世界屈指の美食国スペイン。2025年5月、スペインで初となる日本酒と和食の展示会「イベルカンパイ」が開催されました。会場には現地のシェフやソムリエ、一般客など、出展した酒蔵も合わせて約800名が集結。ユネスコ無形文化遺産に「伝統的酒造り」が登録されて半年、日本酒はいま世界でどのように受け入れられているのでしょうか。今回はスペイン編。
約200種の日本酒を一堂に! プレミアムな体験ができる2日間
マドリード市内のホテルで開催された「イベルカンパイ」は、日本酒や和食を試飲・試食できる展示会。主催は日本酒の伝道師として現地で活躍中の笹山繭子さんと、マドリードで日本料理店を営む料理人 ナウミ・ウエムラさんの女性ふたり。平日2日間の開催にもかかわらず、出展関係者150名、一般来場者650名が集い、会場は終日熱気に包まれました。
入場チケットは一般30ユーロ(約4,900円)の他に、プレミアム酒のテイスティングが体験できる限定100名のVIPチケット50ユーロ(約8,200円)があって即完売。日本各地から20以上の酒蔵などが出展し、200種類を超える日本酒が現地に直送されました。
さらにウイスキー、焼酎、梅酒といった和のお酒や、和牛や鰹節、味噌、豆腐といった食材も展示。通常、地元のスーパーでは日本酒の取扱いはなく、日本食材店に数種類並ぶ程度。今回のイベントで初お披露目になるお酒も多く、前代未聞のイベントとして現地のソムリエなどは大興奮。
中でも、世界一予約の取れないスペインのレストラン「エル・ブジ」の元料理長フェラン・アドリア氏が「アロマの第一人者」と認める、世界的に有名なソムリエ フランソワ・シェルティエ氏による分子ペアリングのマスタークラスは大人気。
彼は日本でも有名で、老舗酒蔵 田中酒造店(宮城県)の「Tanaka 1789」のマスターブレンダーを務めています。限定酒「Tanaka 1789 × Chartier」はイベントのセミナーなどでも試飲され、スペインの生ハムにも合う日本酒であると笹山さんは紹介します
食文化の伝道師たちがタッグを組んで、スペイン初に挑戦
笹山さんは2015年、日本食材を扱う現地最大手の輸入卸会社へ日本から転職。もともとスペイン語をまったく話せませんでしたが、その翌年には同社内でスペイン初の本格日本酒バー「Shuwa酒和」を開業し、約8年間にわたりスペイン市場で日本酒や和食の魅力を発信してきました。
そんな中、次第に彼女の中に疑問が湧いてきます。「世界の美食を牽引するスペインで、なぜ日本食の展示会が一度も開催されていないのか?」。フランスやイギリスではすでに十年以上前から日本食関連の展示会が盛んに開かれているのに、「世界のベストレストラン50」で上位にランクインするスペインで開催されていないことに、非常に違和感を持ったそう。
さらにある日、笹山さんは「世界のベストレストラン50」2024年版で1位を獲得したバルセロナの「Disfrutar」(ディスフルタール)を訪問。そこで提供された13種類のペアリングのうち、なんと3種が日本酒だったのです。山廃仕込み、無濾過生原酒、熟成酒――いずれも個性の強いお酒で、しかも1種は「冷酒」と「燗酒」の比較テイスティング。
日本人客だから特別扱いかと思いきや、これが"通常メニュー"だと聞いて衝撃を受けた笹山さん。スペインの地で日本酒の可能性を感じるとともに、「ひとつの企業が情報発信しても限界がある。ブームをつくるには、点ではなく、皆で協力し合って、"面"で広がる仕掛けが必要だ」と決心。「イベルカンパイ」を開催することに。
笹山さんは2023年にはスペイン語による本格的な日本酒ガイドブック「El Mundo del Sake(日本酒の世界)」を出版。続いて、スペイン語で日本酒について学ぶ教育機関がないことから、スペイン語での日本酒教育プログラム「Sake Master」を独自に立ち上げ、スペインのみならずスペイン語圏での日本酒普及を開始。
さらに2024年には、日本料理店「UEMURA」のオーナーシェフであるナウミ・ウエムラさんとともに、新会社「Iberkanpai Gastro S.L.」を設立。スペイン出身で日本人の母を持つウエムラさんは、農林水産省による「海外における日本料理の調理技能認定制度」において、スペイン語で唯一の公式ブロンズバッジが取得できる「UEMURA ACADEMY」を創設。日本料理の技術と精神を次世代に伝える教育にも力を注いでいます。
"旨味"と"個性"を重視する、スペイン人のお酒の好み
さて、スペイン人はどんな日本酒が好みなのでしょうか? 「もともと濃い味に慣れ親しんでいるので、ブラインド・テイスティングをすると、華やかな吟醸酒よりも、純米酒や山廃仕込み、無濾過生原酒など旨味や複雑さのある日本酒が選ばれることが多いです」と笹山さん。
また、スペインでは日本や他国に比べて「ブランド志向」が低く、知名度よりも“自分の舌に合うかどうか”を重視する傾向が顕著とか。これはワインにも言えることで、受賞酒だから選ぶということは少なく、「スペイン人が気にするのはパーカーポイントくらい」(笹山さん)なのだとか。
実際、日本酒通でも「獺祭」を知らない人がいる一方で、地方の中小の酒蔵の、インパクトのある酒が話題になる例も珍しくありません。
例えばイベントのアンケートで反響があったのが「超特撰 白雪 江戸元禄の酒(復刻酒)原酒」(小西酒造/兵庫、720ml 化粧箱入・参考小売価格 税込3,300円)。蔵に残されている元禄時代の酒造りを記録した古文書「酒永代覚帖」をもとに再現した琥珀色の原酒。貫禄のある見た目で、超濃醇で奥深い味わい。チーズや濃厚なラグーソース、苦味のあるダークチョコレートなどに合うと話題に。
硬度が約240度と、日本では珍しい超硬水仕込みの辛口「i240 純米吟醸 愛山 無濾過生」(岩瀬酒造/千葉、720ml 税込2,310円)も話題に。房総半島の貝殻層を通ったミネラル豊富な地下水を使用しており、華やかさのある香りで、口に含むと綺麗な甘味と酸、ほのかなガス感が広がるフレッシュで上品な味わい。
ワイン文化に深く根ざした国だからこそ、味覚に対して消費者は独立した審美眼を持ち、「有名だから飲む」のではなく、「自分が美味しいと感じるから支持する」姿勢がスペインでは浸透しているようです。
実は日本にいる時からワイン好きだった笹山さん。頻繁にワイン会に参加する中で、ワインの先生が日本酒も提供することが多く、「その時に"ワインを極めた人は、国籍関係なく皆、日本酒が好きになる"と知った。ただ酔うためにお酒を飲むのではなく、お酒の背景にある歴史や風土、作り手の物語を知ろうとする世界の人たちと、もっとつながりたいと思った」と当時を振り返ります。
今、彼女はイベントを無事に終え、想定以上の反響と手応えを感じています。スペインで「イベルカンパイ」をこれから長く開催していくのはもちろん、同じスペイン語圏である南米、特にメキシコでも日本酒の普及に貢献していきたいと意気込みます。
スペイン語を母国語とする世界の人口は約4億8千万人、スペイン語を公用語とする国と地域は21以上。笹山さんの挑戦は、世界に向けていま始まったばかりです。
※画像提供に関する記載のない画像は全て笹山繭子さんご提供