
2008年度、日立製作所は当時・史上最大となる7873億円の損失を計上した。
CEOらが辞任、後継CEOには一旦、日立本社を退任し関係会社にいた川村隆氏を本社に戻し指名した。川村体制のもと、その後、日立は見事な復活を遂げ、今も成長路線を驀進中だ。
日本興業銀行&みずほ銀行に34年間奉職後、06年、私は富士重工業(現SUBARU、以下スバル)に派遣され、森郁夫社長にお仕えした。
当時のスバルは低迷していた。森社長は果断に選択と集中を迅速に推進した。「攻め」は米国営業諸強化策。「守り」は低収益諸部門の売却&撤退の徹底。NHKのプロジェクトXで紹介された「スバル360」を生んだ軽自動車部門の撤退も決断。
諸戦略が奏功し、実に目覚ましい好業績をその後、上げ続けることになる。
戦略の一環でWRC(World Rally Championship)からの撤退も決定、それを公表する記者会見の日だった。記者団の前で撤退を伝える原稿を順調に読み上げていた森社長なのだが、途中で少しづつ、つかえ始めたのだ。
その矢先だった。実に、森社長はわっと突然、涙を流して泣き出したのだ。
各撤退決定は無論、経営会議等での激しい議論後の全経営陣の総意だ。私の決断と森社長の判断とは100%同質量の筈だった。
が、実はそうではなかったのだ。『そうか、森社長は実は撤退反対だったんだ。だがスバル生き残りの為に泣く泣くCEOとして諸々撤退を決断したのだ。
「銀行から派遣された人間のクールな意思決定」と「スバルが好きでスバルを生涯の職場に選び、スバルでずっと人生を送って来た人間による決定」とでは大きな差がある』と身に沁みた。経営トップの覚悟を明確に見て、感動した瞬間でもあった。
業況低迷に際し、外部のプロ経営者を招きたがる人が結構多い。最近では資生堂、武田薬品工業、三菱ケミカルグループ等、外国人も含め、所謂プロ経営者をCEOにスカウトした。
しかし、その結果、日立のようにV字回復したのだろうか。外部の経営者は、ある企業に派遣されても内部の人間を1人も知らない。生え抜き人間ほどには深い愛をその企業には持っていないだろう。紙で勉強する程度の知識しかない人が、その企業の経営をやれるのだろうか。
どんな不調企業にも必ず内部に人材はいるはずだ。日立の川村氏のように、企業内の生え抜きからこそベストの人材を後継CEOに選択すべきではないか。私自身のスバルでの体験を通じ、そう強く感じている。