「『社会への実装』ではなく、『社会と一緒に実装』していく」——。1月28日開催のオンラインイベント「TECH+ summit DX day for Executive 2025 Jan. イノベーションで切り拓く新市場」において、東京大学 FoundX ディレクター 馬田隆明氏は、DX推進における新たな視座を示した。100年前の電気革命から現代のデジタル革新まで、技術と社会の関係性を歴史的視点から紐解きながら、「インパクトから始める価値創造」という革新的なアプローチを提示。著書『未来を実装する――テクノロジーで社会を変革する4つの原則』(英治出版)の内容を基に、テクノロジーの進歩を真の社会的価値へと結実させるための方法論について解説した。

歴史から学ぶDXの本質

馬田氏はまず、約100年前の電気化(EX:Electricity Transformation)の歴史を引き合いに出し、技術革新の社会実装について考察を展開した。

「エジソンの電球の発明(1879年)やテスラの電気モーターの発明(1888年)から、実際の社会実装まで40~50年という長い時間がかかりました。当時の人々は技術さえあれば直ちに生産性が向上すると期待しましたが、実態は異なっていたのです」(馬田氏)

工場を例に取ると、蒸気機関から電気モーターへの転換には、単なる動力源の置き換え以上の変革が必要だった。工場のレイアウトや作業工程の再設計、さらには労働者の教育など、社会システム全体の変革が求められたのである。この歴史的教訓から、現代のDXにおいても、技術やサービスの革新だけでなく、社会制度や組織の変革が不可欠だと同氏は説く。

成熟社会における課題設定の新たな視点

続いて馬田氏は、現代の日本のような成熟社会特有の課題に言及した。「水や食料が手に入らないといった生存に関わる切迫した問題は少なく、多くの基本的なニーズがすでに満たされている。そのため、新技術を導入するインセンティブが相対的に低い」と分析する。さらに、既存の仕組みが確立されているがゆえに、変革による既得権益の喪失を懸念する声も大きい。

このような状況下で重要になるのが、「課題」の新たな捉え方である。同氏は「課題とは、現状と理想とのギャップ」と定義し、従来の問題発見型アプローチを超えた視点を提示。「単に潜在的な問題を発見するのではなく、新しい理想を描き、そこから逆算して課題を設定することが重要」だと強調した。

インパクト重視の価値創造メカニズム

講演の核心部分では、「インパクトから始める価値創造」という考え方が詳しく展開された。馬田氏は、インパクトを「個人への影響を超えた、社会や制度の変化、長期的で広範に及ぶ変化」と定義する。企業でいうビジョンやミッションに値するもので、事業の先にある理想の社会像を指す。

さらに、同氏は「課題の大きさの設定こそが価値を決める」という原則を示し、たとえ優れた解決策があっても、課題設定が小さければ生まれる価値も限定的になると指摘する。

  • 課題設定と解決策、価値の関係のイメージ図

そして、「課題は理想と現状のギャップから生まれる」という前提に立つと、インパクト(理想)の描き方が価値創造の要と考えることができる。同氏は「インパクトの大きさと正しさが、価値の最大値を決定する。理想を示して問題を提起する。これが今、多くの人に求められる思考」だと強調する。

この文脈で、社会起業家やスタートアップが果たす役割にも言及。彼らは新しい理想を描くことで、それまで認識されていなかった課題を顕在化させ、新たなデマンドを創出しているとした。

社会実装を支える複合的なフレームワーク

馬田氏は、技術の社会実装を成功に導くための包括的なフレームワークとして、5つの重要要素を提示した。基盤となる「デマンド(実際のニーズ)」、方向性を示す「インパクト(目指すべき社会像)」、導入における配慮事項としての「リスクと倫理」、実装の仕組みとしての「ガバナンス」、そして社会的受容性を高める「センスメイキング」である。

  • 技術の社会実装のための5つの要素

「デマンド」は、技術の受容を決定付ける重要な要素である。同氏は「キャスター付きスーツケース」の例を挙げ、技術の普及にはその時代における実際のニーズとの適合が不可欠だと説明した。1970年代に入って初めて普及したこの発明は、空港利用者の増加という社会変化と、セルフサービス化によって自身で荷物を運ぶ必要性が生じたことで、ようやく広く受け入れられるようになったという。

「インパクト」については、ソーシャルセクターで用いられるロジックモデルの考え方を導入し、具体的な実践方法を示した。「インプット(投入する資源)→アクティビティ(活動)→アウトプット/実装(製品・サービス)→アウトカム(成果)→インパクト(社会的影響)」という流れを整理することで、組織の活動と社会的価値創造の関係性を明確化できるとする。

  • ロジックモデルのフレーム

「リスクと倫理」の観点では、特にAI技術などに関連して、技術がもたらす負の影響への配慮が不可欠だと指摘。事後的な対応ではなく、開発段階からの倫理的考察の重要性を強調した。

「ガバナンス」については、従来の政府主導型から、多様なステークホルダーが参画する「ネットワーク・ガバナンス」への移行を提唱。具体的な実装手段として、法律による規制、社会規範の形成、市場メカニズムの活用、そしてアーキテクチャ(技術的な仕組み)による制御という4つの方法を示した。

例えば、電子署名の普及においては、法制度の整備(法律)、企業による積極的な導入表明(社会規範)、導入インセンティブの設計(市場)、使いやすいシステムの構築(アーキテクチャ)が相互に作用し合うことで、社会実装が進むという。

最後の「センスメイキング」は、社会的な納得感の醸成プロセスを指す。同氏は「どれだけ優れた技術や制度設計があっても、社会の理解と受容なくして実装は進まない」と指摘。特に成熟社会においては、多様なステークホルダーとの対話を通じた合意形成が重要だと強調した。

これら5つの要素を統合的に捉え、実装していくことで、技術革新が真の社会的価値を生み出すことができる。同氏は「特に日本においては、インパクトを起点とした価値創造の視点が不足している」と指摘し、この複合的なフレームワークの実践が、今後のイノベーション推進において重要な鍵となると結論付けた。

未来に向けた実践的示唆

講演の締めくくりとして、馬田氏は次のように実践的な示唆を提供した。

「単なる技術の社会実装ではなく、社会と共に実装していく視点が重要です。インパクトを考え、理想を描く練習を重ねることで、より良い未来を実現できるはずなのです」(馬田氏)

さらに、同氏は「理想を考えることは練習によって上達する」と指摘。社会起業家たちの事例から、理想を考え、伝えることを繰り返すなかで、より良いインパクトを生み出す力が培われていくとした。

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このアプローチは、技術革新と社会変革を調和させ、真の価値創造につなげるための重要な示唆を与えている。馬田氏の講演は、DXを技術的な変革としてのみ捉えるのではなく、社会全体のトランスフォーメーションとして捉え直す必要性を強く訴えかけるものであった。