若者へのメッセージ
『少年よ、大志を抱け!(Boys, be ambitious!)』─。
この一言が、少年たちの使命感とヤル気を引き出し、逸材を産んだ。
米国のウィリアム・スミス・クラーク博士は1876年(明治9年)、時の明治新政府に招かれ、札幌農学校(現北海道大学)の初代教頭に就任した。
在任期間は約8カ月間と短かったが、北海道開拓のリーダーを育てるため、使命感と開拓魂を持つ人材を掘り起こした。
キリスト教精神に基づく教育はその後も受け継がれ、札幌農学校からは、後にクリスチャンとなり、啓蒙活動家、思想家として名を成した内村鑑三(1861―1930)や、教育者・思想家の新渡戸稲造(1862―1933、国際連盟事務次長)らが育った。
『大志を抱け!』という言葉には国を超えての普遍性があり、青少年の心に響くものがある。
人格形成をする青少年期に、こうした言葉、言辞に接し、生きること、働くことの意義を考えることは、その後の人生において、大変プラスになっていくものと思われる。
心の基本軸を…
人が生きていく上で大事なのは、心の基本軸がしっかりしているかどうかであろう。
内村鑑三の場合、「武士道にキリスト教が接ぎ木されて…」といった評がある。新渡戸稲造は『武士道』を英語で著し、欧米にはキリスト教が心の基本軸としてあるが、日本には古来、「武士道があり、人々はそれによって鍛錬されてきた」という趣旨を世界に向けて発信した。
当時、セオドア・ルーズベルト大統領がこの本に感動して、自分の子どもたちにも読ませたという逸話が残っている。
ルーズベルト大統領は日本にも関心を寄せ、日露戦争終結時に日露両国の仲介役を果たし、ポーツマス(ニューハンプシャー州)を和平交渉の場として提供したほど。
人と人、心と心のつながりがいろいろな局面に関わり、影響を及ぼすことの証左である。
『代表的日本人』の5人
内村鑑三はまた、『代表的日本人』を著し、世界に通用するリーダー5人を世に紹介。
欧米に『追い付き、追い越せ』の標語で、欧米に範を求め続けた我が国にも、きちんとしたリーダーが存在したことを示す同書の存在意義もまた大きい。
その中で内村は、日蓮上人、二宮尊徳、上杉鷹山、中江藤樹、西郷隆盛の5人を紹介している。
明治維新を成し遂げた西郷隆盛にしろ、飢饉などで傾いた藩財政を立て直し、質実に生きた上杉鷹山にしろ、混沌の世の中を切り拓く使命感と覚悟のある人たちであった。
儒学の中江藤樹は近江の人。近江からは、『売り手よし、買い手よし、世間よし』という近江商人の生き方・哲学が生まれた。今日のガバナンス、SDGs(持続可能な開発目標)の原点とも言うべき精神だ。
西郷隆盛の『敬天愛人』の思想も、平たく言えば、「世のため、人のため」の生き方に通ずる。パブリック(公)に貢献し、自らの生き方とは何かを追求し続けた『代表的日本人』ということであろう。
河北博文さんの〝原点論〟
敗戦から今年8月で79年が経った。明治維新(1868)から敗戦(1945)まで77年、その敗戦から今日までが79年で、近代化の歴史の中で、日本は今、〝第3の時代の転換期〟を迎えている。
東京・阿佐ヶ谷を拠点に病院を経営し、医療改革に情熱を傾けておられる河北博文さん(河北医療財団理事長)に、本号で医療を含む『日本の改革』についてお話をうかがった。
河北さんは1950年(昭和25年)6月生まれの74歳。慶大医学部を卒業後、慶大大学院医学研究科博士課程で学び、米シカゴ大のビジネススクールにも留学、MBA(経営学修士)を取得されるなど、若い頃から幅広い視点、多様な見地から物事を学ぼうとされてきた。
インタビューでは、米大統領選の結果が世界全体に大きな影響を与えることから多くの関心を集める折、「わが国も、もう一度、原点に戻って、日本の民主主義とは一体何なのか。民主主義というのは、国民が責任を持たなければ成り立たないものなんですよ」と言われたことが印象的であった。
教育や生き方・働き方改革にしても、〝ゆとり教育〟だとか、いろいろな考え方が打ち出されてきているが、「もっと個人が責任を持って踏ん張っていくというのも大事ではないか」と河北さん。
古来、日本には〝自助、共助、公助〟という考え方がある。
まず、基本に〝自助〟があって、それだけでは社会的に不十分だとなれば、共助(みんなの支援)、公助(国の支援)が必要になるという考え。
「個人の力をどうするかということを今こそ考える時期がきたのではないかという感じがします」と河北さんは語られる。
『自由と規律』
子どもたちの夏休みも終わったが、「残念なのは、子どもたちの夏休みなんてない方がいいという意見が最近聞かれることです。夏休みがあると、子どもにお金がかかると言う人がいるというんですね。学校に行かせておけば、給食が出ると。子どもが家にいたら、自分たちで食事を作らなければいけない。そんな事は当たり前の話じゃないですか」と河北さんは訴える。
〝自助・共助・公助〟の精神が取り違えられているということ。こうした現状をどう改めていくか─。
河北さんは、英文学者で文筆家・随想家でもあった池田潔氏(1903―1990)の『自由と規律―イギリスの学校生活』を引き合いに語る。
池田氏は旧制麻布中学の4年次を終えて、17歳で渡英。パブリックスクールのリース校で学び、ケンブリッジ大学を卒業。その後、独・ハイデルベルク大学に学んだ。その池田氏が言わんとしたのは、自由には規律が伴うということで、河北さんが語る。
「パブリックスクールという名称がとても大切なことなんです。英国のパブリックスクールのほとんどはプライベートスクールです。なぜプライベートスクールでありながら、パブリックスクールという名前にしてあるかということが、日本と欧米の違いです」
河北さんが続ける。
「プライベートこそ、最もパブリックであると、わたしはシカゴ大大学院の時に最初に言われました。プライベートな立場というものがパブリックを担わなければいけない。ここが日本の原点にならなければいけないと思うんです」
『公私一如(こうしいちにょ)』─。公(パブリック)と私(プライベート)は一体であるという考えは古来より日本にある考えであり、生き方だ。
原点に立ち返る時だと思う。