスを相互に回遊させることが重要で、この実現にはデータを最大限活用していくことが欠かせない」と語る。
2023~2025年のDX戦略では、グループ横断でデジタルとデータを活用してビジネスを変革し、価値創造を実現することを掲げ、具体的な数値目標も設定している。IT投資額は1.5倍、デジタル人財は1.6倍、活用可能なデータ量は4倍にそれぞれ拡大する計画だ。
ANAグループでは、データを“新たな武器”として位置付けている。同氏は「個人の知識や経験・勘に加え、データという客観的事実に基づくことで、精緻でスピード感のある判断とアクションを行えるようになる」と説明する。
具体的なデータ活用事例として紺野氏は、顧客から寄せられる声のCX分析、航空燃料の使用量分析、羽田空港保安検査場の混雑予測などを挙げた。
「お客さまから寄せられる膨大なテキストデータを生成AIでカテゴリー分類し、集計・可視化して、サービスの改善施策を検討しています。これにより、業務効率化と検証パターンの増加、テキスト分類の平準化につながっています」(紺野氏)
全社員がデータを使いこなす「データの民主化」という挑戦
ANAグループが強く推進しているのが「データの民主化」だ。これは、グループ社員約4万人が、部門、役職、ITスキルなどにかかわらず、必要なデータに自由にアクセスして自らの業務に活用できる状態を指す。
「データの民主化を推進する理由は主に2つあります。1つ目は、グループ全体としてデータ活用の取り組みのスピードアップを図れること。2つ目は、部門特有の課題やニーズに沿った分析が行われるため、より実用的で効果的な改善策や意思決定が生まれる可能性があることです」(紺野氏)
従来はDX室のような専門家がデータの生成から分析まで一手に担っていたが、今後は基盤部分をDX室が主導・統制し、データマート整備以降はビジネス部門が主導するかたちに移行していく。
「各業務部門のスキルレベルに応じて私たちが支援を行い、最終的には各部門の社員が自らの業務にデータを自律的に活用できる状態になることを目指しています」(紺野氏)
「仕組み」「人」「ポリシー」の3本柱
データの民主化を安全に実現するため、ANAグループでは「仕組み」「人」「ポリシー」の3つを主要な構成要素としたデータガバナンスを構築している。
「仕組み」の中核となるのが、統合データ基盤「BlueLake」だ。従来の業務別データ基盤を統合し、顧客データや運航データなどさまざまなデータを物理的に集約、一元管理している。
特徴的なのは、個人情報を含む「Private領域」と、個人情報を含まない「Open領域」にAWSアカウントレベルで分離していることだ。「データの民主化の下、ユーザーがアクセスできるのは、仮名加工処理が施されて個人情報が匿名化されたOpen領域のみ。これにより柔軟で高度な大量データ分析に活用できるようにしている」と紺野氏は説明する。
さらに、このデータ基盤の活用を支えるのが、内製のデータカタログツール「Moana(モアナ)」だ。
「データの民主化を進めるうえで、ビジネス部門のユーザーが自ら活用したいデータを探し、その意味を調べられることは不可欠です。Moanaによってメタデータを一元管理し、データの意味やコンテキストの理解を深めることで、データ品質と信頼性を高めています」(紺野氏)
業務を理解した専門家の育成と「データスチュワードシップ」
「人」の側面では、データの民主化を推進するための教育プログラムに力を入れている。内製型研修「デジタルリード研修」では、業務部門から希望者を募り、集合研修やワークショップ、動画学習を通じてデータ活用の基礎から実践までを学ぶ。
「とくに重要なのは、グランドスタッフ経験者や整備出身者が講師を務める点です。これにより、業務を深く理解したデータの専門家を養成し、現場でのデータ活用を加速させています」(紺野氏)
また、データマネジメントを推進する体制として、「戦略」「実行」「監督」の3つの機能に沿った役割を定義する。
なかでも重要なのが、データガバナンスの実務を担う「データスチュワード」である。これは、データ基盤の開発・運用を統制する「BlueLakeデータスチュワード」(主にDX室)と、現場のデータ利用者のニーズを集約しDX室との橋渡し役を担う「業務データスチュワード」(主に業務部門)の2種類で構成される。この両者が連携することで、ガバナンスと利活用のバランスを取る協創体制の確立を目指している。
DMBOKを軸にした全社的ルールの整備
仕組みと人を動かす拠り所となるのが「ポリシー」だ。ANAグループでは、国際的なデータマネジメントの知識体系であるDMBOKを軸に、自社の実態に合わせてカスタマイズしたデータマネジメントポリシーを策定している。
同ポリシーでは、「体制と役割」「プライバシー保護とセキュリティ」「データ品質」「利用料設定」といった項目が明確に定義されている。紺野氏は「ポリシーは、内容をアップデートし続けることも大事だが、それ以上に『いかに全社に訴求し、浸透させるか』が実効性を高めるうえで非常に重要」と強調する。
ガバナンスは次なるステージへの「土台固め」
講演の最後に紺野氏は、今後ANAグループが向き合うべき3つの論点を挙げた。
1つ目は、データの品質と一貫性の向上だ。部門間で定義が異なる「予約数」のような用語を統一し、誰もが信頼して使えるデータを整備していく。
2つ目は、AIエージェント活用を見据えた環境整備だ。AIがデータの意味を正確に理解できるよう、セマンティックレイヤーやビジネスメタデータ、データナレッジをさらに整備する。
そして3つ目が、限定的な個人情報活用の仕組みだ。プライバシーに配慮しつつ、顧客1人ひとりに寄り添った対応を実現するためのルールと環境を整備していく。
「データガバナンスの取り組みは目立ちにくく、地道な活動といえるでしょう。しかし、これらのガバナンスは未来への挑戦に向けた『土台固め』に他なりません。強固な土台があってこそ、私たちは新たな取り組みに安心して挑戦できるのです。このことを社員1人ひとりが正しく認識してアクションしていくことが重要だと考えています」(紺野氏)
ANAグループが目指す「ワクワクで満たされる世界を」というビジョンの実現に向け、データ活用はますますその重要性を増していく。同社が推進するデータの民主化と、それを支える強固なガバナンス体制は、単なる守りの施策ではない。それは、顧客、従業員、そして社会の可能性を広げるための、攻めの土台なのである。





