コダックは破綻、富士フイルムは過去最高益を達成——。同じ業界の激変に直面しながら、なぜこれほどまでに明暗が分かれたのか。その答えが、企業の長期変革戦略にある。
7月11日に開催されたオンラインイベント「TECH+ summit DX day for Executive 2025 Jul. 変革のシナリオ」において、早稲田ビジネススクール 教授でボストン コンサルティング グループ シニア・アドバイザーの杉田浩章氏が、著書『10年変革シナリオ 時間軸のトランスフォーメーション戦略』(発行:日経BP)の内容を基に、企業が未来を切り拓くための戦略について語った。
なぜ変革は進まないのか?
杉田氏は冒頭で、多くの企業が抜本的な変革を実現できない理由について言及。「トップのリーダーシップや経営チームの能力の問題なのか、ミドルの問題なのか。あるいは戦略やビジョンがうまく描けないことなのか」とさまざまな要因を挙げつつ、「これらの課題はおそらくどれも正しく、長期の変革を難しくしている大きな理由」だと分析した。
そのうえで、同氏は長期変革を阻害する根本的な問題として「時間軸のとり方」を指摘。「10年超という長期の時間軸を意識し、そのなかで変革プランをつくって実行していくことが必要」と強調し、さらに「ビジョンや戦略だけできても企業は変わらない。それを実行する組織・人のあいだをつなぐ『仕掛け・仕組み』を明確にし、どういう手順で動かしていくかまでをセットにしなければ、長期の変革は難しい」と「戦略と組織・人をつなぐ経営システム全体の変革シナリオ」の重要性を述べた。
3つのウェーブによる変革シナリオ
杉田氏が提唱する長期変革の核心は、10年超の時間軸で「3つのウェーブ」を回し続けることにある。
第1のウェーブは「既存のコア事業でいかにしてキャッシュを生み出す状態をつくるか」、第2のウェーブでは「10年後の成長を支える中核事業ドメインの周辺事業領域でキャッシュを稼ぐ」、そして第3のウェーブとして「将来に向けての種まき」を行う。つまり、現在の事業で稼ぎながら次のキャッシュ源を育て、同時に新たな市場創造への投資も実施していくという戦略である。重要なのは、これら3つのウェーブを最初の段階から一定程度のシナリオを描いて同時にスタートさせることだという。
この変革を支える重要な視点として、同氏は「時間軸の投資ポートフォリオ」の組み立てと「市場創造型の勝ちパターン」を挙げた。「既存市場での競争戦略ではなく、自ら長期的に市場をつくっていく考え方」であり、「どこに潜在的な市場があるのかを見極め、自社の強みを活かし、足りないケイパビリティに投資・獲得し、既存の強みと掛け合わせることで、新しい勝ちパターンを創出する」ことが求められる。
明暗を分けた急速な市場縮小への対応
講演では、この変革シナリオの成功例として富士フイルムの事例が詳しく紹介された。同社は2000年代初頭、デジタル化の波により銀塩フィルム市場が急速に縮小するなかで、抜本的な変革を遂げた企業として知られている。
杉田氏は、同じ状況に直面しながら破綻したコダックとの違いを、キャッシュの使い方に見出した。「コダックは配当や自社株買いによって株価を維持することに資金を使った一方、富士フイルムは生み出した営業キャッシュフローを自社の設備投資やM&Aといった将来への投資にコンスタントに投入し続けた」と分析した。
富士フイルムの変革戦略の特長は、既存の産業の枠組みに捉われない事業ドメインの再定義にあった。同社は2004年、銀塩技術で培った基盤技術を「デジタルイメージング」「高機能材料」「光学デバイス・システム」という大きな方向性で捉え直し、これらの技術で新しい市場を創造できる領域に事業を展開した。
具体的な成功例として、液晶ディスプレイ向けのTACフィルムがある。これは写真フィルムの支持体として使われていた技術を応用したもので、市場が本格的に立ち上がる2003年よりも前の2000年に大規模な投資を敢行した結果、大きな成功を収めた。同氏はこれを「市場の変曲点(ティッピングポイント)を読み切り、誰よりも先に大きな投資を仕掛けた」と評価した。
切迫感を生み出す富士フイルムの組織づくり
富士フイルムの変革でとくに注目すべきは、社内に変革の切迫感を生み出す仕組みづくりだった。杉田氏は「富士フイルムは経営が傾きかけて、やむにやまれぬ状況に追い込まれてから変革に着手したわけではない。キャッシュが完全になくなってからでは、目先の構造改革に追われ、長期を見据えた手は打てなくなる。黒字で、長期投資の余力があるうちに、いかにしてミドルマネジメント層を本気にさせ、彼らのリーダーシップマインドを引き出すかが重要」だと指摘した。
同社は事業を独立性の高い14の事業単位に分割し、各事業のトップに新たな市場創造を考えさせる分権型の経営体制を導入した。一方で、「面白い事業アイデアにどう資金を配分するかについては、経営トップへの意思決定の一元化という求心力を働かせた」(杉田氏)という。
さらに興味深いのは、1000人の幹部社員全員に「変革のために何が必要か」という2ページのレポートを提出させ、そのなかから光るアイデアを拾い上げ、組織・人事・報酬制度の変革テーマとして実行に移していった取り組みだ。これによりミドル層に「自分たちの声が会社を動かす」という当事者意識を持たせたそうだ。
戦略的に投資家構成を変更する
富士フイルムのもう1つの成功要因は、投資家構成の戦略的な変更にあった。杉田氏によると、「2000年時点では配当収入を重視するバリュー投資家が73%を占めていたが、2022年には長期的な成長性に投資するグロース投資家が50%を占めるまでに逆転した」という。
「長期ビジョンを支持してくれる投資家に対し、ストーリーテリングや情報開示を行い、そして実績を示すことで、自社の味方となる投資家のポートフォリオを意図的につくり上げたのです。これが、長期変革の実現に大きく寄与しました」(杉田氏)
リクルート、ユニ・チャームに見る「勝ちパターン」
講演では富士フイルム以外の成功事例も紹介された。リクルートは自社を「人材採用業界のプレイヤー」と定義せずに、企業(クライアント)と個人(カスタマー)の「マッチング」の総量を最大化することが自社の存在意義であり、強みであると事業モデルを再定義し、「リボンモデル」と呼ばれる仕組みを構築できたことでさまざまな領域への展開を可能にした。
ユニ・チャームは「1人当たりGDPが3000ドルを超えると紙おむつ市場が急成長する」という経験則を活用し、インドネシア市場で世界初の「紙おむつの1個売り」というビジネスモデルを開発して市場を席巻した。
杉田氏は「デモグラフィック(人口動態)、テクノロジー、規制、生活者の価値観といったメガトレンドが自社の事業に意味のある変化をもたらす『変曲点』を見極め、いち早くインサイダーとして市場に入り込み、適切なタイミングで投資を仕掛ける」ことの重要性を強調した。
変革は「渇望感」から始まる
杉田氏は講演の最後に、10年変革シナリオのキーコンセプトを、「10年超の時間軸で3つのウェーブのシナリオを持つ」「長期的・非線形的に伸びる可能性が高い領域を次の成長ドメインとする」「多角的な評価軸で投資ポートフォリオを管理する」「変曲点を捉えた先行投資という勝ちパターンを構築する」「ミドル層のリーダーシップを育成し、長期視点の投資家を味方につける」「パーパスを活用して組織全体の意識と行動をつなぎ、変化を恐れず進化し続ける組織カルチャーを醸成する」とまとめた。
「どの企業においても、トップから従業員までが、現実を直視し、変化を機会と捉え、自らを変えることで、存在意義の高い企業になるという渇望感に火をつけられるか。それが、トランスフォーメーションを主導できるかどうかを決めるのです」(杉田氏)
変化の激しい時代において、10年後も輝き続けるために、全ての企業が今、自らの「変革のシナリオ」を描くことを迫られている。