スポーツ界では世界を席巻する日本だが、経済の世界では深刻な事態が進行している。世界デジタル競争力ランキングは低水準を保ち、労働生産性は大幅に後退——。なぜ日本企業のデジタル化はこれほどまでに遅れてしまったのか。

6月17日に開催されたWebセミナー「TECH+セミナー ERP 2025 Jun. 自社に適したERP実現へⅢ」で、CIO Lounge 理事長の矢島孝應氏は、日本企業が直面する危機的状況を明らかにした。松下電器産業(現パナソニック)、ヤンマーなどでIT責任者やCIOを歴任し、現在は84名のCIOとともに日本企業のデジタル化支援に奔走する同氏が語ったのは、従来の延長線上では生き残れない厳しい現実と、それを打破するための革新的な戦略だった。

デジタル敗戦国・日本の厳しい現実

矢島氏はまず、近年のスポーツ界における日本人の目覚ましい活躍とは対照的に、経済における日本の厳しい現状をデータで示した。

スイスの国際経営開発研究所(IMD)が発表する世界デジタル競争力ランキングにおいて、日本は2020年から毎年順位を落とし続け、2024年には67か国中31位まで下落している。

さらに深刻なのは、実質GDPの伸び悩みだ。名目GDPは1990年比で1.2倍の成長に留まる一方、他国は3倍近く伸びている。「アベノミクスで400万人の雇用を創出したと政府は胸を張るが、就業者数が増えても実質GDPが変わらないということは、労働生産性が落ちているということ」と同氏は警鐘を鳴らす。

日本のIT活用が遅れた3つの要因

では、なぜ日本はこのような状況に陥ったのか。矢島氏は、日本のIT活用の歴史と、かつての強みが裏目に出た構造を解説。日本のIT活用の遅れを3つの要因に分析した。

1. 縦割り組織による弊害

1970年代から80年代にかけて、日本企業はITをまず個人作業の効率化、次に請求書発行、給与計算といった部門レベルの業務効率化に活用してきた。当時はウォーターフォール型の大規模プロジェクトが主流で、現場のニーズを丹念に聞き取り、それに合わせた個別最適なシステムを構築してきたのだ。こうした「現場力」はかつての日本の強みであったが、後に変化への対応や全社最適化の足かせとなった。

「日本の強みは『人の力』『現場の力』でした。勤勉で優秀な現場の方々の声に応えるかたちで、現場ごとの個別最適な業務プロセスがつくられました。こうしたなか、経営から売上を上げろと言われれば安全在庫が必要になり、キャッシュフローを良くしろと言われれば在庫を削減しなければならない。このように相反する指示が与えられてきたのです」(矢島氏)

縦割り組織の文化も弊害となった。欧米企業が2000年頃からサプライチェーンオーナーやCRMO(Chief Revenue Management Officer)など横串の責任体制を構築したのに対し、日本では部門間の壁が残り、全社的なデータ管理やプロセス改革が進まなかった。結果としてIT投資はコスト削減の道具とみなされ、リーマンショック後、米国がIT投資で効率化を加速させたのに対し、日本は投資を抑制し、大きな差が生じた。

2. 「2025年の崖」の誤解

2018年に経済産業省が発表したDXレポートについて、矢島氏は、その本質が経営者に誤解されてしまったと指摘する。

「本来は経営課題としてDX実現のための基幹システム刷新が必要だったのに、『情報システムの老朽化が問題になっているから、情報システム部門で対応しておけ』と、経営課題が情報システム部門の課題に矮小化されてしまったのです」(矢島氏)

3. 企業内SEの圧倒的不足

最も深刻な問題として、矢島氏は企業内SEの不足を挙げた。

「米国では400万人のSEのうち70%がユーザー企業のSEだが、日本は逆で30%しか企業内SEがいない。しかもSEの総数は米国の4分の1。つまり、企業内SEは米国の280万人に対して、日本は30万人しかいません」(矢島氏)

さらに、現場プロセスを理解する人材もIT部門の人材も失われたことで、基幹システム再構築時に必要な知識の断絶も起きている。同氏は、伊勢神宮の式年遷宮を引き合いに「ITの分野ではノウハウの伝承ができなかった」と嘆いた。

これからの企業システムとIT活用の在り方

では、日本企業は今後どうすべきか。矢島氏は、従来の記録・管理中心のSoR(System of Records)から、顧客や社会との繋がりを重視するSoE(System of Engagement)への移行、そしてその先を見据えたシステム構造を提言した。

  • SoRからSoEへの移行のイメージ図

「基幹システムは、企業の決算を支える財務会計系と、製造・販売・SCMといった基本業務を支える部分に大別されます。これらは安定性・信頼性を重視して堅牢に構築する一方、戦略系システムは社内外の業務を迅速に実現するため、アジャイル開発による迅速性・柔軟性を重視した、オープン系で外部連携を進めるハイブリッドな構造が求められます」(矢島氏)

  • 企業システムの在り方の例

これを実現するには、企業内の業務プロセスの再整理とマスターデータマネジメント(MDM)の確立が不可欠だと強調する同氏。「ブラックボックス化した業務フローを可視化し、ビジネス・IT・デジタルの三位一体で全体のアーキテクチャを設計。その後、企業内の横断的業務プロセスを再整備・管理し、企業の重要情報を定義・管理するステップが重要」とした。画像や音声といった非構造化データの活用や、データオーナー、プロセスオーナーといった新たな役割を設置した組織改革も急務となる。

「全社員SE化」への提言

企業内SEの不足を補うため、矢島氏は「全社員SE化」という大胆な提言を行った。

「日本には企業内SEがいない。ならば現場で全社員がSE化して、“読み書きそろばん”ならぬ“読み書きIT”を進めていく企業をつくる必要があります」(矢島氏)

具体的な役割分担として、経営陣はデータオーナーシップを確立し、執行役員は業務プロセスの標準化と横串連携を推進。現場はローコード・ノーコードツールも活用して自らIT化を進め、情報システム部門は開発力を再強化し、ベンダーと連携しながらプロジェクトを推進し、全体アーキテクチャを設計できる総合力を身につけるべきだとした。

「素直な心」で前例のない経営変革を

講演の結びで矢島氏は、パナソニック創業者の松下幸之助氏の言葉を引用しながら、本質を見据えた経営を進めるよう呼びかけた。

「松下幸之助さんは『素直な心で経営をした』と仰っていました。これは時代の流れ、自然の理法をしっかりと理解したうえで、素直にそれに沿って経営を進めることを指しています。技術の進歩や社会の動きを理解し、数字や文字の分析だけでなく、画像や感覚的な分析も含めて、本来の素直な姿勢で経営の在り方を考えていただきたいのです」(矢島氏)

そして「前例がないからできないのではない。やらないから前例がないのだ」という言葉で締めくくり、デジタル化で遅れを取った日本企業に対し、現状打破と未来創造への力強いメッセージを送った。この提言を多くの企業が「素直な心」で受け止め、具体的な行動に移すことが期待される。