伊東玄聖・ノーベル平和賞受賞者世界サミット副会長「見ない、聞かない、知らないではなく、常にそこを知ろうと思う探究心から出発を」

「自分事として落とし込むには改めて考える機会を設けることが必要です。まずはそこから出発するのだと思います。学生たちがサミットでノーベル平和賞受賞者たちと直接話し、エネルギーに満ち溢れた表情を見るのが一番嬉しいです」。こう語るのはノーベル平和賞受賞者サミット副会長の伊東玄聖氏。同サミットは1999年にノーベル平和賞を受賞したゴルバチョフ旧ソビエト元大統領が設立。世界各国から25年間で7万5000人の世界平和を願う人々が集まり、現在の社会課題、戦争・紛争をいかに解決、なくすかの手立てを考え、討議する場として存在してきた。

ノーベル平和賞受賞者との交流の場づくり

 ─ 世界は紛争や戦争が止まない混沌としている中ですが、伊東さんが世界平和を目指されて活動されているこの「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」の発足した経緯から聞かせてくれませんか。

 伊東 わたしたちが開催している「ノーベル平和賞受賞者世界サミット」自体は、1999年に、ノーベル平和賞を受賞(1990年)されたゴルバチョフ旧ソビエト元大統領が立ち上げられたサミットで、イタリアのローマで発足されました。午前の部は、ゴルバチョフさんとローマ市長が、午後の部はバチカンにてローマ教皇が主宰されました。

 それまでノーベル財団というのは、賞を授与した後の受賞者へのフォローアップはあまりなされていなかったんですね。その中で、世界でこんなにもたくさんの人たちが一生懸命平和のために活動をしている。その人たちが一堂に会して大きなムーブメントを起こせたら、世界がより良いものに変わっていくのではないかというゴルバチョフ氏の思いから発足されました。

 2006年にわたしどもの団体がこのサミット運営に特化したNGOとしてイタリアに事務所が設立されました。現在の拠点はイタリア、フランス、昨年京都にアジア統括事務所を立ち上げたところです。

 ─ サミットでは具体的にどんなことが行われるのですか。

 伊東 通常3日間ほどのサミット開催期間がありまして、午前中はノーベル平和賞受賞者や各国のアクティビストであったり、平和活動に従事する団体、エキスパートの方々が集まり、壇上にて現在の社会的な問題、例えば紛争など国際的に起こっている問題に対しての討議をする場を設けております。

 午後は次世代育成のプログラムが開催されます。世界各国から集まる学生たちとノーベル平和賞受賞者の方々が一緒になって、大体30人から100名ぐらいのワークショップにわかれて討議します。

 学生が社会において問題意識を抱いている、解決すべき事案についてノーベル平和賞受賞者の方と直接お話ができる機会を設けるということを心がけております。ノーベル平和賞受賞者の知恵と力を借りながら思考を深め、次世代がどのように解決していくのか。ビジョンを深め解決策を模索する場の提供です。

 歴史の教科書に載るような人たちと直接話した学生たちは目をキラキラさせて、自分たちで世界を変えていくのだとエネルギーに満ち溢れた表情を見るのが一番嬉しいです。

 ─ 日本でも2010年に広島で開催されていますね。

 伊東 はい。これまで18回のサミットが10カ国10都市で開催しています。学生プログラムはたくさんのチャンスのある場になっています。例えばジャーナリストを目指す学生たちは、サミットに来る世界中の著名なメディアの第一線で働いているジャーナリストの方と行動を共にします。一緒にインタビューをしたり記事を書いたり質問事項を一緒に考えたりと、その方に弟子のように付いて「ジャーナリズムとは何たるや」というものを学べる機会でもあります。

 もう一つ、ピースラボというものがあります。午前中にノーベル平和賞受賞者の方々や専門家の方が壇上で討議をした内容について、次世代での解決策を考えて自分たちでプロジェクトプランを立てます。その中で実現可能なものをノーベル平和賞受賞者の方々が選び、学生たちでプロジェクトを実行していきます。ピースラボへは毎年CNNの創設者であるテッド・ターナーさんがターナー賞というものを渡し、プロジェクトの活動資金の援助をしています。

 ─ 学生たちはどんな国から来ているんですか。

 伊東 毎年100校くらいの参加がありますので、ASEANの各国や日本、ヨーロッパ、南米、アメリカ、ロシアなど、本当に世界中からいらっしゃいます。

 ─ ノーベル物理学賞受賞者の中には物理学賞受賞者でアインシュタイン、あるいは原爆を作ったオッペンハイマーもいますよね。原爆をつくり日本に落とし、実際日本人が30万人亡くなって、彼ら自身は原爆を作って本当によかったのだろうかと悩むわけですよね。そこの苦悩がやはり大事なところだと思うんですよね。

 伊東 原爆の投下は人類にとって未だに何を意味するのか、明確な答えは出ておりません。

 ─ そうですね。しかしそれを探し求めることが大事。

 伊東 ええ。「見ない、聞かない、知らない」ではなく、常にそこを知ろうと思う探究心が大事だと思うのです。いま問題があるのであれば、それをどう解決していこうかという癖がつかないといけないと思います。

 ─ 傍観者でいては解決しませんね。日本は戦争を起こした国の一国でもあり原爆も経験しました。一方でアメリカは早く戦争を終わらせるため原爆を落としたという主張があります。

 伊東 そうですね。もちろん彼らには彼らの理屈があるのはわかります。しかし人間的な感情としては受け入れがたいというものもあります。

 ─ そういうことを学生たちが話し合うことも大事ですね。

 伊東 はい。結局国の教育というものは、自国の歴史で自国の観点からしか学ばないということが問題だと思っています。それこそ一辺倒に、アメリカで習うアメリカ史は彼らの都合よく編纂されて書いてあります。原爆投下に関しても、オッペンハイマーが深く悩んだ理由に関しても、アメリカ国民にはそこまでの疑問符がつかないという現実もあります。死亡者の統計上の数は顔が見えないのでなかなか自分事になりません。例えばパールハーバーで自分の親族に何かあったとすれば自分事として捉えざるを得なくなりますが…。

 そういう中で、自分事として落とし込むには、改めて考える機会を設けないとどんどん人は自分で考えなくなってしまいます。今の世界のように分断気味になってしまったり、自分の信じていることしか受け入れなくなってしまう。気に食わなければ叩き潰せばいいという安直な話になってしまうというのが現状だと考えています。

 ─ 今の学生たちはどういったことに問題意識を持っていますか。

 伊東 日本の学生たちは今の社会システムをもう信用していません。インターネットによりさまざまなことができるようになって選択肢が増え、世界は広くなっている中で、使い古されて捨てられる終身雇用システムももうなきに等しい。それだったら、自分で見切りをつけてどんどん先に行った方がいい。他のところに自分の目的を見いだした方がいいと考えていると。同志社大学の兼原信克教授もそんな学生が多くなってきている、と仰っていました。

 今まで盲目的に信じていた歴史や経済の教科書はもう通用しないと肌で感じているから、そうでない未来を自分で切り開いていかなければいけないと考えているようです。

 ─ 世界で解決すべき問題は山積みですね。

 伊東 国連もSDGsを提唱して世界中がそこを目指して日々経済活動しているわけですが、例えば、普通のガソリン車は良くないからEV車を作りましょうとなっても、その裏で電池を作るのにはレアメタルが必要です。石油は使わないけど今度は他の資源を食いつくそうとしているという是非も考えなくてはいけないのではないでしょうか。逆に、車を使わない、減らしていく社会を考えるというのも、環境問題を見直すのには重要なのでは? という議論がでたりしますね。

 ─ 企業だけでなくいろいろな各層、各界との対話が大事だということですね。

 伊東 そうですね。国、立場を越えての対話が重要であろうということです。学ぶ、知ろうとする、聞く耳、声を上げる勇気が大切で、わたしたちはその場を提供させていただいていると思っています。

 ─ 今年は9月にメキシコで開催予定ですね。

 伊東 はい。今年はメキシコのヌエボ・レオン州が開催地です。テスラ社の工場やたくさんの日本企業さんがいらっしゃる地域です。例えばデンソー、TOTO、パナソニック、川崎重工、住友商事などがあります。自動車関連の工場なども60社以上いらっしゃいます。

 ─ 非常に日本にも馴染みのある場所ですね。

 伊東 そうなんです。メキシコと日本はすごく長い外交関係があります。おかげさまでこの25年間で、7万5000人程の方々がわたしどものサミットに参加していただいています。

 以前メキシコで開催した時には現地での参加に加え、2万5000人がオンラインで参加してくださいました。

 今年も世界中の人々と、平和というものについて一緒に考える良い機会になればと思っています。

20歳で得度して…

 ─ 伊東さんがこのサミットに関わるきっかけはどういったものでしたか。

 伊東 少し遡ると、うちの母がインドやスリランカなど南アジアでNPO活動をしていたんですね。その国の宗教的指導者、地域の政府や自治体と組んで、病院や幼稚園、職業訓練場を建てたりしていたのです。そのこともあって、わたしも一緒に15歳ぐらいからずっと平和活動をやってきました。平和とは何か、人々はどうやって生きていくべきなのか強い興味もあったんですね。

 母から聞いていた話で、サンフランシスコ講和条約のときに、スリランカのジャヤワルダナ大統領がスピーチで「憎悪は憎悪によっては止まぬ、愛によってのみ止む」と日本への賠償金を放棄されて、それに追随する形で他の国々の方々も賠償金を放棄されたので、それがあって日本の戦後の経済発展もあったと。そのことに感銘を受けた母がスリランカ支援を念頭にNPOを立ち上げ、インドやその近辺の国々に活動を広げていった中で、ダライ・ラマ法王とご一緒する機会が何度かありました。そのときにダライ・ラマ法王が、「伊東さん、あなたはゴルバチョフさんとも仲がよろしいようなので、私の親書をゴルバチョフさんへ持って行ってください」と頼まれたのです。

 ─ 伊東さん自身も子どものころから世界との接点があったんですね。

 伊東 はい。両親の勧めで中学生からスイスの全寮制の学校に通っていました。そのあとアメリカの大学に行っています。

 ─ 世界で学んでどう感じましたか。

 伊東 海外から学んだものは大きかったですが、逆に海外にずっといましたので、日本人的なアイデンティティがなかなか構築できなかったというのもあって、20歳のときに比叡山延暦寺で得度しております。

 大学を1年間休学して日本に戻ってまいりまして、比叡山の中で僧侶となるべき修行をしました。女性が取れる資格は大体全部取りました。

 ─ 尼さんの資格も持っているということですね。

 伊東 はい。今こうやって髪を伸ばしているのも、うちの師匠が許可してくださったからなんです。剃髪姿ですと世界での平和活動の際に宗教的布教活動だという誤解を生んでしまいますから。

 逆に弊害として、比叡山は基本的に皆さん剃髪していないと僧侶としてのお仕事ができないのでそちらでは裏方としてしかお手伝いができないということはあります。

 比叡山での修行により、日本人としての根本思想や哲学も学ぶことができたと思っております。「一隅を照らす」という言葉と利他の心を持ち、宗教という枠組みを超えて今後の世界平和への取り組みに生かしてゆきたいと思っております。