
〝日本発〟でグローバルに戦うことの意義
『日本発のグローバルブランドを』─。アシックス会長CEO(最高経営責任者)・廣田康人氏が経営目標に掲げる言葉である。
「クールジャパンと言うか、日本のものは格好いい、日本のものはクールだと世界で認めてもらうことが非常に重要だと思います。僕らも今、イノベーション、イノベーションと言っていますが、人が支える技術革新が大事で、そういうものを、日本から出していくべきだと」
廣田氏は、「日本の中でしっかり基盤を築きながら、世界の成長を取り込んでいく」と語り、次のように続ける。
「日本企業としてのブランドを売っていく。そして世界の人たちから、日本製品のほうがいいと言ってもらうことが、日本の世界的地位を引き上げることにもつながると思うんです。だから、日本企業も自信を持ってやっていくことが大事だと」
もちろん、グローバル市場には強力な競争相手がいる。
「そうです。ライバルも凄いし、強烈に攻めてきますから、それに対抗するというのは、そんなに簡単ではありません。だから覚悟を持ってやっていかなければいけない。われわれの場合、働く人の9割は海外の人たちなので、その人たちには日本のために、その国で仕事をしてもらっているわけだから、日本ブランドを売ってもらうことを理解してもらわないといけない」と廣田氏は気を引き締める。
アシックスの2024年12月期の業績は、売上高が6785億円(前期比19%増)、営業利益1000億円(同84%増)と好決算。今期は売上高約7800億円(前期比15%増)、営業利益は1200億円(同20%増)と増収増益で、史上最高益を見込む。
売上高の82%を海外市場であげているアシックス。グローバル展開をしていく上で、「会社の形を整えていかなければならないし、世界で戦うためには、もっともっといいもの(製品)を出せる仕組みをつくっていかなければいけない。デジタル投資も必要ですし、やるべき事はいっぱいあります」と廣田氏。
廣田氏は1956年(昭和31年)11月生まれの68歳。三菱商事出身で、同社常務執行役員を経て、2018年1月アシックスに顧問として入社。同年3月社長に就任。6年弱社長を務め、2024年(令和6年)1月、会長CEO(最高経営責任者)に就任した。
現在は好業績をあげ、株式の時価総額は2兆6809億円(2月21日現在)。PER(株価収益率)は32.39倍、ROE(自己資本利益率)は29.15%、PBR(株価純資産倍率)は10.84倍と、経営指標となる数字も高い数字が並ぶ。
廣田氏がアシックス入りした2018年当時の時価総額は4000億円台であったから、ほぼ6倍以上、市場での価値を高めたことになる。
この間、コロナ禍が発生するなど、様々な試練を経験。
廣田氏は、そうした試練をどう乗り越えてきたのか?
社長に就任してすぐ 「Cプロジェクト」に着手
廣田氏がアシックス入りし、社長に就任したのは2018年(平成25年)3月。この年の決算は幾つかの償却を迫られ、営業利益は黒字になったものの、最終利益では赤字を余儀なくされた。そこで、どうしたか?
本来、アシックスには技術力や商品開発力があり、ブランド力をもっと伸ばせるはずとして、廣田氏は『Cプロジェクト』を打ち立てた。
〝C〟は頂上を意味する言葉で、これは同社創業者の鬼塚喜八郎氏(1918―2007)が生前、「まず頂上から攻めよ」として取り組んだ『頂上作戦』から取ったもの。
鬼塚氏は1949年(昭和24年)、先の敗戦後、灰塵くすぶる神戸の地に社員4人と共に『鬼塚株式会社』を設立(資本金30万円)。神戸はゴム工業が盛んで、鬼塚氏はそうした風土の上に、バスケットシューズを手始めに、スポーツシューズづくりに乗り出していった。
鬼塚氏は工夫の人であった。タコの足の吸盤にヒントを得て、吸着盤よろしく〝凹型の靴底〟を考案し、これを鬼塚式バスケットシューズとして販売した。
様々な工夫で、スポーツシューズ界で名を高めてきたオニツカは現在、『ONITSUKA TIGER(オニツカタイガー)』の名で世界に知られている。
廣田氏は、鬼塚氏の頂上(トップ)を目指すという経営理念、そして『頂上作戦』を受け継いで、『Cプロジェクト』を掲げ、アシックスのブランド力向上に乗り出した。
「まず、トップアスリートの人たちの支持を受けること。これは鬼塚さんの教えですが、『まず頂上から攻めよ』と。ただ、その裾野には大きな一般のスポーツを楽しむ人たちがいる。まず頂上を取った上で、そこで養った技術を一般の人たちのスポーツシューズに展開していくというのが鬼塚さんの教えなんです」
廣田氏は『頂上作戦』の真意をこう語りながら、「われわれはもちろん、トップアスリートにとって一番いいものを出しますけど、その技術を転用して、生かして、一般ランナー、一般の人たちにも商品を提供していくということです」と説明する。
コロナ禍で得た教訓
廣田氏が社長に就任した2年後にコロナ禍が発生。パンデミック(世界的大流行)になったコロナ禍は経営にも大きな影響を与えた。
「最初にコロナ禍が始まった時には、これは大変な事になったと思いました。店舗は閉まる、物流は止まるで、会社が本当に存続できるのかと。経済が一旦、ピタッと止まったみたいな形でしたから。とにかくお金を確保しなければいけないというので、現金を確保しました」
幸いにも、経営のデジタル化を進めていたので、コロナ禍で一時期全く動かなくなった経済にも、eコマース(電子商取引)で即座に対応することができた。
「われわれはデジタルドリブンカンパニーになる」─。廣田氏が社長就任(2018年3月)後すぐに作成したアクションプランの主要戦略の1つにデジタル戦略がある。具体的には、eコマースを強化するというもの。
そのデジタル戦略の推進役として、2018年に入社したのが富永満之氏(現社長COO=最高執行責任者、1962年生まれ)である。
富永氏は、日本IBMやSAPジャパンに勤務。ワークスアプリケーションズ米国の社長を務めるなど、DX(デジタルトランスフォーメーション)業務に秀でた人物。
eコマースの推進にしても、「デジタルを経験した彼がリードしてくれたので、コロナ禍対応も間に合った」(廣田氏)という評価。
廣田氏は、「デジタルの世の中が来るということは確実でしたし、そういう手を打ってきた。eコマースの基盤を持っていたということ、インターネットサービスの会員制度が出来ていたことも、コロナ禍で強みを発揮することにつながりました」と総括。
ユーザーと直接対話 する仕組みを!
OneAsics(ワンアシックス)─。会員制プログラムで、eコマースを含めたDX化で、日本国内はもとより、全世界の運動する人たちとつながるプラットフォーム。
会員登録をすれば、顧客はアシックス製品を特典付きで購入することができる。同社は顧客とダイレクトなコミュニケーションが取れ、新商品・新サービス開発に、顧客の声を反映することができるメリットがある。
コロナ禍は、人々に外出を躊躇させ、店舗売上の減少を招いたが、一方で、eコマースによる販売を伸長させた。また、OneAsicsを通して、顧客・同社製品のユーザーとのダイレクトなコミュニケーションを活発化させるという効用を生んだ。
今、東京マラソンや大阪マラソンといった、トップアスリートから一般ランナーまでが参加する大会が各地で開催されるようになった。
若い世代だけでなく、高齢者層でも健康のため、ランニングをする人たちが増えている。
そうした人たちを対象に、同社は「ランニングエコシステム」というデジタルサービスの構築を進めている。2022年には、レースエントリーのアプリ開発やイベント運営を手がける『アールビーズ』という企業を買収し、サービス強化を図る。
こうしたレースエントリーサービスを手がける会社は北米、欧州、豪州にもあるが、レースに参加する人たちには「できるだけOneAsicsに登録してもらいたいと思っています」と廣田氏は次のように呼びかける。
「レースに出ると決めたら、トレーニングをしなければいけません。その時にどんなシューズを履けばいいのかといったことをアドバイスしたり、レースの後に次のレースを案内することもできます」
モノ消費からコト消費へ、という時代の流れを的確につかみ、新しいサービス・事業を創出していこうというOneAsics戦略だ。
ナイキやアディダスと どう戦っていくか?
本稿冒頭のグローバルブランド戦略に関していえば、世界市場には米ナイキ、独アディダスといった強力な企業がいる。
米ナイキや独アディダスの売上高は数兆円台で、アシックスとはまだまだ開きがある。
両社の存在について、廣田氏は、「大変な巨人ですし、われわれはまだまだ足元にも及びませんが、しっかりと目標を持って進んでいきたい」と抱負を語る。
「海外に行っても、日本のブランドが売れていると嬉しいですよね。『ここにもユニクロがあるんだ』とか、トヨタ自動車がいっぱい走っていれば喜びます。先日、インドへ行ったら、道路を走っている車の半分はスズキですよ。すごいと思いました。やはり、これが日本の強さだと。わたしたちもインドで生産をしますし、地元の経済にもいいことだと思っています。日本のブランドを売るということが非常に大切だと思います」
『ジャパニーズ・クラフトマンシップ』(日本の匠の精神)が評価されていることについて、廣田氏も手応えを感じている様子。
「何といっても、日本の技術力の強さだと思います。アシックスのシューズを履いたら、安心・安全・快適で、なおかつ記録も伸びると。ここがズラしてはいけない所だとわたしたちは思っていますし、評価されている所だと思うんです」
厚底ではナイキに先を越されたが……
今、ランニングシューズでは、厚底シューズの人気が高い。
一般には、早く走るためには、シューズは軽くなければいけないと思うのだが、なぜ厚底の人気が高いのか?
「これはナイキの技術革新、イノベーションなんです。わたしたちはやられたわけですけれど、早く走るためには軽くないといけないわけです。これはもう絶対なんです。今までは、軽くするためには、薄くするだったんです。ところが、厚くても軽いという素材が出てきた。これはゲームチェンジです」
結論から先に言えば、シューズは厚いほうが、クッションが良く、足にかかる負担も軽減され、安定性も高くなる。
短距離を走るのならば、まだ薄い底のシューズでもいいが、マラソンのような長距離を走る競技のシューズは「足に対する負担、膝や、足首に対する負担が相当なものですから、厚くて、自重を受け止められる構造が求められる」というのだ。
そこで、アシックスは、厚くてクッションが良く、なおかつ軽い素材の開発に乗り出した。
「厚いだけだとフワフワしてしまうので、中にカーボン(炭素材)を一枚入れて、反発力も高めている」というのが、同社が開発した厚底シューズの構造。
だが、今では多くのランナーの支持を得るようになった厚底シューズを先に開発したのは米ナイキ。それまでの、軽量化のために薄さに固執してきた業界の常識を変える商品開発で、まさにゲームチェンジであった。
後れを取ってはいけないとアシックスも厚底シューズの開発に着手。
「特許などいろいろな問題がありますから、そうしたことに気を付けて研究開発していかなければいけないんですが、われわれは、われわれの独自の技術で追い付いたという感じですね」と廣田氏。
技術力が自分たちの強みと認識するが、日本企業として劣っていると思うのは「マーケティングの力」と廣田氏は言う。
「今、SNSなど、いろいろなソーシャルメディアが発達している中で、訴えていくという力は海外ブランドのほうが強いし、上手です。それにわたしたちは追い付いていない」
なぜ、海外ブランドはマーケティング力に長けているのか?
日本企業としての反省
「日本はやはり、いいモノならば売れるだろうと。そういう考えでやってきましたね」と廣田氏は反省を交えながら語る。
「いいモノは売れるのだけれども、いいモノは、いいモノだと知っていただかないといけない。この努力が控え目だった」
コツコツと勤勉に仕事をし、質のいい製品をつくっていれば、お客はその実直さを評価してくれて、必ず売れる。いいモノをつくっても、謙虚に振る舞うことが日本の美徳とされてきたのは事実。
「そうした生き方も、かつては通用したと思うんです」と廣田氏が続ける。
「ところが、今みたいに、誰もがいつでも、どこでも発信する時代になると様子が違ってきます。このシューズがいいと思ってもらった時に、そういう人たちに気付いてもらうことが必要なので、そうする仕掛けや発信の仕方にも工夫が求められます」
具体的にどう展開するのか?
「まず1つは、マーケティング部隊の拠点づくりです。わたしたちのマーケティングの責任者たちはヨーロッパに居て、ヨーロッパ視点で見ている。あるいはグローバル視点で見ているということです」
廣田氏が続ける。
「日本の企業は日本での発信、日本からの発信という認識が強かったのですけれども、安倍晋三元首相の言葉ではないですが、地球儀を俯瞰した形でのマーケティングや戦略を実行していかないといけないと思うんです」
全体売上の82%を海外市場であげ、それこそグローバルで競争しているのに、日本からの情報発信だけに頼っていてはいけないという氏の問題意識。
「だから、日本にこだわり過ぎないと。コンテンツは日本なんですが、発信の仕方は、誰でも、どこでも、24時間発信できる時代ですから、そのあたりを見ながら情報発信の仕組みをつくっていきたい」
創業理念を今に生かして
創業の原点をどう生かしていくか─。創業者・鬼塚喜八郎は、今で言うユーザー目線でモノをつくり、スポーツシューズづくりに知恵と工夫を重ねた。
バスケットシューズづくりからスタートした時、兵庫県立神戸高校バスケット部の監督や選手と交流し、シューズの瞬発力を高めるにはどうすればいいかと研究開発に没頭。神戸高校チームが全国大会で優勝した時は、小躍りして喜んだという。
その研究熱心さ、技術開発力は『ONITSUKA TIGER(オニツカタイガー)』というブランドに昇華された。
アシックス・グループ内には今も、『ONITSUKA TIGER』ブランドを扱う会社がある。
「これは昔のシューズの復刻版です。今はオニツカタイガーというのはファッションです。オニツカタイガーのシューズで走れることは走れますが、走る用ではありません。ファッション用シューズであり、ファッション用のアパレルなので、これは切り分けているわけです。そういうことでも世界にどんどん進出していく。いろいろなブランドがあるというのは、われわれの誇りだと。他の企業さんとも一緒にグローバルに仕事をしていきたいと思っています」
創業者の鬼塚氏は、1977年(昭和52年)、スポーツ用品関連の「ジィティオ」、「ジェレンク」と合併し、『アシックス』を発足させた。
社名の『アシックス(Asics)』はラテン語の『ANIMA SANA IN CORPORE SANO』(もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかしと祈るべきだ)という言葉の頭文字に由来。
「われわれは、誰もが一生、運動、スポーツを通じて、健康で健やかな人生を送れる。そういったことに貢献したいんだと。そのためのシューズであり、そのためのアパレルなんです。(グローバル経営が進む今)このことを全世界の社員に理解してもらうと。単にシューズが売れればいいというのではなくて、この文化というものを大切にしていきたい」
急に売上が増え、業容も拡大する中、この経営理念を大切にしたいとする廣田氏。
廣田氏は、「わたしも中途入社組ですが、全社員の4割は中途入社です。でも、社内で彼は中途入社だ、彼は元々の人だという区別はありません。プロスポーツの世界を見ても、人の入れ替わりが激しいですが、同じチームに居る時は、ロイヤリティを持って懸命にプレーする。経営も同じで、新しく入ってきた人にも、われわれの経営理念を理解してもらい、仕事をしてもらう」とプロスポーツに例えて、共通の理念を持ってグローバル市場で戦っていきたいとする。士気を大事にする経営だ。
自社製シューズを履いて、毎朝5、6キロを走ることを日課としている廣田氏。
「新商品開発にしても、わたしが走ってみて、OKを出さないと発売しません」
研究開発チームや販売現場との対話のためにも、毎日走り続けるという実践派経営者。〝経営と現場の対話〟にも余念がない日々の走りである。