北海道・東神楽町は2024年度、東神楽中学校で生きがいを学ぶ教育プログラム「IKIGAI Compass」を採用した授業を開始した。旭川空港を有する同町は、人口減少や過疎化が叫ばれる北海道に位置しながらも、1990年から20年以上にわたり人口が増加。全町民に占める15歳未満の年少人口比率は15.26%(2020年国勢調査)と全道一高く、“子ども王国”となっているという。

自分が中学生だった頃を思い出してみてほしい。皆さんは生きがいを感じていただろうか。筆者の場合、そもそも生きがいについて考えたこともなかったというのが正直なところだ。

ではなぜ、東神楽町は生きがいを学ぶ教育プログラムを採用したのか。今回は、東神楽町 教育委員会 教育長の金谷昭氏と、同町とDXを推進する人財の育成および活用を推進するための包括連携協定を締結し、生きがいを学ぶ「IKIGAI Compass」を提供するアデコ Academy事業部 事業推進部 部長の矢﨑亮平氏、同 Academy事業部 事業推進部の今井陽子氏にお話を伺った。

  • 東神楽町 教育委員会 教育長の金谷昭氏

  • (左から)アデコ Academy事業部 事業推進部 部長の矢﨑亮平氏、同 Academy事業部 事業推進部の今井陽子氏

「自分には良いところが“全くない”」と答える子どもにも光を

金谷氏によると、東神楽町は旭川市に隣接しており、ベッドタウンとしての需要が生まれた90年代から人口が増加。子ども向けの施策を充実させることで、より一層の人口増につながるのではないかという考えの下、子育てや教育支援の拡充と質の向上に努めてきたという。学校教育の場においても、少人数指導、外国語教育など、一人一人のニーズに合わせた対応ができる環境を整えてきた。中でも、小中一貫教育に注力しており、町内に3つある小学校と、東神楽中学校で共通した理念に基づく指導体制の確立を目指してきた。

そのような環境下でも、「課題はある」と金谷氏は話す。例えば、子どもたちを対象としたアンケートでは「自分に良いところがあると思いますか」という回答に「全くない」と答える子どもが小中学校共に数人は存在するという。

「『全くない』子どもは何に困っていて、自分をどういう風に見ているのだろうか。数は少ないものの、否定的な思いを持っている子どもにどういう手立てが講じられるのか、この子たちにも光を当てたいと考えてきました」(金谷氏)

同氏が教育長として掲げている方針は、学びがいと生きがいを高めることだ。その方針にぴったりと重なったのが、アデコが提供する「IKIGAI Compass」だった。

自己理解なくして、持論は形成されない

アデコでは「『人財躍動化』を通じて、社会を変える。」というビジョンを掲げている。現在、日本社会の大きな課題解決に必要なのは労働生産性の向上であるという考えの下、「人財の躍動化、つまり働きがいを高め、いきいきと働けるようにすることが労働生産性を高めることにつながるのではないか」と矢﨑氏はその考えを説明する。

同氏らが中心になって提供しているAdecco Academyというサービスは働きがいを高める学びの提供を目的にスタートした。「働く前の段階から働きがいを考えた方が、社会に入ってから迷わなくて済む。自身が何に働きがいを感じるのか、自己理解を深めてから社会に出る支援をしたい」という思いから、大学生向けプログラムとしてIKIGAI Compassの提供を始めたのだという。まだ社会に出ていない大学生が対象であるため、働きがいではなく、その上位概念である生きがいについて考える教育プログラムとなっている。

今井氏は、「このプログラムは、IKIGAIのフレームワークを使って自己理解を深めるプログラムで、その特長は、自己理解を深めるために必要な思考力を養うワークを取り入れている点」だと話す。思考力を養うワークとは、決まった正解がない「答えのない問い」について考え、仲間と対話していくことであり、これを通じて、思考力を鍛えるだけではなく、一つの問いから多様な考えや価値観があることを体験を通して学ぶことができるという。学校教育では、問題に対して正解の導き方を学び、学習にはある程度の正解がある問題が多い。また、昨今はインターネットで簡単に正解を調べることができる時代だ。子どもたちは“物事には正解があり、正解を重視する社会“で暮らしているが、社会に出ると私たちが直面する問題には正解がないことも多い。特に現在はVUCA時代と言われ、変化も激しいことから、これまで正解だったものが通用しなかったり不正解になったりすることもある。

「物事には正解があり、正解を言わなければいけないと考えている子供たちは、社会に出て正解がない問題に直面したときに、自分の考えや意見を他者に伝えることが難しいと感じてしまうことがあります。IKIGAIという自分の軸を持ち、意見を伝えられるようになってほしいのです」(今井氏)

このプログラムでは、「答えのない問い」のワークやIKIGAIのフレームワークを通して自分のことを深く考え、他者との対話に時間を割く。「対話の重要性」「多様な価値観」「深い自己理解」を体験し、自分の生きがいや学びがいとは何かについて、考えを深めていくのだ。

“正解”のない生きがいを総合的に評価するための改革

金谷氏はIKIGAI Compassについて、「ただ単に将来の目標を立てるのではなく、子どもと先生がリスペクトのある関係性を築く素晴らしいプログラムだと感じた」と話す。そこで2023年度、試験的にIKIGAI Compassを採用した授業を行い、正式導入に向け、アデコ側とさまざまな意見交換を実施。プログラムの改善も行った。しかし、IKIGAI Compass導入にはまだ大きな問題がある。間違いを恐れず、異なる意見を認め合い、自己肯定感を高めることにつながるこのプログラムには、正解がない。一方で、学校教育の場においては、正解を出すことが評価につながる。子どもたちはもちろんだが、プログラムを実践する立場となる先生にとって、“どう通知表を付けるのか”という課題が付きまとうのだ。

そこで金谷氏は、大きな改革を実行する。それが東神楽町におけるキャリア教育プログラム全体の見直しである。

「通常の授業の1コマにIKIGAI Compassを入れるという発想では(評価をどうするのかという点で)収拾がつかないですし、プログラムの効果も薄いのではないかと考えました。そこで、単にプログラムを採用するのではなく、キャリア教育プログラム全体を見直し、小学校、中学校ともに学びがいと生きがいを高める教育を柱とする枠組みに変更したのです」(金谷氏)

これだけの大きな改革がスムーズに行えた背景には、日頃から金谷氏が自身の教育方針を各校長先生に伝えていたことがある。それに加え、教育委員会に所属する指導主事らが何度も学校へ足を運び、現場での理解促進をサポートしてくれたと同氏は感謝の意を示した。

子どもたちが素直に感じた“楽しさ”

こうして2024年のIKIGAI Compassは50分授業2コマを1回とし、月に一度、全4回行われることになった。授業を担当する今井氏は、プログラムの実施にあたってゴールを2つ設定している。1つは、対話を通して、自分と仲間の理解を深めること、もう1つは一人一人の学びがい、生きがいを高めることだ。全4回を終えたとき、「人と自分は違っていて良いと思える状態、自分にちゃんと矢印を向けられている状態をつくりたい」と話す。

取材時は正式導入後の初回の授業が終了したタイミングだったが、金谷氏は「今井氏の子どもたちとの対話力や、子どもたちの話し合いをファシリテートする力がすごい。これは子どもたちへの効果も期待するし、ぜひ先生方にも学んでいただきたいと感じた」と感想を述べた。実際、各回の最後には子どもから「グループでの交流は楽しいんですね」「新しいことを知るって楽しいな」「自分にはない意見を聞けたのが楽しかった」といった声があったそうだ。

「このような声だけで、もう十分です。ただ、このプログラムだけではなく、今後は他の授業でもそう思えるようにしていかなければいけません。生きがいの前には学びがい、つまり(通常の)授業があります。授業を変えていかなければ、生きがいにはたどり着かないのです」(金谷氏)

長期的視点で、生きがいの効果を見る

今後について金谷氏は「我々が持つ普段の授業のノウハウと、アデコさんが持っているプログラム、そしてそれを進める力を融和させ、お互いにとってメリットのある取り組みにしていきたい」と話す。

IKIGAI Compassが中学生にとって有効だったか。その結果が出るのはまだまだ先だ。矢﨑氏は「生きがいを自分で見いだせる力が働きがいにもつながる。社会に出て、パフォーマンスを発揮することにもつながる。それを進めていけば、多くの方がいきいきと働くことができるようになり、社会課題の解決につながると考えている」と言う。最後に金谷氏はこのプログラムに込めた期待を次のように語った。

「知識はいっぱいあるけども、隣にいる友だちと真剣に話したことがない、自分の思いを伝えたことがないという子どもがいると思っています。このプログラムを通じ、友達を信じて、真剣に話ができたことは自分への自信になるでしょう。これからの人生で困難があっても、人と力を合わせて生きていくきっかけとなればと考えています」(金谷氏)

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中学生が生きがいを学ぶことは、自分を知り、他者を認めることから始まる。いつか彼ら彼女らが大きくなって、社会に出たとき、ふとこの授業のことを思い出す日が来るかもしれない。生きがいとは何か。もしも過去に戻れるのであれば、中学生の自分にも問いかけてみたい質問だ。