国際基督教大学 理事長の竹内弘高氏は、新型コロナウイルス感染症のワクチン開発によって一躍世界的製薬企業となったモデルナの成功の理由は、CEOのステファン・バンセル氏がデジタル化を進め、新たなビジネスを展開したことにあると話す。ハーバードビジネススクール(HBS)でも、“ケース(経営事例を取り扱った教材)”としてモデルナの成功例を取り上げているそうだ。

8月22日~23日に開催された「TECH+EXPO 2024 Summer for データ活用」に竹内氏が登壇。HBSのケースを基に、バンセル氏がどのようにモデルナを成功に導いたのかを紹介し、そこから日本企業が学ぶべきことについて解説した。

  • 国際基督教大学 理事長の竹内弘高氏

モデルナ成功の理由はデジタル化し、mRNAプラットフォームを開発したこと

講演冒頭で竹内氏は、モデルナのワクチン開発が驚異的なスピードだったことを紹介した。新型コロナウイルス感染症が流行し始めた2020年1月、中国で死亡例が確認され、その日のうちにウィルスのゲノム配列が世界に公表された。モデルナはその2日後にワクチン開発に着手し、2月7日には製造を開始した。そして2月24日にはアメリカ国立衛生研究所(NIH)にサンプルを送り、ボランティアに対して3月16日からワクチンの投与を始めた。新型ウィルスが確認されてからわずか2カ月ほどでワクチン投与にまで至ったわけだが、これは同社が2010年の設立以来、継続的にmRNAの研究を行っていたからできたことだ。

このモデルナの成功事例を取り扱ったHBSのケースでは、「デジタルという言葉が27回、プラットフォームという言葉は15回も登場する」と同氏は言う。

「モデルナはデジタルに舵を切り、mRNAというプラットフォームを開発したから成功したのです」(竹内氏)

このケースには、「mRNAプラットフォームとはiOSのようなもの」というバンセル氏の言葉が記されている。iOSがあればさまざまなアプリを載せられるのと同様に、mRNAプラットフォームを開発していたからこそ、そこにマッチするワクチンの開発もスピーディーに行えたということだ。

デジタル化成功のためには、必要なステップを全て実施すべき

モデルナがデジタル化の成功に至るまでには、いくつものステップがあった。まずクラウド化からスタートし、次にデータの統合を行い、実装実験のIoTを導入、自動化とロボティクスを取り入れ、データ・アナリティクスを実現し、AIを活用する。ここまでのステップを全て実施してデジタル・カンパニーになったのだ。

「DXというと、何かを少し変えれば成功するようなイメージもあるかもしれませんが、これだけ全てをやらないといけないのです。それがモデルナの事例から学べることです」(竹内氏)

モデルナの成功事例から学ぶべき7つのこと

竹内氏は、モデルナの事例から学ぶべきことを7つ挙げた。

劣位を真摯に認める

1つ目はInferior(劣位)を真摯に認めることだ。モデルナのCEOに就任する前、イーライリリーやビオメリューに在籍経験があるバンセル氏は、モデルナのデジタル化の遅れに驚き、まずこれを立て直すことに取り組んだ。このときバンセル氏は「遅れていることが実はアドバンテージになった」と語っていたそうだ。

劣位を認めて成功した例として、もう1つ竹内氏が挙げたのはHBSだ。今では当たり前のオンライン授業は、そのシステムをスタンフォード大学が開発して早くから実施していたのに対し、HBSでは対面を重視したため長い間オンラインを無視していた。しかし後に、遅れをとっていることを認め、投資を行った。そのため今では大規模なオンライン授業も対面と同様に行えるようになったそうだ。

「バンセル氏は、自分たちのデジタル化が全然ダメだと認めたから成功したのです。劣位をまず認めることが重要です」(竹内氏)

アナログプロセスを再設計する

2つ目は、デジタルの前にまずアナログのビジネスプロセス・エンジニアリングが重要だということだ。バンセル氏がCEOに就任した当時のモデルナでは、科学者は配列をExcelに手作業で入力しているような状態だった。そこからITを構築するためには、正式な最高デジタル責任者(CDO)が必要になる。そこでイーライリリー時代の同僚マルセロ・ダミアーニ氏をCDOとして迎え、プロセスの設計を任せた。ここで重要になるのが、アナログのプロセスがいい加減であれば、それをデジタル化したデジタルのプロセスもいい加減なものになってしまうということだ。そのため、ダミアーニ氏は単に手作業のプロセスをデジタルに変換するのではなく、まずデジタル環境に適合するように今のプロセスの再設計するところから始めたという。

「DXだからといって、ちょこっとトランスフォーメーションすればよいのではなく、最初からやり直さなくてはいけないということです」(竹内氏)

デジタル化の全てのステップを実行する

3つ目は、All or Nothingということ。デジタル・カンパニーを構築するためには、前述のとおりいくつかのステップの一部を実行するのではなく、全てを行わなければならないし、それを縦割りでやっても意味がない。モデルナでは全社を統合しながら全ステップを1つずつ実施することで、デジタル・カンパニーを構築したのだ。

少数のリーダーで意思決定を高速化

4つ目は、外部から招いた少数のリーダーが改革を実行したことだ。ダミアーニ氏はCDOと最高オペレーショナル・エクセレンス責任者の兼任とし、同じくイーライリリーから招いたホアン・アンドレス氏は技術担当のチーフテクニカルオフィサーとチーフクォリティオフィサーの兼任とした。さらにデイヴ・ジョンソン氏にはインフォマティクスとデータ分析、さらにAIのチーフも兼任させた。こうした兼任によって各分野のリーダーは少人数となり、それが意思決定の速さにつながったという。

良いアイデアが最優先

5つ目は、肩書やこれまでの業績に関係なく、良いアイデアを取り入れようという“best ideas win”という考え方だ。バンセル氏は「勤続年数や民族性は関係ない。誰のものであろうと、最高のアイデアが勝利するのがモデルナの文化だ」と発言している。

未来からの逆算

6つ目は、未来の状態を思い描き、そこから逆算して解決策を考えるということだ。バンセル氏は、経営者の役割の1つは人に夢を描いてもらうことだと考えているそうだ。何年も先の未来の夢を考えてもらい、その実現のためにはその1年前、さらにその1年前にはどうなっているべきかを考える。そうすると目の前の1年で何をすべきかが分かるというわけだ。バンセル氏は「これこそがもっとも強力な戦略的経営ツール」だと話している。

システム志向で考える

7つ目は、システム志向で考えることだ。会社とはシステムなのだから、システムの最適化を考えなければならない。規模が拡大してもサイロ化せず、全体を最適化することが重要である。

重要なのはPdCaではなく、pDcA

では、これらのことを学んだ上で日本企業が世界と戦うためには何が必要なのか。竹内氏はpDcAが重要だと話す。“ジャパン・アズ・ナンバーワン”と言われていたころの日本企業は、PDCAを忠実に実行していた。最近では、P(計画)とC(評価)ばかりが重要視されたために”失われた30年”になってしまった。「だから世界が羨む企業に再びなるには、DとAを大文字にし、pとcを小文字にするべきなのだ」と続けた。

さらに、過剰分析、過剰計画、過剰コンプライアンスも不要だと指摘。過剰に分析する必要はないし、数年後に環境がどう変化しているか分からないため中期計画も無意味になることがある。コンプライアンスも必要だが、オーバーにする必要はないと述べた。