「時代に合わせた企業戦略を打っていく必要がある」─西松建設社長の細川雅一氏はこう話す。2024年に150周年を迎えた、準大手ゼネコンの西松建設。長い歴史の中では、紆余曲折があったが、今は土木・建築の技術のみならず、都市再開発や環境事業など、それまでにはなかった事業領域を開拓。さらには資本提携している伊藤忠商事との連携でも新事業を探索している。細川氏が目指す企業のあり方とは─。
土木建築業だけでなく経営力が問われる時代
─ 西松建設は2024年、創業150周年を迎えましたね。細川さんは大きな節目で社長に就任したわけですが、150周年への思いから聞かせて下さい。
細川 150周年記念式典も執り行いましたが、改めて西松建設の歴史を、自分なりに振り返る機会となりました。一言で言えば紆余曲折の連続です。
創業者は今の岐阜県の安八郡に生まれました。その後、1900年代の初めに日豊線や肥薩線という九州の鉄道工事を手掛けたことをきっかけに、日本窒素(現チッソ)の野口遵さんの信頼を得て、国内外でダムや発電所など数多くの大型土木工事を手がけさせていただきました。
戦後は、いい時期も悪い時期もありました。高度経済成長に伴い会社も右肩上がりに成長した時代もあれば、脱ダム宣言など、建設業を取り巻く社会環境が大きく変わった時期もありました。
─ 旧民主党政権による「コンクリートから人へ」というフレーズも業界に影響を与えましたね。
細川 ええ。それもあり、弊社も早期退職、リストラを行うなど、それまで培ってきたものが崩れてきた時代でした。
その後、11年の東日本大震災があり、国土の保全、安全、防災、減災といったことに建設業として貢献できる仕事が出てきました。そうした流れもあり、我々は建設業として事業を継続することができています。
しかし今は、単に土木建築業を行って、PL(損益計算書)上で利益を出せばいいという時代ではなく、BS(貸借対照表)、キャッシュ含めた経営、人的資本、株主を含めたステークホルダーとの対話といった、経営そのものが問われる時代になっています。
150年という当社の歴史の重みを感じながら、時代に合わせた企業戦略を進めていく必要があると考えています。
─ 土木は国土の強靭化やインフラの老朽補修、建築はコストと人の問題など、各部門の課題をどう見ていますか。
細川 土木部門は、我々の得意とする、国内のトンネル、ダムなどの受注は計画以上に順調に推移しています。
受注が順調な一方で、その施工管理ができる社員の数が足りなくなっています。ですから、ある程度案件を絞りながら新たな受注にチャレンジしていく必要があるということです。
「防災・減災、国土強靭化のための5か年加速化対策」のような国策は、開始当初は順調でしたが、非常に前倒しで進んでいます。今後、次の国土強靭化策が、より具体的な形で出てくると思いますが、日本には地震などの災害も多いですし、この先の発注がどうなっていくかは不透明ではあります。
建築部門は、物価上昇の影響がありました。一昨年、昨年とゼネコン各社も影響を受けて収益を落としましたが、当社で対策を取ったこともあり、今年度からは比較的改善できてきたのではないかと思います。収益面でも昨年より今年、今年より来年という形で伸びていくと見込んでいます。
また今、他のゼネコンも一緒だと思いますが、建築の技能者のみならず、設備関連のサブコンも手一杯で回らず、仕事をお断りせざるを得ない状況になっています。
「人」という財産が増えない危機的状況
─ 人手不足は全産業界の課題ですが、ゼネコンも仕事を受けたいけれど受けられないと。
細川 ええ。建築だけでなく土木にとっても課題です。我々が期待している技術者の人数を揃えられないのです。同業他社も採用人数は増加傾向であり、各社は厳しい戦いを強いられています。改善に向けては新卒、中途も含め、採用をしっかりやっていかなくてはなりません。
当社が成長を考える中で、基盤事業の土木・建築に取り組むために最も重要な「人」という財産が増えていかないのは危機的な状況だと考えていますから、早く手を打たなければいけないと思っています。
─ 建設業界では「2024年問題」が言われてきました。24年4月から「働き方改革関連法」が適用開始され、労働時間など労働環境改善への取り組みを進めていると思いますが、どう対応していますか。
細川 当社では「現場工務革新センター」という現場の支援組織を設けています。土木、建築、事務などの人材がチームを組んで各支社におり、逼迫した現場の支援や効率化に取り組んでいます。これが多少なりとも功を奏していることは事実ですが、それだけでは間に合いませんから、今後さらに人を増やすための努力、さらにはDXによる省人化も進めて行かなければなりません。
また、取り組みの中で、今は時間管理に特化してしまっていますが、技術が伝承できるだろうかという危惧があります。例えば、トンネルの現場でいつもと匂いが違う、まっすぐに立っていた杭が曲がっているといった、ちょっとした変化は、次のアクシデントの予兆である場合があります。これは経験則ですが、これを受け継ぐことができるかは、時間規制とは違う目線で課題として残っています。
新事業、海外事業をどう開拓するか?
─ 近年は事業領域の拡大を進めてきましたね。その中で都市再開発を手掛ける「アセットバリューアッド(AVA)事業」や「環境ソリューション事業」などにはどう取り組みますか。
細川 西松建設グループ全体として、さらなる飛躍をするためには新たな事業への取り組みが必要で、その意味でもAVA、環境ソリューションは重要な事業です。
その中でAVAは、これまではストック、つまり開発後に資産を保有してきましたが、数年前から早期に利益を上げて売却し、得たキャッシュを新たな投資に回していくという循環型の仕組みで拡大を図っています。
また、環境ソリューションについては、まだまだこれからですが、異業種との提携で環境という側面での街づくりもできると考えています。
他にも、木質バイオマス発電所の運営を進めています。一般に、バイオマス発電は燃料コストが課題ですが、当社の発電所では国内産の燃料を使うことで、国内の林業にもいい効果を与えるものだと思います。また、食品残渣を活用したメタンガスによるバイオガス発電も国内数カ所で計画しています。人の生活、持続性にも関連した事業ですから、ぜひ進めたいと思います。
─ 国内市場が縮小する中で、海外事業への取り組みは?
細川 海外事業については、地政学リスクが低いODA(政府開発援助)に注力しています。ODA案件については2028年頃まで、ある程度の規模がありますから、そこを狙いつつ、元々、建設を手掛けてきた国を中心に海外での新規事業にも取り組みます。また、オーストラリアでは、環境関連の他、都市開発の案件も手掛けていきます。
─ 資本提携している伊藤忠商事との連携はどのように深めていきますか。
細川 伊藤忠さんは我々の持っていない領域の仕事、多くの企業との連携を持っています。そうした企業と一緒に事業を広げることができるのは大きなメリットです。特に環境エネルギーや海外などは一緒に開拓できればという期待を持っています。
─ 伊藤忠と提携する以前はファンドが大株主でした。この経験をどう捉えていますか。
細川 冒頭申し上げたこととも関連しますが、土木・建築の事業の執行をしていれば会社としての方針を出せているという時代ではなく、PBR(株価純資産倍率)や、戦略的な事業投資、株主への還元など、しっかりとステークホルダーに対してのメッセージを発信できるようにしていかないと、企業として非常に厳しい状況になるということを経験させてもらったと感じています。
今後は事業だけではなく、企業戦略、経営、財務などを含め、経営的な目線を持った人材をどんどん増やしていかなければいけないと考えています。
─ 来年が現在の「中期経営計画2025」の最終年度ですが、今の進捗であれば上振れて着地できそうな地合いだと思います。どう見通していますか。
細川 見通しはおっしゃる通りで、基本的にはいい方向に進んでいくのではないかという期待を持っています。
我々は今の中計と同時に「西松―Vision2030」を出しました。建設はフロー型ビジネスですから、見えるのは長くても2、3年です。その意味で2030年というと、あと6年です。そこに対しての見通しを固めなくてはなりませんが、まだまだ現実は甘くないと気を引き締めているところです。
工事での大きなトラブルを「信頼」で乗り越える
─ ところで、大学を卒業した後、ゼネコンを志望した理由を聞かせて下さい。
細川 元々、母方の祖父と伯父がゼネコン、父方の祖父が北海道開発局でダムの仕事に携わっていたこともあり、建設の仕事について見聞きすることも多く、興味を持っていました。
そうして西松建設に入ったのですが、当初は自分で土建会社を起こしたいという思いを持っていました。学生ですから非常に短絡的ですが、自分で会社をつくることができたら楽しいだろうなと思っていたのです。
─ 実際に入社してみて仕事はどうでしたか。
細川 中部支店に配属になりました。2カ所目の現場では調整池建設工事で、山間部のロックフィルダム(岩石や土砂を積み上げて建設する型式のダム)など、非常に大型のものをつくる仕事に携わりました。
非常に新鮮だったのは、予算の組み方です。大きなことをやっているから、もっとざっくりしているのかと思っていたら、1日の単価を非常に細かく出していたことに驚きました。
─ これまでの仕事の中で、これを乗り越えたから今があるといった経験は、どういうものがありますか。
細川 途中、うまくいかなかった仕事は今でも覚えています。30代後半で経験した高速道路のインターチェンジの工事では、地盤が軟弱でボックスカルバート(地中に埋設され、水路や通信線などの収容に使われる箱型のコンクリート構造物)が沈下してしまったのです。
沈下したものを壊すとなると、完全に損が出ます。そういうわけにもいきませんから、壊さずに進められる方法を考えました。参考にしたのが建物を壊さずにジャッキアップして移動させる「曳家」です。
そこで、直接基礎を杭構造に変えることにしたのです。要はジャッキをひっくり返し、ボックスカルバートの重さを反力にとり、鋼管の短杭を地盤に圧入することを繰り返して支持杭としたのです。コストがかかりますから採用することが少ない工法でしたが、もうこれしかないということで実行しました。
─ 土壇場で知恵を出した形ですね。
細川 ええ。元々は地盤の調査を始め、一般に行う試験以上のことを事前に行っていたこともあり、計画変更を認めてもらうことができました。
正直、ボックスカルバートが沈下した時には、損失が大きすぎて会社を辞めなければいけないと覚悟しました。しかし、問題解決に向けた工法の提案が発注者からも信頼されて、計画変更もできた。その後、そこで得た信頼によって想定以上に収益を上げることができました。まさにどん底から這い上がることができたという経験でした。
また、民主党政権の時代に、本当に仕事が取れない時期がありました。何をやっても仕事が取れず、利益がない仕事でも受けるということが続きました。
そんな状況下に、私は西日本支社で、技術提案部署の責任者となり意欲的に提案を行った結果、近畿自動車道紀勢線のトンネル工事を皮切りに、西日本地区で多くの工事を受注することができました。
その後、経営企画部に異動して中計策定などに携わることになるわけですが、当社の業績も上向いてきた時期でしたから私自身、この頃から「運」がついてきたような感じがしています。
(聞き手 本誌・大浦 秀和)