4月18日、19日に開催された環境フェスティバル「アースデイ東京2009」では「食」を大きなテーマとして掲げ、メイン会場の代々木公園では"ごみゼロイベント"をコンセプトとして様々な取り組みが行われた。本レポートでは地球環境に負荷をかけずに、体にやさしい「食」のあり方を提案するとした会場の様子を紹介してみたい。

同フェスティバルではオーガニックレストランが出店する飲食エリア「アースデイキッチン」が毎年催され、食事を楽しみにしている来場者も多いという。全24店が屋台を構え、"地産地消"や"旬な食材の使用"を謳った数多くのメニューが登場した。都内の店がほとんどだが、静岡県富士宮市の朝霧食堂のように一部他県からの出店もみられた。

大行列となった「アースデイキッチン」の様子

「アースデイキッチン」の出店風景

「ごみゼロイベント」を目指す同フェスティバルの来場者は、アースデイ東京2009実行委員会の発表によれば二日間で14万人。飲食エリアを有した屋外のイベントでこれだけの人数が集まると、ごみ箱があふれている光景を想像する。ところが、アースデイ東京のメイン会場にはごみ箱が一箇所しか設置されていない。ごみはどのように処理されているのだろうか。

リユース食器でごみを出さない、汚れは自分で落とす

会場では、ごみを最小限に減らすためのいくつかのアイデアが導入されている。まず飲食で使用される使い捨て容器がイベントで発生するごみの大半を占めることから、"脱使い捨て食器"をキーワードとした2つの取り組みを実施。一つ目は「ディシュ・リユース・システム(Dish Reuse System)」で、これは洗浄可能な食器を来場者に貸し出して使い終わったら回収するもの。デポジット制を取り入れ、食器を借りる時に100円を支払い、返却時に100円を受け取る仕組み。

食器はラーメンなど汁物用の「丼」、カレーなどに適したちょっと深めの「カレー皿」、ピザなどに使える「丸皿」の3種類があり、箸やスプーンも洗浄可能なタイプが用意される。また、ワインなどの飲み物を提供する屋台でもリユース用のカップが提供された。飲み物を購入した際に支払った100円は、カップ返却時に戻ってくる。

何か食べたい来場者は貸出受付で食器を借りる

「ディシュ・リユース・システム」の仕組み

回収した食器は、会場内で洗ってから再利用にまわす。食器を返却するための専用のブースにはスプレーボトルに入った水と布きれが置かれ、来場者は自分で食器の汚れを拭き取ってから返却する。返却された食器はスタッフが洗浄して、再び貸出場所に戻っていく。このシステムにより、食べ物の包みや汚れがついた容器が散乱することがなく、ごみの大幅な削減に成功している。食べ残しも回収していたが、これは後日まとめて堆肥化を行っているとのこと。自ら手をかけてリユースを行うことで、来場者一人一人の食やごみに対する意識も向上すると思われる。

返却は専用のブースで行う

食器の汚れは自分を落とす。ざる付きのバケツは食べ残し入れ

食器の貸出を行うブースは2箇所に設置されたが、常に行列ができていた。また、会場でリユース食器の不足がアナウンスされるなど、事務局の予想以上に利用されていたようだ。

マイ食器でごみを出さない、水もマイボトルに給水

"脱使い捨て食器"の二つ目の取り組みは、「マイ食器」の持参を呼びかけ積極的に推進していること。マイカップやマイ箸は利用者が増えているというが、マイ食器を持っての外出まではなかなか実践できないのではないだろうか。アースデイ東京では、重箱など個性豊かな食器を数多く目にすることができる。汚れたまま持ち帰ることを考慮してか、中身が漏れにくく軽くて壊れにくいタッパーウェアも目立っていた。

マイ食器推進の一環として、マイボトルの利用を促すための「アースデイ給水所」が会場内の4箇所に設置された。広島県の"龍勢の仕込み水"や青森県の"白神山地の水"など20リットルの箱入りが用意され、無料で自由に給水することができる。水筒持参の来場者のほか、ペットボトルに給水する光景も多く見られた。飲み終わったペットボトルを再利用することで、ごみの削減にも役立っていたようだ。

好きな方を選べる「アースデイ給水所」。飲み比べる人も見られた

それでも出たごみは一箇所で回収

会場には、ごみを捨てることができる場所が一箇所だけ設置された。それが「ごみゼロステーション」で、もちろん分別回収を行う。イベントで出た、どうしても持ち帰りができないごみはここで捨てる。ごみの持ち帰り用の"ごみぶくろ"も配布されていた。

「ごみゼロステーション」はイベント会場のほぼ中央。目立つ位置に設置された

多くのボランティアの協力が必要ではあるが、来場者がごみを出さないように考えられた同フェスティバルでの取り組みは、他のイベントでも参考になるのではないだろうか。