
「今は〝言力政治〟になっている」─。こう分析するのは国際政治の専門家で防衛大学校長も務めたアジア調査会会長の国分良成氏。米トランプ政権による関税発動などで分断・分裂の様相を深める国際情勢。その中で国分氏は「完璧な民主主義の実現はあり得ないが、そこに近づくための努力が必要だ」と指摘する。その点、日本には共生や共存共栄の精神がある。日本の使命と役割を考える……。
「価値」のない国際情勢
─ まずは今のトランプ・ショックと世界はどう向き合うべきだと考えますか。
国分 歴史感を持った上で今の国際状況を分析していると、どこか帝国主義が牙をむいた19世紀的な状況が起こっているように見えます。その中で注意しなければならないことは、今は21世紀であり、そこは大きく違うということです。
国際政治学者の高坂正堯先生が国際政治に対する分析枠組みとして「価値の体系」「利益の体系」「力の体系」の3つの体系が複雑に絡み合った動的体系であると指摘していました。しかし、いま起こっている現象には価値の体系がありません。
つまり、何を理念にしているのかが分からない。今の自由主義とはリベラリズムでもグローバリズムでもないし、それに民主主義なのか、あるいは権威主義なのか、それとも社会主義なのか。
どこに我々が向かっているのかという価値が喪失しているのです。その結果、利益と力だけが残っていると。
─ 軸となっている価値観がないからこそ混沌としてしまっているわけですね。
国分 ええ。利益と力だけの国際政治こそ、まさに19世紀的です。しかしながら今はグローバリゼーションであり、リベラルな体制を前提に世界は動いています。
しかも、人類は民主主義を否定していない。完璧な形はどこも実現できていないのが現実ですが、その中でトランプ現象が起こっているのです。
それを表現するとしたら「ワールド・ポリティクス」ではなく、国際政治学者の田中明彦氏の言う「ワード・ポリティクス」であると。つまり、「言力政治」になっていると言えます。
そこでは大きな声を出した者が勝者のように見えるだけです。最も大事なことは、言っていることではなく、実際にやっていることだと思います。
─ 実際に起こっているかどうかを見定める必要があると。
国分 はい。現実に起こっていることを見る必要があります。トランプ第一次政権でも今回と同じように大きな声を出していましたが、結局、何が残っているかと言えば何も残っていない。つまり、ほとんど変えられなかったということです。
そしてトランプ大統領は、ある程度大きな声を出し、それが失敗したとしても彼にとっては失敗ではない。それに対して何か語ることも反省することもなく、先に進む。その中で第一次政権と違うのは、関税の発動など現実に断固として実行しているという点になります。
他にも連邦政府の職員を解雇したり、海外からの移民や留学生の資格を取り消したり、対外援助機関である米国国際開発庁(USAID)を閉鎖したり、主要な教育機関や研究機関への助成金の削減など、現実に始めてしまっているわけです。これらがもたらす波及効果は大きいと思います。
失ったものは容易に戻せない
─ 米国内でも反発の声が上がっていると聞きますからね。
国分 訴訟も増えているので、その具体的な影響はまだ見えてきていませんが、どう考えてもグレート・アメリカにはなりそうもない。
例えば、アフリカはトランプ大統領から完全に見捨てられている状態になっている。そういうことが実際に起こっているわけです。さらに、そこに中国が入り込んでいるかというと、意外とまだあまり動いていないようです。
─ その理由をどのように考えますか。
国分 中国には人道援助に関心がないからです。加えて言えば、金銭的な余裕もないということでしょう。これまでも人道支援と似たようなことをやってきたけれども、リターンがほとんどなかった。
ですから、彼らはやっても意味がないと思っているのかもしれません。そういったカオス(混沌)のような状況が起こっているのです。いずれにしても、トランプ大統領の発言には朝令暮改の部分も結構あります。
しかし実際に行動に移している部分もある。今の段階で全ての評価をするのは非常に難しいですが、国際情勢における米国の国力の相対的な低下は免れない状況になってきていると思います。特に国際経済の面ではそうでしょうね。
─ 「脱アメリカ」の動きは今後出てくるのでしょうか。
国分 正直言って、それは分かりません。問題は、この状況がどれくらい続くのかです。ただし、トランプ政権によって様々な予算や人員などが削減され縮小されました。ここまでくると、それらが復活することは非常に難しくなります。
このことは逆に言うと、これまで財力を使って米国が世界を支えてきたということがよく分かってきたということです。
例えばハーバード大学への助成金は年間約1兆3000億円規模。驚きますよね。日本の文部科学省が日本私立学校振興・共済事業団(私学事業団)を通じて学校法人へ配っている私学助成金は約3000億円に過ぎませんからね。それだけ米国の経済力を含めたパワーとは大きかったわけです。
─ 米国が相対的に国力を低下させることによって世界情勢も変化することになります。
国分 その通りです。取り返しのつかない部分が出てくる可能性もあると思います。ポスト・トランプの米国がどうなるのか。全部が復活することは難しい。
すると、多かれ少なかれ、格差社会という現実がより鮮明になってくるでしょう。これは世界中で同じ状況を抱えつつあります。日本も深刻です。米国や日本だけではありません。実は中国でも相当広がっています。
また明確には見えていませんが、ロシアでも相当に広がっているはずです。格差というものが世界中で、ますます浮かび上がってくるということです。そうすると、どの国も選挙で給付ばかりを言うようになる。
しかし、その財源は誰が負担するのかという問題がある。
─ 失われた米国の財源を世界がカバーするかどうか?
国分 そうです。しかし、中国も含めてそれは難しいでしょうね。欧州もドイツが厳しいですからね。もちろん、日本にもそんな余裕はないでしょう。国民がその負担に耐えられるかというと、増税しかありませんからね。
したがって、トランプ・ショックは世界で普遍的に起こっていた現実を一挙に早回りさせているように見えます。
トランプ政権に端を発し、これまで蓄積してきたいろいろな矛盾が、ここにきて徐々に表面化されてきているということなのだと思います。しかし、グローバリゼーションは変わらず進む。その前提で物事を考えると、どのような枠組みで支え合っていくのかというルールが全く見えてこなくなってきています。
他国と手を組むのが日本の役割
─ そうすると、日本やEU、ASEANがまとまるということはできませんか。
国分 それしかありません。ただ、誰がどうやってそれを進めていくのかという課題があります。これまでは米国がその役割を担っていたからです。日本の安全保障でも、どうやって米国にこの地域に存在し続けてもらうかがポイントだったわけです。
しかしこの先、米国がどうなるか分からない。そういう意味でも、羅針盤なき国際関係が生まれつつあると思いますね。
─ そもそも米国は多様な人々をまとめるために、常に理念を語るという「理念の国」であったのでしょうか。
国分 2つの側面があると思います。リアリズムの世界と理想主義の世界です。
リアリズムという点では、利益をきちんと享受することによって国の繁栄をつくり出すという考え方です。そして米国の繁栄が世界の繁栄につながるという思想です。
一方の理想主義は人道的なミッションを語るというものです。これまでの米国には、この2つの世界観を併せ持っていたのだと思います。しかし今の米国はそのバランスが壊れている。
一方、日本はどちらかというと、利益先行型というよりは理念先行型です。過去の戦争もそうですが、理念が先に来る傾向にあります。それは企業経営でも同じようなことが言えるのではないでしょうか。
─ しかしそれは米国の傘の中という前提に立っています。
国分 その通りです。米国がその立ち位置を捨てないという前提があったわけです。しかし今はそれ自身が揺らいでしまっている。ですから、そこを支えていくのがEUや日本、あるいは豪州といった国々になっていくのでしょう。
ただ、先ほど申し上げたように、個々の国々がそれぞれ国内に大きな問題を抱えているのが現状です。それでも国同士が協力し合うことが重要です。本来は国際的な環境が落ち着かなければ、国内も落ち着いてきません。
ですから、国際的な大きな課題と国内で起こっている現象とは相関しているのだと思います。簡単に言えば、グローバリゼーションの中で、どのように国内調整をするかという話なのです。
やはり私は、これから先も人類はデモクラシー、つまりは民主主義から離れることはできないと思っているんです。完璧な民主主義の実現はほぼあり得ませんが、そこに近づくために、目の前の壁をいかに乗り越えていくかという考えが必要になってくると思うのです。
おそらく国民も感覚としてそういうことを理解している人たちもいると思うのですが、なかなかできない。そういう現状を打破するようなリーダーが出てこないと難しいのでしょうね。
日本が持っている ソフトパワー
─ その場合に求められる理念とは、どのようなものなのでしょうか。日本が元来持っている共生や共存共栄という精神を生かすことはできませんか。
国分 そうですね。日本はある種の側面では成功した社会主義のような体制を作りました。相互扶助の社会です。その根底には共生や共存共栄といった精神があるのではないかと思います。それを経済発展が財源的な面で下支えしてきたわけです。
しかしながら、今は昔と状況が違います。足元のインバウンドだけでは日本の経済成長は成り立ちません。その中で産業をどう増やしていくか、成長させていくかが一番大事になってきます。
その際、他と同じことを発想していると、いつかはそれは廃れてしまいます。本質はそこではないということです。
その点、日本のソフトパワーには可能性があると思うのです。インバウンドが増えているのも、海外の人々が日本のソフトパワーの魅力に気が付いているからです。ソフトパワーの領域で日本の底力を上げようとしている人たちは必ずいるはずです。
ですから、新しいブレイクスルーがどこから出てくるかなのです。
日本は中国と違い、自然との共生とともに芸術・音楽やアニメといった文化の基礎がしっかりできているのです。そういった基礎にしっかり目を向けなければなりません。
あまり重厚長大に夢を見出し続けるのではなく、重厚長大な産業がつくってきた基礎の上にあるソフトパワーともうまく結びつくことが大事なのではないでしょうか。そういった蓄積してきた力を次の若い世代につないでいくことが重要になります。 (次回に続く)