「我が国も、もう一度原点に戻り、日本の民主主義とは何なのかを考える必要がある」─。河北氏はこう指摘する。一人ひとりが社会に責任を持つ意識が弱くなっているのではないかというのが、河北氏の問題意識。今一度、この社会をどういうものにしていくのかについて一人ひとりが考えるべき時。また、医療にも見直しが必要。診療所と総合病院の診療報酬をどうしていくか、小児科医療をどう考えるかなど、課題は多い。
戦後79年が経って改めて思うこと
─ 戦後79年目の夏が終わりました。今、日本は大きな転換期にあると思いますが、今思うことは?
河北 8月6日は広島に原子爆弾が落とされた日でしたが、その日に思い浮かんだのは猪瀬直樹さんが書いた『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)です。改めて読み直すと、我が国の物事の考え方は、当時とあまり変わっていないなと感じます。
『昭和16年夏の敗戦』は、1940年に設置された「内閣総力戦研究所」が舞台です。30数名の若者達が、政府の持つ全ての情報を分析して出した結論と、全く違う戦争を日本は進めてしまった。ここから学ぶべきは、今我々は、根拠に基づいた決定ができているのか?ということです。
総力戦研究所の分析では、あの時点で、すでにソビエト連邦(現ロシア)の参戦まで予測されていました。しかし、そうしたデータを一切採用せず、結果として日本人だけでも300万人を超える犠牲者を出し、敗戦にまで至ってしまったということを今の社会にどう反映するかは、とても大切なことだと思います。
先の東京都知事選挙を見ても、今までにないような結果が出ました。国民が望んでいることと政治がやっていることにギャップがありますし、行政が力を失って政治に翻弄されていることを強く感じます。
例えば今、米大統領選は選挙戦の真っ只中ですが、この選挙によって物事がどう動くかということを、「点」で考えるのではなく、全体を見渡すような人がいなければいけないと思います。
─ 全体論、本質論が語られなくなっていますね。
河北 はい。デモクラシーというものを、もう一度しっかりと国民が考えるべき時期に来たのではないかと思います。最善のシステムではないかもしれませんが、我々があの戦争を通じてつくってきたものを見失ってはいけないと思います。
米大統領選で問われているのは、まさにそういうことだと思います。米国の良心が、どちらを大統領に選ぶのか。
同時に、それは日本にとっても他人事ではありません。我が国も、もう一度原点に戻り、日本の民主主義とは何なのかを考える必要があります。民主主義は国民が責任を持たなければ成り立ちません。そして、その責任を持つ個人をどう育てるかが大事なのだと思います。
例えば「ゆとり教育」をやめ、「働き方改革」を進めていますが、このままでは日本社会は駄目になるのではないかという危機感があります。もちろん、個人の健康を社会として守ることは大切ですが、その中で個人が責任を持って踏ん張る社会にしなければいけない。働かなくていい、勉強しなくていいという社会ではないはずです。
「公私官民」のバランスを
─ 改めて「自助・共助・公助」という考え方が大事になるのでは。
河北 そう思います。自助がなければ共助も公助もないのです。その自助が今、非常に弱くなっている。個人の力をどうするか、考える時期に来ているのではないかと思います。
残念なのが近年、子供の夏休みについて「無い方がいい」、「短い方がいい」、「子供にお金がかかる」といった意見が出ていることです。学校に行けば給食が出る、家にいると自分達で食事をつくらなければならないというわけです。夏休みは経験・見識を広げる機会です。
子供にお金がかかるのは当たり前ですし、そこは自助が中心です。それをいかに公助で助けていくかは社会の責任だと思いますが、自助が前提にあることを忘れてはならないと思います。
─ 取り違えている人が多くなっているということですね。改めて社会を変えていくべき時期に来ている気がします。
河北 私はいくつかの本を推薦図書として紹介しているのですが、その中に池田潔先生(日本銀行総裁・池田成彬の二男でイギリス文学者)の『自由と規律―イギリスの学校生活』(岩波新書)があります。
池田先生は中学時代にイギリスのパブリックスクールに通っていました。この名称が非常に大事なのですが、イギリスのパブリックスクールのほとんど全てはプライベートスクールなのです。私は留学したシカゴ大学で「プライベートこそ最もパブリック」と最初に言われました。プライベートな立場がパブリックを担わなければならないと。これが日本の原点にならないといけないと思うんです。
私は以前から社会の成り立ちについて「公・私・官・民」という形で分けているとお話しています。「公」はパブリック、「私」はパーソナル、「官」はガバメント、「民」がプライベートです。「公」と「私」は個人のマインド、「官」と「民」は運営主体として存在しており、これらのバランスが重要だということです。
─ 河北さんがシカゴ大学で学び、帰国した後に日本で感じたことは何でしたか。
河北 留学を経て私は1981年に帰国しましたが、感じたことが3つあります。第1に日本は同質性の社会であること。足を引っ張り合い、出る杭を打つ、違いを認めない社会だと感じました。
第2に、様々なことを決定する際に科学的根拠がなく、情で決めていく社会であること。第3にマネジメントが必要ではない社会だということ。役所の言うことさえ聞いていれば何とかビジネスになるという時代だったのです。
─ 81年というと、アメリカの社会学者・エズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出して2年後のことですね。
河北 当時、もちろん素晴らしい企業もありましたが、大蔵省(現財務省)や通産省(現経済産業省)などが主導的に動いていて、それに乗っていけば何とかなるという社会だったと思います。しかし、それによって同質性の社会であり続けてしまった。
今、「多様性」というとLGBTとSDGs(持続可能な開発目標)の話ばかり出てきますが、そうではなく、全ての社会機能が多様化しなければ意味がないのです。
違いを認めるのには評価が必要です。評価がいいものは伸び、悪いものは淘汰されていく。ただし、よくなりたいというものは支援していかなくてはいけない。日本は、そういうメリハリがなく、未だに同質性を重視する社会です。
診療所と病院が同じ診療報酬では…
─ 教育、医療など、全てに言えますね。
河北 教育、医療は最たるものです。医療について言えば、病院と診療所は違うものなのに、全て同じ診療報酬で動いている。多くの診療所は人がそれほどおらず、家内事業的に営んでいます。一方、病院は多くの人を雇用して、様々な機能を提供しなければなりません。それが同じ診療報酬で動いているということはあり得ません。
例えば、私が東京都病院協会会長として、この20年間言い続けてきたことは、診療報酬に上乗せして、東京都独自の入院基本料を付けて欲しいということです。全国一律の社会保険診療報酬なのですが、東京都は地方交付税不交付自治体のため、自分達で何でもできる。しかも、都内の病院の経営状態が全国で最も悪いんです。
─ 要因はどこにあると?
河北 人口は多いのですが、1人の医師が同じ時間内に診る患者さんの数はだいたい同じくらいで決まっています。それで診療報酬は東京でも北海道でも沖縄でも同じです。しかし、人件費も土地代も建設費も全く違います。
例えば我々の収入に対する人件費率は60~70%です。そして、国家公務員の人件費は北海道、沖縄と東京23区を比べると20%違う。利益率が大きく違ってくるわけです。それであれば、東京都内の病院には独自の入院基本料を付けるべきだと訴えてきました。14カ所ある都立病院にだけ、毎年500億円を超える赤字の補填があるというのはおかしいのではないかと。
─ ある意味で、長年にわたる慣習だということですね。
河北 そうです。私はかつて、日本医師会会長を務めた武見太郎先生に「未来からの投影で物事を考えなさい」と教えてもらいました。現在の延長線上ではなく、自分が好ましいと思う未来を想定して、それを実現するために今から何をすればいいかを考えようということです。ところが、日本ではほとんどのことが、過去の延長線上で考えられている。
もう1つ、武見先生は1972年に医療には「無過失補償制度」が必要だと提言しています。過失があってもなくても医療事故は起き得ます。その時に必ず補償することが必要だと。医療の過失調査はお互いに大変な労力と時間がかかります。それよりは先に補償した方がお互い幸せであると。武見先生には先見の明がありました。臨床医であり、思想家であったと思いますが、今はそういう人はいません。
─ そうした本質を衝く人が求められますね。
河北 そう思います。その意味で、私は21年から23年にかけて亡くなった4人の方が印象に残っています。
1人目は元米国務長官のコリン・パウエル氏です。ブッシュ政権の時にパナマ侵攻や湾岸戦争の指揮をとった後、国務長官に就きましたが、イラク戦争の開戦の大義をめぐる国連演説を終生悔いていた。「正義」を貫いた人だったと思います。
2人目はソビエト連邦(現ロシア)元大統領のミハイル・ゴルバチョフ氏です。社会主義国家にありながら、「自由」ということの意味を理解していた人だったと思います。自由は人間の本質です。
3人目が元内閣官房副長官の古川貞二郎氏です。「信頼」の人であり、行政の信頼を徹底的に貫いてくれた方です。私にとっては個人的にも、厚生省(現厚生労働省)時代の古川さんには大変お世話になり、いわば「戦友」とも言える存在でした。
4人目が英国のエリザベス女王です。女王は「愛」を体現した方です。女王は国民を愛し、世界の人達が女王を愛しました。国民からあれだけ慕われたのは、女王が愛を持っていたからだと思います。
この4人は「正義」、「自由」、「信頼」、「愛」という重要な言葉を体現した方々です。日本は、これらの言葉を大事にする社会でなければいけないと、私は思っています。
「小児科医療」が抱える課題
─ ところで河北総合病院は25年6月に新病院の竣工を予定していますね。
河北 病床数は、分院を含めた407ベッドから353ベッドに減ります。約50ベッド減ることになりますが、病院としての診療機能は、以前よりも向上させる考えです。
ただ、課題としてあるのは小児科医療です。多くの医師が働いてくれていましたが、私が方針を転換したことで辞めた人達もいます。小児科で大事なのは小児医療の機能を整備することです。そのためには整備費がなければ成り立ちません。特に、民間の総合病院にとっては非常に重要なことです。
私はかつて、斎藤十朗さん(元参議院議長、元厚生大臣)にお願いをして、病院の施設整備事業というものをつくっていただいたことがあります。病院の建て替えには巨額の資金がかかります。特に今の診療報酬の中では自分達だけの力では非常に難しい。そこで施設整備事業を必要としたわけです。
実は、米国には「ヒル=バートン法」という1946年にできた法律があります。第2次世界大戦直後、米国内の病院は疲弊しました。そこで連邦政府が個別の病院の立て直しの資金を出す目的で制定されたのがヒル=バートン法です。
大義名分は、医療を疲弊させてはいけないということです。その代わりに徹底したのは非営利性です。この時の非営利は、私的な所有権がない、私的な利益水準、いかにチャリティとして、その事業を行っているかということを含めた意味です。
日本でも同じ制度を創りたいと考えてお願いをし、できたのですが、後に日本医師会の反対もあって、実現しませんでした。しかし、今も施設・機能整備事業が必要だという考えは変わりませんし、小児科もその中で捉えなければいけないと考えています。