
諸リスクを考慮してサブシナリオも策定
ボラティリティ(変動)要因が多く、先行き見通しが立てにくくなっている中で、どう経営のカジ取りを担っていくか─。
「言われている通り、グローバルにボラティリティが高まっている環境下で、単一の見通しを持つのが非常に難しいということだと認識をしています」
今年4月、日本生命保険社長に就任した朝日智司氏はこうした現状認識を示し、続ける。
「いわゆる地政学リスクが高まり、ウクライナ戦争だとか、中東で問題が起き、それに対応して、各国の金融政策などが打たれていますけれども、トランプ大統領のご発言も出たりして、不確実性が非常に高まっていると」
今年4月初めに米トランプ政権の関税政策が発表され、現在、米国は各国との交渉取りまとめに入っているが、世界経済縮小・景気減退という見方が強まり、市場も動揺。米国内でも、株安・米国債安・ドル安の、いわゆる〝トリプル安〟となり、先行きに対する懸念が強まる。こうした中、今後、どのようなカジ取りで臨んでいくか─。
グローバルに不確定要因が多くなり、〝単一の見通し〟だけでは対処が難しいとして、朝日氏は次のような考えを示す。
「逆説的に申し上げますと、メインのシナリオに固執するのではなく、サブシナリオなども作っておき、いろいろなリスクを想定しておくことが大事。経営の健全性、収益性に与える影響をよく分析して、対応策を講じていく。いわゆるフォワードルッキングなリスク管理というふうに、われわれの会社では申し上げておりますけれども、そういうふうなことで現在、議論を進めているところです」
先行き不透明で、何が起きるか分からない時代にあって、リスク管理をしっかりしながらも、国内保険市場の深掘りと、新事業領域の開拓を前向きにやっていくという朝日氏の考え。
「国内保険市場を掘り起こしていく」
国内は、人口減、少子化・高齢化の流れが進む。国内の保険事業の基盤固めはどう図っていくのか─。
「保険のマーケットについては、いろいろな影響があり、最近は少しバタバタしましたけれども、ここ10年間で保険料収入という全体の収入という意味では、あまり大きく変化はしていないと。これは相続ニーズや、長生きのニーズなど、お客様のニーズを業界として掘り起こしていった成果が出ているのではないかと思っています」
国内保険市場は現状のまま放っておけば縮小するので、生保業界は高齢者向けの新たな商品開発やサービスの掘り起こしを進めてきた。また、2015年頃から海外市場への参入を図る動きも顕著になった。
国内生保首位の日本生命は、海外市場参入に関しては、同業に比べて後れを取っているとされてきたが、清水博・前社長(現会長)時代に、米生保のコアブリッジ・ファイナンシャルへ出資。また、同じく米生保のレゾリューションライフを買収(買収額は約82億ドル=約1兆2000億円、2024年末)した。
国内市場では、2018年(平成30年)に社長に就任して以降、ネット販売を事業の中心にした『はなさく生命保険』を立ち上げるなど、DX(デジタルトランスフォーメーション)を推進。その間、コロナ禍に見舞われることもあったが、対面営業とデジタル営業を融合させるなどして、激変する環境に対応してきた。
その清水氏の後を受けての、今回の朝日氏へのバトンタッチである。
一般的に、国内市場は縮小すると言われがちだが、新しいニーズは掘り起こせると関係者は意気込む。
「ええ、われわれの調査によりますと、若者の保険離れと言われていますが、彼らの意識の中には、貯蓄に対するニーズの高さがある。また、必要と思う保障について、自分はまだその保障に入れていないというような、プロテクションギャップが存在することも分かっています。そういう所をきちっと対応していくことで、まだまだマーケットは成長すると考えています」
朝日氏は今後の成長について、「大幅に成長するということはないと思いますが、持続的な成長というのは、十分、われわれの努力で期待できると思っています」という考えを示す。
新事業領域の開拓も〝持続的な成長〟を実現していく上で重要となる。介護・保育事業を手がけるニチイホールディングスを傘下に入れたのも、その具体例だ。
ニチイホールディングスは、大々的に介護事業を展開し、最近は保育事業にも注力するニチイ学館の親会社。そのニチイホールディングスを日本生命は完全子会社化(買収)(2024年6月)。
日本は2007年に超高齢社会(65歳以上の人口が全体の21%以上を占める)に突入しており、現在の高齢者比率は全体の約30%。これはG7(主要先進7カ国)の中でも最高の数字で、早晩40%に進む見通しだ。
ヘルスケアをどう高めていくか─。日本の平均寿命も約82歳となり、ますます長寿化が進む。そうした中で、ヘルスケアは人の生き方・働き方改革とも連動する大きなテーマだ。
生保会社にとっては、朝日氏が言う通り、「お客様のニーズをどう掘り起こしていくか」という経営課題にもなってくる。
『安心の多面体』で国内生保、新領域共に成長
「安心の多面体となる」─。同社は、この言葉をキーワードに、10年後の2035年度までの時間軸で中長期計画を立てている。
生命保険会社の体力を見る時に、『基礎利益』という指標がある。基礎利益は、顧客が払う保険料収入や保険金・事業費支払いなどの保険関係の収支と、資金運用で得られる利息や配当金収入を中心とした運用関係の収支で構成される。
現状では、同社の国内保険事業による基礎利益約6800億円に比べ、新領域(ヘルスケア・介護、海外保険など)の基礎利益は約200億円と少ない。同社の基礎利益は約7640億円(ちなみに同業の第一生命ホールディングスの基礎利益は約5251億円、明治安田生命のそれは約5610億円、いずれも2024年3月期)。
同社が立てる中長期計画は、2035年度に、この基礎利益を約2倍に伸ばそうというもの。国内保険の基礎利益を約1兆円、新領域の基礎利益を約4000億円、合計1兆4000億円程度にする計画だ。
人口減、少子化・高齢化が進行する中にあって、国内保険料収入はここ10年間安定している。
これは、これまで新しい顧客ニーズを掘り起こし、新しい商品・サービス開発を行ってきた成果が出ていると言える。
中長期ビジョンでは、顧客数も現状の1495万人から、約1700万人に増加させる計画(顧客企業数は34.3万社から37万社へと拡大)。
現在105兆円ある預かり資産も、125兆円に増大させる計画。このことによって、機関投資家としての位置付けも重くなる。
資産の重みということでいえば、業種・領域は違うが、証券業の野村ホールディングス(預かり資産146兆円強、2024年9月時点)や大和証券グループ本社(同90兆円強)と比べても、遜色ない。
国内保険と海外保険を含む新領域共に、『安心の多面体』で成長させていくという朝日氏の考えである。
朝日社長誕生の背景
朝日智司氏は1963年(昭和38年)6月生まれ。1987年(昭和62年)京都大学経済学部を卒業し、日本生命に入社。以来38年が経つわけだが、本人は「日本生命での4分の3はいわゆる国内保険事業に関わってきました」と次のように続ける。
「保険の販売というような機関長もやってきて、それを管理する支社の長もやったことがあります。また、それを執行する機関というところの経験もあります。それだけではなくて、いわゆる保険の引受、それから維持・管理、そして支払いといったような事務の部分も実は経験があります。ということでは、保険の販売、管理、支払いの所を含めて、お客様との関わりといいますか、手触り感を持って仕事をしてまいりました」
朝日氏は、国内保険営業の要職である営業企画部長、営業人事部長、さらに、国内で最大の支社である東京中央総合支社長などの要職を務めてきた。
保険営業に関する重要ポストを歴任してきた朝日氏が社長に就任したことの意味とは何か?
昨年末、当時の社長・清水博氏(現会長、1961年生まれ、京大理学部卒)が米生保のレゾリューション社を約82億ドル(約1兆2000億円)で買収すると発表した際に言った言葉が、今回の朝日氏抜擢の意義を示していると言えよう。
「国内市場が細るから、海外に出るのではない。国内保険市場は人口減の中でも着実に成長できる分野だと思っています」
前述のように、国内保険事業の基礎利益は現状で約6800億円。それを10年後の2035年度に約50%増の約1兆円にする予定。営業の販売、企画、管理、支払いを経験してきた朝日氏に後継を託したのも、そうした中長期計画を実現してほしいという清水氏(現会長)からのメッセージであろう。
2024年12月の社長交代会見。前社長(現会長)の清水博氏は朝日氏を「自分で考え、自分で動く人間」、「強いリーダーシップがある」と評する
事実、海外保険やヘルスケア、介護・保育など、新規領域の開拓も、国内保険での収益力を高めてこそ前進することができ、また相乗効果も期待できる。
生保業界で首位の座にある日本生命の体力・体質強化、そして存在感をさらに高めていくということ。今年4月1日に社長に就任した朝日氏に、改めて抱負を聞くと─。
「わたしの前任の清水博会長、そして筒井義信・前会長をはじめとして、日本生命の歴代社長は大変強いリーダーとして、会社を運営してきました。そう認識しております。そのバトンを受け継ぐということでありますので、日本生命グループの成長はもとより、少しおこがましいですけど、業界の発展というものにも、心血を注ぎたいと思っています」
筒井義信・前会長の経団連会長就任
また、今年は日本生命関係者にとって、〝名誉〟な出来事が一つ加わる。前会長の筒井義信氏(1954年=昭和29年1月生まれ)が5月29日、経団連(日本経済団体連合会)の会長に就任。金融・保険業界からは初の会長選出だ。
戦後復興を期して、経団連が発足したのは1946年(昭和21年)、終戦の翌年のこと。以来、製造業出身者が歴代トップを務めてきた。これまで唯一、例外とされたのは東京電力出身の平岩外四氏が会長に選ばれた時(1990年=平成2年)ぐらい。
もっとも、電力も製造業と捉えられなくもないし、製造業出身者が歴代会長の座を占めてきた歴史から見ても、今回の筒井氏の経団連会長就任は、時代の変遷を象徴する人事となった。
また、日本生命は相互会社であって、株式会社ではない。株主は存在せず、保険契約者が「社員」となり、会社の構成員となる。利益剰余金は社員(保険契約者)に配当される。相互扶助の精神に基づいて、契約者同士がお互いに支え合う仕組みだ。
相互会社の良さをどこまで発揮していけるかという点でも、朝日氏の経営のカジ取りが注目される。
営業現場で、生命保険の真髄に触れて……
朝日氏が日本生命に入社したのは、前述のように1987年(昭和62年)のこと。その2年前には、米ドル高を是正するためのプラザ合意がなされ、日本の通貨・円が切り上げられることになった。その後、日本では金融緩和が進み、株式や地価が高騰し、バブル経済が発生。バブル経済は1990年代初めに崩壊し、日本は〝失われた30年〟と呼ばれる低迷期に突入する。同社はこうした環境激変の中で生保の使命と存在意義を自問自答してきた。
長らく営業畑を歩んできた朝日氏は、「お客様との関わりといいますか、そういう所で、手触り感を持って仕事をしてきました」と振り返るが、その中で一番やり甲斐、働き甲斐を感じたこととは何か?
「30歳で営業部長になった時のことでした。その時、ベテランの営業職員と同行して、保険金の請求手続きを手伝った時のことです」
同行した営業職員はベテランの職員で、地域に融け込んでいた。保険契約者が無くなり、遺された配偶者に保険金の請求手続きの説明をしているうちに、自然と亡くなった契約者の思い出話になった。
「あの時に保険を勧めてもらってこうなったし、大変ありがたいんです」と感謝の言葉が遺された配偶者の口から飛び出してきた。その後も、その配偶者とベテラン営業職員との間で、思い出話が盛り上がった。
この時、30歳だった朝日氏は、感動し、保険の仕事に誇りを持てるようになったという。
「生命保険の真髄と言いますか、そういうものを、当然のサービスをわれわれは履行しているわけですが、その中でお客様に文字通り寄り添っている営業職員の現場の姿を見せつけられ、大いに学ぶべきものがありました。こういうことこそが、生命保険の意義なのだなと」
お客様に寄り添う─。文字通り、それが営業の現場で実践されることが大事。
「だからこそ、生命保険というのはずっと長く支持されているのだと思います」と朝日氏。
無くてはならないものにしていくことが、事業・サービスがサステナブル(持続的)なものにつながるということである。
『信念、誠実、努力』の三信条に…
日本生命は1889年(明治22年)に設立され、136年の歴史を持つ。朝日氏は、入社後、大阪支社に配属となった時、支社長室に飾られていた額の文字を今でも思い出すという。
額に書かれていたのは『信念、誠実、努力』の三つの言葉。同社の社長を1948年(昭和23年)から1982年(昭和57年)まで務めた弘世現(ひろせ・げん、1904―1996)氏の揮毫である。
この『信念、誠実、努力』は、共存共栄、相互扶助をうたったもので、同社では、〝三信条〟とされるもの。
「入社した当時は、そのことの持つ意味がよく分からなかったんですけれども、先輩方に教えていただき、また自分も日本生命で仕事をしていく上で大事にすべきことだなと思うようになりました」
朝日氏が続ける。
「今後、グループがさらに大きくなっていったり、多様性がさらに広がると思うんですけれども、そういう時にもこうした共通の価値観、行動指針をやはり持つべきだと思っています」
1963年(昭和38年)生まれの朝日氏は大阪出身。府立茨木高校から京都大学経済学部に進学。青春時代の思い出として、「高校の教科書などに出ていた中島敦の『山月記』という小説。あの中に、臆病な自尊心と尊大な羞恥心とが出ていて、人間って心の中に猛獣を飼っているようなものだと。それで自分は虎になってしまったみたいなことですけど、この言葉が持っている意味みたいなことが、凄くフラッシュバックしましてね。こういう話は大事にしていきたいし、戒めにしたいなと」
『山月記』のような変身譚や小説は今もあり、人気のアニメなどでもよく出てくる。
京都大学は、『善の研究』の西田幾多郎、三木清や梅原猛などの哲学者を輩出しているが、京大時代は、そうした雰囲気の中で学生生活を過ごしたのか?
「いやいや、そんな立派なものを感じられるような大学生活を送っていません」と朝日氏は笑うが、人の生き方について、青春期から模索が続いてきたということである。
機関投資家としての今後の生き方
現在の混沌の時代にあって、具体的に経営のカジ取りをどう進めていくのか─。
前述のように、同社は運用資金100兆円以上を抱え、日本を代表する機関投資家でもある。資産運用の基本スタンスを問うと、「スチュワードシップということで、きちんと機関投資家として取引先と対話していく。このことが大事だと思います」と、次のように語る。
「もう一方では、責任投融資ということが言われます。こういう問題にも取り組んでいくことだと思います。地域社会や地球環境が大事なテーマになっていますが、そういうことを意識した保険商品だとか、アセットマネジメントビジネスなどの保証を提供していく。地域社会を大事にすることは社会課題の解決に向かうことだし、地球環境を大事にすることは、まさに資産運用の世界そのものです」
朝日氏はこう述べ、「サステナビリティの経営をきちっと実行していく」と強調。
『安心の多面体』を掲げていることもあって、事業も拡がり、多様化している。
生命保険に加えて、ヘルスケア、介護・保育という新たな事業領域が加わり、しかも今後それが急速なニーズとして出てくる可能性が高い。
今、産業界全般に人手不足という問題が深刻になっている。
「ええ、その中にシステムの問題もあり、単一の事業の中で、そういうシステム投資を行って、事業を継続していくことが難しい。共通のプラットフォームとして、共同でやっていきながら、サービスを提供していくことも非常に大事だと」
いろいろな企業、自治体との関係を構築し、様々なステークホルダー(利害関係者)をつなぐ機能を持たせるのも『安心の多面体』の経営理念の実践である。新しいプラットフォームづくりが続く。