
何か起きた時に瞬発力で 対応できる態勢を!
まさに、何が起きるか分からない時代、政治、経済をはじめ、社会全般で環境激変が続く。
経営トップとして、どう対応していくかについて、「何が起きるのかというのを全部は想定できない時代。その意味では、もちろん日頃からいろいろなリスクに対して、準備の感度を高めておかなくてはいけない」として、「何か起きた時に、対応できる瞬発力が企業に求められていると思います」と日清製粉グループ本社社長・瀧原賢二氏は語る。
瀧原氏は1966年(昭和41年)2月3日生まれの59歳。約3年前の2022年(令和4年)6月、同社社長に就任。
その年の初めにロシアによるウクライナ侵攻が始まった。当時はまだコロナ禍の真っ只中で、世界中に不安感が漂う中、緊張が走った。
「ええ、その時ちょうどウクライナ問題が起きて、本当に想像もしないことが起きたなと思ったんですね。ウクライナというのは小麦の一大産地で、日本は、直接輸入はしていないんですけれども、影響があり、実際、小麦の価格も暴騰しました。その時に、とにかく食糧インフレということで、わたしどもはそれをキーワードに仕事を進めてきたという経緯です」
小麦はコメ(米)と並ぶ主要食糧。日本の年間消費量は約580万トン。コロナ禍時には多少需要が落ち、554万トン程度にまで下がったが、消費はほぼ安定的に推移。
日本が消費する小麦の15%が国内産で、残りの85%は米国、カナダ、豪州といった海外からの輸入に頼っている。輸入小麦は米国、カナダ、豪州の3カ国で分け合っているという構図だ。
今回の米トランプ政権の『相互関税』導入で、米国産小麦の輸入をどう位置付けていくかも、日本の重要政策課題となってくる。
ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2022年3月、小麦価格は史上最高の高値(1ブッシェル=約27.2キログラムあたり14.25ドル)を付けた。現在は5ドル前後で安定的に推移しているが、今回のトランプ政権の〝乱暴〟な関税政策で、穀物・食料価格がどう推移するか、目が離せない。
ここ2、3年、世界的に小麦を中心とした穀物インフレは収まってきたが、「ヒト、モノ、カネというのが動き出して、インフレ環境という中で言うと、人件費や、物はいろいろと広範囲に価格が上がっている。金利も上がっているということで、これまでと全く違うカジ取りをしていかないといけない」と瀧原氏は語る。
今、人件費、原材料価格が上昇し、製品・サービス価格の値付けをどう行うかという共通課題を日本の産業界は抱える。
海外、時に欧米諸国では原材料価格の上昇を製品価格に転嫁することが比較的スムーズに実現する。しかし、日本はやや特殊で、この30年間、モノの値段(価格)が安い方へ、安い方へと流れてきた。
モノの適正価格をどう設定するかというテーマを抱えている時に、今回のトランプ政権の高関税政策導入である。
世界同時株安を招き、貿易にマイナス影響を与え、世界経済全体が萎縮する。そして、景気後退下で物価高騰が進むというスタグフレーションを招くのではないかとの懸念も出て、今、世界全体が緊張感に包まれている。
まさに、何が起きるか分からない状況で、「何か起きた時に、瞬発力で対応できる態勢づくりが企業に求められている」と瀧原氏は語る。「われわれは企業の全ステークホルダーの方々に責任があるので、とにかく瞬発力を利かせて仕事をしていく」という瀧原氏の考えである。
国民の食を支える 〝縁の下の企業〟として
「食を支える企業」─。コメと並ぶ主要食糧である小麦の製粉から出発し、パスタなどの加工食品、中食・惣菜事業も手がける日清製粉グループ本社。2025年3月期の業績は売上高約8700億円(2024年3月期は約8582億円)、営業利益は約510億円(同478億円)、純利益約390億円(同約317億円)と増収増益の見通し。
4月4日(金)時点での株式の時価総額は約5022億円、PER(株価収益率)は12.57倍、ROE(自己資本利益率)は6.87%、PBR(株価純資産倍率)は0.96倍という水準。
企業の収益率を見るROEは8%以上が〝高収益〟企業とされる市場の見立てからすると、同社はやや低い数値だ。
このことについて瀧原氏は、「食品事業というのは、決して高い付加価値を取っている事業ではないので、逆にお客様に対して、安くて、安全・安心な食べ物を供給するという役割を持っております」と事業の本質に触れながら続ける。
「小麦粉はパンとか麺とかお菓子になって、本当に1日1回も小麦粉を食べない方はいらっしゃらないと思うので、われわれとしては、国民の生活を支える、そういった会社だと思っております」
同社の祖業は製粉業。小麦粉を製パンや製麺、製菓会社に販売するBtoB(企業対企業の取引)でスタートした(創業は1900年=明治33年で、今年は125周年になる)。
製粉というBtoBだけでは高い収益性が期待できず、パスタなどの加工食品、さらには中食・総菜分野に進出し、BtoC(企業対消費者の取引)領域も手がけるようになったという同社の歴史。
「縁の下で支えながらも、グループとしてのブランド力、そういったものを高めていけるようにしていきたいと。要は、日清製粉グループの製品を直接、BtoCで買っていただけることもあるし、もしかしたら、われわれのお客様を通して小麦粉を食べていただいていることもあります」
国民の食を支えるという大事な役割を担っている同社だが、今は環境変化の激しい時代。同じ主要食糧であるコメの価格が昨年の2倍以上になり、店頭からも姿を消すという事態がつい先日まで続いた。
大仰に言えば、この〝令和のコメ騒動〟がなぜ起きたのかということである。
「これが、もし小麦粉で起きたら」と瀧原氏は真剣な面持ちで切り出し、「食を支える企業として、そうならないようにしていくことが重要です」と語る。
「コメはあるのが当然で、安くて当たり前だという世界が一変する時代。そういう意味では、われわれとしては、普段はあまり気が付かれない存在であるのですが、国民の食を支えている企業だということを自負しながら対応してきております」
キーワードは『信頼』と 『時代への適合』
米トランプ政権の高関税政策に見られるように、今は自国第一主義が横行する。これには、世界規模で景気が後退し、失業者も増えるというので、早速、反発が起きている。欧州や日本などには保護主義を止め自由貿易体制を維持しようという動きがあるが、トランプ旋風が吹き荒れる今、先行きは依然不透明なままである。
そうしたボラティリティ(変動)が激しく、先行き不透明な状況にあって、昨今のコメ騒動のような状況を起こさないようにしていかねばならない。
瀧原氏自身、「そうならないようにしていくことが大事」と語り、国民の食を支える〝縁の下の力持ち〟としての役割を果たす上で、『信頼』がキーワードになると強調する。
同社は、群馬県館林町(現館林市)に館林製粉として設立されたのが始まり。125年の歴史を誇り、製粉業界首位の座に立つ。
高度成長期、製粉業界では激しい競争が繰り広げられたが、再編集約が進み、日清製粉、ニップン(旧日本製粉)、昭和産業、日東富士製粉の4社が市場の8割のシェアを握る寡占状況が続く。
かつて、終戦間もない1950年代には、各地に製粉会社があり、その数は3000社強にのぼった。それが1990年代末には129社となり、現在は60数社にまで再編・集約が進んだ。近年の製粉の国内市場は約5000億円台で推移。さらなる成長を求めて、各社が加工食品、中食・惣菜分野に進出している。加えて、海外市場の開拓である。日清製粉の場合、海外での製粉や新事業の開拓で、売上全体に占める海外の比率は現在31%。
創業から125年が経つ今、時代は歴史的転換点を迎えていると言っていい。
瀧原氏は、国民の食を支える企業として、これから国内外で事業を展開していく上で、前述のように『信頼』が非常に重要なキーワードになると強調。
同社には、『信を万事の本と為す』という社是がある。信用が全てという意味だ。
もう1つの社是が、『時代への適合』。この2つの社是を基軸に、同社はこれまでの環境の変化、時代の波を乗り切ってきた。
「信を万事の本と為して、とにかくしっかりとステークホルダーの方々に対応していくということと、時代の変化に対応、適合していかないと生き残ってはいけないと。そう考えております」
小麦の一大生産国・米国との関係は?
時代は変化し、取り巻く環境も変わるのは世の常である。では、具体的に同社は現在の環境激変をどう乗り切ろうとしているのか。気になる米国との関係はどうなのか─。
前述のように、日本は全小麦消費の85%を輸入に頼る。輸入先を見ると、米国産は輸入全体の38.6%、カナダ産は38.4%、そして豪州産は22.9%を占める。
「アメリカの生産者団体のトップというのは農家なんですね。年に1回は日本に来てくれたりして、わたしも会っているんですけれども、非常に良い関係がつくれています。わたしも、5、6年前まで製粉事業や、調達担当をやっていたので、アメリカに行って彼らと話すと、とにかくフレンドリー(友好的)ですね」と瀧原氏は米国との良好な関係を語る。
ウクライナ戦争が始まった時、小麦の調達に関して不安が広がった。ウクライナは世界的な小麦の産出国であり、日本は同国からの供給はほとんどないものの、世界全体の需給バランスが崩れ、奪い合いになるのではという観測が生まれたのだ。
当時、瀧原氏ら日本の製粉関係者は米国の生産者団体に、日本への小麦の安定供給を要請。
米国の生産者団体も、「日本には絶対に供給する」と約束してくれた。
「もちろん、カナダや豪州も約束はするんですが、アメリカは日本のために取っておいてくれるんです。これはありがたいですね」と瀧原氏は感謝する。
食料安全保障の必要性が言われて久しい。小麦市場も、最近は世界第2位の経済大国・中国の購買動向に左右される。
関係筋によると、米国産よりもロシア産やウクライナ産のほうが安いというので、中国や他の国々はその時々の状況に合わせて、購入先を変えがちだ。
その点、供給側である米国からすると、年間約300万トンを確実に購入する日本への信頼は厚く、それが日本への小麦の安定供給につながっている。
円安は、経営にプラスか それともマイナスか?
これまで、為替は円安・ドル高状況が続いてきた。ここに来て、やや円高方向に動いているが、円安基調であることには変わらない。
円安は同社にどんな影響を与えているのか? 「当社グループにとってはいろいろな影響があって、実はトータルするとニュートラル(中立的)なんですね」と瀧原氏。
同社の事業構成を見ると、全売上の50数%を占める製粉業は、その半分を海外で営む。米国、カナダ、豪州、ニュージーランド、タイの5カ国に主要製粉工場を構え、これらの海外であげる利益を円に換算すると、円安によるプラス効果で、利益は大幅に増える。
一方、加工食品はかなりの部分を人件費などが安い海外で生産し、日本に持って来る形を取っているので、日本に輸入する際に、円安によるコスト高というマイナス影響が出る。 「日本での生産も、その原材料は輸入というものが多いので、非常にコスト高になっています。そうした意味では、加工食品の事業はちょっと厳しいというのが現実」
瀧原氏は、事業別にプラス・マイナスの両現象があると説明しながら、「トータルすると、グループ全体としてはニュートラル(中立的)であって、一番困るのは為替変動が急激に起きること」と強調。
とは言え、長く続く円安状況は、食品企業にとって、「ボディブローのように効いてきている」という。
原材料の輸入で、コスト高になった分を製品価格に転嫁しにくいという日本特有の要因もある。
「そこは、お客様に理解していただけるように、会社として努めていきます」と瀧原氏は語る。
原材料コストが上昇の今製品価格の設定は?
今、日本の産業界は、自分たちの製品・サービス価格の〝適正化〟をどう実現していくかという課題を抱えている。
原材料価格のアップ分を製品価格に転嫁できるかどうかの瀬戸際にあると言っていい。これは、賃上げの原資を獲得するということでもあり、企業経営の重要なテーマだ。食品業界ではどうなっているか? 「わたしたちのお客様にも(原材料の価格アップなどで)理解はいただいていて、まず、流通のお客様からお願いをしています」と瀧原氏。
流通関係者からの理解は得られても、問題は最終段階の消費者に理解してもらえるかどうかが価格の適正化のカギを握る。
「当然、消費者の懐具合によって、われわれの行動も変わってきますからね」と瀧原氏は次のように続ける。
「価値があるものについては、お金を払ってもらえていますが、一方で、少しリーズナブルなものを求めるお客様もいらっしゃいます。そういう方には、規格を変更したりとか、あるいは調達面で工夫させていただいたりして、安価な製品というものも展開させていただいております」
価格設定・商品の値付けにも柔軟性や多様性を持たせているということだが、要は、「お客様のニーズに合った商品開発」を進めることが重要ということ。
食で、世界をつなぐ!
では具体的に、消費者ニーズに合う商品開発をどのように進めていくか?
同社が開発した〝早ゆでパスタ〟という商品。麺を茹でる時間を短縮したもので、時間がない共働き家庭などで重宝されている。
この商品は、時間短縮だけではなく、アルデンテを目指そう─と同社が1986年から開発を始めたもの。アルデンテとは、麺が歯ごたえを残したまま、茹で上がる状態のことだ。
茹で時間を短縮するために、同社は切り込みの入った麺を開発。茹でると麺が水分を吸収し、茹で上がる時には麺の断面が丸くなるというもの。しかし、なかなか理想の仕上がりにはならず、同社は長年、改良を重ね、商品化を目指してきた。
そして2022年、「4枚、切り込みを入れると、完全に茹で上がり、麺もまんまるになったんです。味も全く普通のパスタと変わらないものをつくることができました」と瀧原氏。
35年余かけての商品開発。
「ええ、おいしくなったんですが、それをあまりアピールしていないんですね(笑)。早く茹で上がると何となくおいしくないなと思われがちなので、そこを、味はおいしいですよということを消費者の方々に知ってもらおうと、今、営業にハッパをかけているところです」
同社は日本以外にも、世界にパスタなどの加工食品の生産拠点を持つ。そのうちの1つトルコはパスタ用小麦の一大産地。そこで、トルコからフランスやイタリアなどの欧州市場に向けてパスタの販売を拡大させる計画だ。
食で世界をつないで行く─。食のサプライチェーンを多角化し、さらに〝早ゆでパスタ〟といった消費者のニーズに合った新しい商品を開発することで、様々な環境変化に対応していくことができる。
麺に切り込みを入れるといった細やかな技術は、「多分、日本人にしかできないと思うんですね」と瀧原氏。
また、同社が米国に製粉工場を持っているのは前述のとおり。中でも最大級なのがテキサス州にある工場だ。同州はもともと、石油、天然ガスなどの資源・エネルギー関連産業が強く、広大な土地を利用した農業・牧畜も盛んな土地柄。近年はIT(情報技術)、AI(人工知能)関連の最先端産業の集積場所ともなっている。
「ええ、テキサスは今、非常に伸びていますが、そこにテクニカルセンターを置いています」
そこでは、新しい小麦粉製品の開発や、日本の製パン技術を伝えるなど、米国での事業の付加価値を高めている。
「アメリカのお客様も、日本流のそういった部分は認めてくれるんですね」と瀧原氏は食の領域で米国との関係・つながりをさらに深めていきたいと言う。
一方、日本国内は原材料価格が上がる中、製品の値付けをどう考えていくかという課題に直面している。
「大手スーパーの方々と話していると、わたしたちのお客様は年金生活の方々が多いんですよと言われるんですね。もちろん、われわれはそうした消費者の方々の現実を直視しながら、商品開発を進めていきます」
瀧原氏が続ける。
「よく松竹梅と言いますけれども、品質、グレードの高いものもしっかり提供できるようにもしていきたい。そういう取り組みの中で、消費者の方々のご理解をいただきたいと思っています」
環境激変の時代には、複眼思考が求められる。激流の中を生き抜いていくには、消費者ニーズをいかに的確に把握し、瞬発力をもって、いかに対応していくかにかかるという瀧原氏の経営観である。