【金融国際派の独り言】長門正貢・元日本郵政社長「新手法・敵対的TOBの開拓者」

近年、ニトリホールディングス、第一生命ホールディングス、ニデックが「同意なきTOB」を試みた。

 2023年に経産省が呼称変更するまでは「同意なきTOB」は「敵対的TOB」と呼ばれていた。「敵対的」という表現には「相手の同意なし買収は強引過ぎる。喧嘩を売るようで日本文化に合わない」という含みがある。

 実際、敵対的TOBは市場で批判を浴びがちで我が国ではあまり見られなかった。

 しかし、「創業家株主」や「買収後退陣を迫られる現経営陣」から見れば「敵」だが、買収側が『更に企業を成長させる』と宣言しルール通り行動、且つ売り手株主がこれを歓迎して売買が成立する訳で、敵の呼称は相応しくない。

 敵対的TOBはM&A諸手法の中で正道の一つであり、呼称変更はようやく時代が追いついた、ということだろう。

 敵対的TOBと聞いて思い出すのが、故・高橋高見・ミネベア(現ミネベアミツミ)社長(以下、高橋)だ。1970年代に企業買収を繰り返したM&A先駆者であり、敵対的TOBも試みた。

 しかし当時、高橋による敵対的TOBは市場理解が少なく、評判が悪かった。日本が高橋に追いついていなかったのだ。

 高橋は慶應義塾大学応援団の団長だった。通常は3年生が団長だが、高橋は志願して2年生で就任。六大学野球での慶應のミッキーマウス・セーターとブラスバンド応援は高橋の決断だ。

 顧客や従業員の接遇時、高橋は「おもてなし」表現で自宅に夫人と2人で招待する。夫人がキッチンに詰めっ放しにならぬよう料理は会席料理ではなく、いつもあえてステーキだった。

 タイ国上場企業最大手の一つがミネベア・タイ(現NMBミネベア・タイ)だ。1998年、当時の藤澤社長に工場群をご案内頂いた。

 ①時間節約の為、移動はヘリコプター。

 

 ②立地はあえて工業団地を避ける。工業団地は水・電気・土地が完備で一見便利だが、いずれ労働者の奪い合いになる。労働力が潤沢な場所へあえて単独進出する。

 ③労働者の結婚・子供誕生に備え、立派な社宅が隣接している。

 ④通常、タイ工場での社内食堂は屋根だけがある外気直結型だ。ミネベアは違う。涼しい空調が効いた工場内に食堂がある。随所に高橋の決断が散りばめられていた。

 高橋は合理的に深く考え、常に付加価値を加えようとする。父親が始めた鉄鋼屑収集会社と従業員10数名を引き継ぎ、ミネベアを大手企業に大成長させた。

 40年前に高橋が批判の中で挑戦したM&A手法が、ようやく我が国でも認知される時代が来た。日本経営の一層の深化のために、高橋的・改革派経営者がもっともっと多く出て来て欲しいものだ。