米ボストンで5月6日~7日に年次カンファレンス「Think 2025」を開催したIBM。本稿では6日に行われた「AI and automation in a hybrid world: What’s the rush?」(ハイブリッド世界におけるAIと自動化:何を急ぐのか?)と題した、IBM Senior Vice President, Software and Chief Commercial OfficerのRob Thomas氏らによる講演を紹介する。
AI時代のインフラとアーキテクチャが迎える“相転移”とは
冒頭、Thomas氏は「昨今、ハイブリッドクラウド、AI、データ、量子コンピューティング--。これらすべてが、ビジネスとテクノロジーにおける『相転移』とも言える変化をもたらしています。過去にも技術革新はありましたが、今ほど劇的ではありません。少し過去を振り返ってみましょう」と促した。
同氏によると、クラウドの登場は現代のエンタープライズテクノロジーにおける最初の“ラッシュ”であり、現在では企業の94%がクラウドを導入しているが、ROI(投資対効果)は約20%とやや不確かだという。
Thomas氏は「それはハイブリッドアーキテクチャが欠けていたからです。ハイブリッドアーキテクチャの俊敏性と精度を取り入れた瞬間、システムは調和のとれた動きに変わります。AIについても同じです。予測分析、機械学習、データサイエンス、そして現在の生成AIまで導入は進んでいますが、価値創出はまだ不安定です。良いときもあれば、そうでないときもある。AIは“達成”するものではなく、ビジネスに価値をもたらす手段なのです」との見解を示す。
また、同氏はドメイン特化型モデル、自社データで訓練されたモデル、小型言語モデルなどを導入することで、ようやく価値の爆発的増加が見えてくるとも語る。2028年には10億のアプリケーションが生成AIを基盤に構築されると予測されているが、その“居場所”が必要となっており、互いにシームレスに連携して対話し、これまでにないレベルの統合と自動化が求められているとのことだ。
そして、AIの価値を見出すために多くの企業が“実験”を行い、次に取り組んだものがRAG(Retrieval Augmented Generation:検索拡張生成)だ。ただ、同氏の見立てによるとRAGの成果もまだ不確かであり、多くのチャンク化(分割処理)や手作業が必要なことから、思ったような結果が出ないこともあるとのこと。しかし、ブレイクスルーが起きたのは、テクノロジーと運用に自動化を取り入れたときであり、そこからAIによる価値創出が本格的に始まったという。
AIによる価値創出の鍵は「データ」
では、AIで価値を生み出すには何が最大の鍵になるのだろうか?この点についてThomas氏は明確に「データ」だと話す。
同氏は「データこそがAIの力を解き放つのです。顧客体験の向上、コスト最適化、レジリエンス(回復力)の強化、ライフサイクル管理など、あらゆる価値創出の機会が皆さんの手の中にあります。ただし、その価値を引き出すには、テクノロジーの活用が不可欠です。AIファーストな企業になるためには価値創出のカーブをスケールさせる戦略的な取り組みが必要です。競合が先に実現すれば差が生まれ、逆に先行すれば大きなリードを得られます。では、どこから始めるべきか?」と、オーディエンスに問いかけた。
AIによる価値創出を進める第一歩として、まず“ハイブリッドインフラ”の整備が不可欠であり、オンプレミス、プライベートクラウド、データセンター、パブリッククラウド、エッジなどあらゆる環境を横断するハイブリッドインフラこそ、AIによる価値創出の“道”になるという。そのため、Thomas氏は以下の3つの要素から構成される「ハイブリッド運用モデル」の構築を提唱している。
- ハイブリッドなインフラ
- ハイブリッドなミドルウェアとデータに関する戦略
- ハイブリッドな自動化とインサイト
これらの領域に対して、企業は意図的かつ戦略的なアプローチを取る必要があるとのこと。同氏は「価値創出のスピードが競争優位を決定付けます。そのため、IBMはRed Hat、TurbonomicやApptioなどの企業を買収し、ITの運用を自律的に運用する『IBM Concert』や『IBM watsonx Orchestrate』を開発しています。そして、ハイブリッドな自動化の最良の例がHashiCorpです」と説く。
IBMによるHashiCorp買収がもたらす運用モデルを再構築
IBMでは昨年4月に約1兆円でHashiCorpの買収を発表。HashiCorpの「Hashi」は文字通り日本語の「橋」を意味し、同社のビジョンは現在のテクノロジーとマルチクラウドの世界をつなぐ橋になることだ。製品群は、インフラのプロビジョニングやセキュリティ、ネットワーク、ランタイム管理において、業界で広く使われている。
HashiCorpの買収でIBMはオンプレミス、複数のクラウド、エッジ環境をまたいで、一貫したポリシーと自動化を実現できる力を手に入れたと言っても過言ではない。同氏は「これは単なる製品の統合ではありません。運用モデルそのものの再構築です」と断言する。
Red Hat、Turbonomic、Apptio、HashiCorpの製品群を組み合わせることで、インフラからアプリケーション、コスト管理、セキュリティまでを一気通貫で最適化できるようになる。これに加えて、AIエージェントなどを構築・運用するwatsonx Orchestrate、watsonx Code AssistantといったAIのツール群が運用をインテリジェントに自動化するという。
同氏は「これにより、企業は少ないリソースで多くの価値を生み出すことが可能になります。私たちは今、AI、ハイブリッドクラウド、自動化、量子コンピューティングといった複数の技術が交差する、かつてない時代にいます。そして、これらの技術をどう組み合わせ、どう活用するのかが企業の未来を左右するのです」と述べている。
HashiCorpが推進するハイブリッド自動化の進化
そして、Thomas氏の紹介で登壇したのはHashiCorp Co-Founder and CTOのArmon Dadgar氏だ。
同氏は開口一番に「マルチクラウド時代へと進んでいくことを前提に、ハイブリッドインフラがデフォルトになると考えています。それを支えるには、自動化のレイヤが不可欠なのです」と話す。
しかし、現実の企業環境を見てみると、そこには多くの課題があると指摘。同社はグローバル規模で数千社の企業に製品を提供しているが、チームやツールが断片化しているという。
断片化の問題が引き起こすこととして、「スピードの低下」「セキュリティの脆弱性」「コストの増大」の3点を挙げている。
スピードの低下はクラウドごとに異なるツールを使い、オンプレミス環境も別の管理となるとアプリケーションの提供が遅れるほか、セキュリティの脆弱性はCISO(最高情報セキュリティ責任者)チームが全体のリスクを把握できず可視性と制御が聞かない恐れがある。そして、運用の非効率性により予算超過が常態化してしまうという。
その原因として同氏は「クラウドへの移行を急速に進めた結果です。多くの場合、アプリケーションチームが先行してクラウド対応しを進めましたが、組織的かつ構造化された設計ではありませんでした。成熟したクラウド運用とは単にクラウドを使うことではなく、ハイブリッド環境全体において意図的に設計された運用モデルを構築することが重要です。その答えは、複数のレイヤで構成するスタック全体をどう設計するかにあります」と説明する。
Dadgar氏が言及した複数のレイヤは以下のようなものだ。
基盤:パブリッククラウド、プライベートクラウド、エッジなどさまざまな環境が混在するハイブリッドインフラ
データ&ミドルウェアレイヤ:データベース、メッセージング、統合、API管理など
自動化レイヤ:アプリケーションチームが実際にデリバリーを行うための運用基盤
同氏は「重要なのはアプリケーションやインフラを“作ること”だけではなく、その後の運用とセキュリティまでを含めた全体設計なのです。アプリケーションのライフサイクルは、Day 1(初期構築)だけでなく、Day 2、Day 3以降の運用フェーズまで、一貫して管理する必要があります」と述べている。
ワークフローの標準化とプラットフォームの統合で最適化
HashiCorpでは、アプリケーションのライフサイクル管理を効率的かつ高い成熟度で実現するために「標準化されたワークフロー」と「統合されたプラットフォームの構築」という2つの重要な要素を重視しているという。
Dadgar氏は「仮に500のアプリケーションチームが500通りのやり方で運用していたら、効率的になるはずがありません。また、複数のパブリッククラウド、プライベートクラウド、エッジ環境にまたがって運用する際に、5個以上の異なるプラットフォームを管理するのはビジネスにとって大きな負担になります。これらをふまえて、当社はアプリケーションのライフサイクル全体を見渡します」と話す。
標準化され、統合されたプラットフォームの構築は、社内の大規模な開発者コミュニティを支える役割を担うプラットフォームチームの存在が重要だという。それぞれのアプリケーションチームが異なるワークフローやツールを使うのではなく、プラットフォームチームが標準化されたインフラとセキュリティの自動化ツールを提供し、開発者は利用するだけで複雑な設定や運用を意識する必要がない形が望ましいとのことだ。
同氏は「これにより、セキュリティチーム、FinOpsチーム、コンプライアンス部門などと連携しやすくなります。セキュア・バイ・デフォルトを実現し、設計段階から機能、プロセスにコンプライアンスルールを組み込んだプラットフォームを構築することが理想的です」としている。
そして、同社が目指すゴールは「デリバリーのスピード向上」「リスクの低減」「最適化」の3つであることを示した。
デリバリーのスピード向上は、プラットフォームチームが整備したプラットフォームを利用することで、アプリケーションのリリースを迅速化し、設計段階でセキュリティやコンプライアンスの要素をプラットフォームに組み込めばリスクを低減できる。そして、標準化されたワークフローと共通基盤を活用することで、最適化も可能になるとの見立てだ。
Booking.comの事例から見る、IaCと自動化の効果
ここで、Booking.comの事例が紹介された。同社は社内に数千人の開発者と数百のアプリケーションを抱えている。2021年のパンデミックの影響で大きな打撃を受け、多くの人材を失い、スキルギャップを抱えながら再構築を迫られた。
人手は減ったが、コロナ後の需要は増加する状況下で、迅速かつ安全に少ないリソースで多くのことを実現する必要があり、標準化とIaC(Infrastructure as Code)を進めるため、HadhiCorpのIaCツール「Terraform」を導入。
結果として、6000以上のTerraformのワークスペースを運用し、平均デプロイ時間を45分から3分に短縮するなどの成果を上げたという。
コスト面でも、少数のプラットフォームチームが3000人以上のクラウド開発者を支援する体制を構築し、すべての開発者がクラウドの専門家になる必要はなく、プラットフォームチームが最適な構成を定義し、自動化された効率的な方法で提供している。
さらに、ポリシーをコード化してガードレールを設けることで、開発者はセルフサービス体験を享受しつつ、セキュリティやコンプライアンス違反の心配をする必要がなくなり、すべての変更に対してポリシーが自動的に適用される仕組みとなっている。
また、リスクの観点では本番環境への変更を自動化し、下位環境でテストしたうえで安全に本番へ反映できるようになり、予期せぬ問題を回避できるようになったとのこと。
Dadgar氏は「最適な構成や統一されたプラットフォームによる標準化がビジネスにもたらす価値、それは開発者にとって価値実現までの時間を大幅に短縮することです。デプロイ時間が45分から3分に短縮され、アイデアの着想から本番稼働までに数カ月かかっていたものが数時間で実現できるようになっています」と説く。
ただし、これは自動的に実現するものではなく、自動化やハイブリッド自動化について語るとき、それは“ハイブリッドクラウド運用”という広範なレイヤの一部に過ぎず、戦略的に設計・実装していく必要があるという。
同氏は「今後、10億以上の生成AIアプリケーションを構築されていくことになります。これらのアプリケーションは単独で存在するわけではなく、それを支えるミドルウェアやデータのレイヤが必要です。既存のデータベースと連携し、APIと統合しなければなりません。つまり、次世代のAIプラットフォームを構築するには、膨大な統合の課題が伴うのです」と述べている。
AI時代に対応する統合基盤「IBM webMethods Hybrid Integration」
そこで、統合の課題に向けた解決策として今回のThinkで発表されたものが「IBM webMethods Hybrid Integration」だ。同製品を説明したIBM, Vice President, Product Development, IBM AutomationのMadhu Kochar氏は「ハイブリッド環境が複雑な中で生成AIがさらに拍車をかけています」と懸念を示す。
このため同製品はAI時代にふさわしい統合のあり方を再構築し、APIやアプリケーション、データ、イベント、メインフレームのデータまでをシームレスにつなぐという。その重要な柱として、統合体験を一元化する「ハイブリッドコントロールプレーン」と、「エージェント型AI」の導入を挙げている。
ハイブリッドコントロールプレーンについては、何か問題が発生した際にシステムやアプリケーション、データがバラバラな状態では、原因を突き止めて修正まで時間がかかるため、ITチームに対してゲートウェイ、環境、地域をまたいだ運用モデル全体の可視性と制御を提供する。これにより、リアルタイムでステータスを確認し、問題の発生箇所を迅速に特定するというもの。
また、大企業が抱えるスケールやガバナンスの課題に対しては、認証やコンプライアンス、セキュリティを統一的に管理し、ダウンタイムを40%削減できるような効果も期待できるとのことだ。
エージェント型AIに関しては、たとえば小売業者がサマーセールキャンペーンを立ち上げる際に、従来は複数のシステムをまたぎ専門的なスキルと数カ月の準備・実装が必要とされていたが、エージェントが一連のアクションを生成し、人間の判断を挟みながら構築するという。構築だけでなく、テストやデプロイ、監視までを一貫して支援し、あるユーザーは従来200時間かけていた複雑な統合を1時間に短縮したという。
最後に、Dadgar氏は「ハイブリッドインフラは次世代の運用モデルを実現するための基盤を提供します。AI時代の複雑なクラウド環境を使いこなすには全体を見渡すコントロールプレーンが必要となり、その上に自動化とインサイトの仕組みを重ねることで、アプリケーションを単純に動かすだけでなく、何がうまくいき、何がうまくいっていないのかを理解して最適化することが可能になります」と、改めてハイブリッドインフラの重要性を説いていた。