5月19日~22日に開催されたオンラインセミナー「TECH+ Business Transformation Summit 2025 May. 課題ごとに描く『変革』のミライ」で、ANAビジネスソリューション 研修事業部 参与 川原洋一氏が語ったのは、従来のカイゼン活動の常識を覆す取り組みだった。

ANAグループは、「人づくり」を原点に社員一人ひとりの"気付き"を徹底的に引き出し、デジタルの力を融合させることで「人が本当にやるべきこと」に集中できる世界を追求してきた。トップダウンではなく、現場の気付きから始まるANA独自のカイゼン哲学とは。

「カイゼン」とは意思を示すもの

講演の冒頭、川原氏は漢字の「改善」とカタカナの「カイゼン」の違いを説明した。

「漢字の『改善』は『悪い部分を良くする』という"状態"を示すものですが、私たちが進めているカタカナの『カイゼン』は『現状に満足せずに今よりもっと良くする』という"意思"を示しています」(川原氏)

ANAグループでは、このカイゼン活動のコンセプトをグローバルに共通して伝わるようにローマ字で「KAIZEN」と表記している。

ANAグループにおけるカイゼン活動の出発点は、「自分の仕事の足元にあるカイゼンの原石に気付く」こと。日々の業務のなかで「どうにか楽をしたい」「もっと効率的に仕事をしたい」という自然な感情こそがカイゼンの原動力だという考えから、ANAグループはこの感情を大切にしてきた。

「カイゼンの原石は自分の足元にあります。まずこれに気付かないことには活動になりません。『気付く力』を持った人づくりさえできれば、足元の原石に気付きやすくなり、カイゼン活動は進んでいきます。これがまさにANA流のアプローチです。気付く力を持った人づくりからスタートしたのが、ANAグループのカイゼン活動の特徴なのです」(川原氏)

  • ANA流カイゼンの進め方

2015年にANAの整備部門が導入したカイゼン活動のロゴマークには「現地・現物、答えはここにある」という言葉が刻まれている。川原氏は「『ここ』とは自分の足元。まさに一人称の活動を目指した」と強調する。

ANAグループのカイゼン活動推進には、際立った特徴が2つあると川原氏は説明する。

第一に、「カイゼン活動の取り組みの成果を会社が横取りしないこと」。これは社員のモチベーションを維持し、主体的な活動を促すうえで極めて重要な要素となる。

第二に、「マネジメントは愚直な推進者に徹すること」。具体的には、できないアドバイスはせず、現場の活動をサポートする役割に徹することだという。

「手段の目的化」を避け、本質を問い続ける

カイゼン活動には5S(整理・整頓・清掃・清潔・しつけ)、ムダ取り、動線改善、プロセス変更、標準化など多くの手法が存在するが、これらはあくまで手段であり、目的ではない。手段の目的化はカイゼン活動の本質を見失わせる。川原氏は「やりたいことは、いかに仕事を楽にするか、いかに効率的にやるかということ」だと改めて強調する。

そこでANAグループでは、活動が本質からずれないようにするためのシンプルな問いかけを重視している。「ところで、それで何がどう良くなるの?」——。この問いに答えられない場合、手段が目的化している可能性が高いという。

知識と体験の掛け算が知恵になる

さらに、川原氏は、カイゼン活動を効果的に進めるための方程式として「知識×体験=知恵」という考え方を挙げる。

「私自身、本をたくさん読んで知識は増えましたが、知識だけではカイゼン活動は進みません。体験が必要です。うまくやっている会社・仲間の活動を見学させてもらうことで、それが1つひとつ知恵になっていくのです」(川原氏)

その具体例として、コンピューターラックの冷却ファンの稼働確認に風車を取り付けた他社の事例や、鉄道会社でボルトの数を管理するために使われていた治具のアイデアを紹介。これらを参考に、ANAグループの現場でも同様の工夫が取り入れられ、小さな「知恵」が次の「知恵」を生むサイクルが生まれている。

  • 他社事例からヒントを得たカイゼンの具体例

デジタルの力を活用したカイゼン

ANAグループのカイゼン活動は、アナログな工夫だけにとどまらない。近年はデジタルの力を活用することによって、「人がやるべきことに集中できる世界」を目指す取り組みを強化している。

その象徴的な事例が、テキストマイニング技術を用いたヒヤリハット分析だ。整備部門では年間約7500件ものヒヤリハットが報告される。これらを人間が記憶だけで分析するには限界がある。

「担当者は悩みました。楽をしたい、どうにか効率的に分析したい、と。そこで見つけてきたのがテキストマイニング技術です」(川原氏)

例えば「作業中にグリスが目に入った」という事象に対し、テキストマイニング技術を活用したシステムでは、「あわやGreaseが目に入るところだった」「GREASEが飛散し顔にかかった」といった、表現は異なるが類似性の高い過去のヒヤリハット事例を瞬時に、かつ網羅的に検索できる。

このシステムは、思わぬ副産物も生んだ。整備士1人ひとりが、担当する機種や場所、あるいは「夜勤明け」といった状況に関連するヒヤリハットを作業前に検索し、事前に対策を講じることができるようになったのだ。「1人ヒヤリハット分析、そして1人ヒヤリハット対策ができるようになり、作業者の安全意識向上に大きく貢献している」と川原氏はその効果を語る。

人がやるべきことに集中できる世界へ

「人がやるべきことに集中できる世界」の実現に向け、ANAの整備部門では「ニーズ(カイゼンの原石)」と「シーズ(技術動向や事例)」を掛け合わせることを意識している。その羅針盤となるのが、内閣府の「Society 5.0」の考え方を参考に策定した「紙を使わない世界」「情報が繋がる世界」「全ての情報が見える世界」「法令違反のない世界」「必要な情報にいつでもどこからでもアクセスできる世界」「さまざまな機器から入出力できる世界」という6つの世界だ。

  • ANAの整備部門が目指す6つの世界

これまでにも、ノンペーパー化、RPA、AI、アイトラッキング、XR、RFIDなど、数多くのデジタル技術のPoCに取り組んできた。成功したものもあれば、途中で断念したものもあるというが、挑戦は続いている。

ANAグループのカイゼン活動は、一過性のプロジェクトではなく、「文化」として根付かせることを意識している。そして、文化の伝承を担うのは「人」である。

「高い品質、高い生産性を追求する取り組みを続け、カイゼンする文化を人によって次の世代に継承していく。これが私たち整備部門、そしてANAグループが続けていることです」(川原氏)

この「人づくり」を核としたANAグループのカイゼン文化が、航空機の安全運航という至上命題を支えている。