インフラツーリズムとは、公共施設である巨大構造物のダイナミックな景観を楽しんだり、通常では入れない建物の内部や工場、工事風景などを見学したりして、非日常を味わう小さな旅の一種である。
いつもの散歩からちょっと足を伸ばすだけで、誰もが楽しめるインフラツーリズムを実地体験し、その素晴らしさを共有する本コラム。今回は全国でもレアな“登れる灯台”、神奈川県横須賀市の観音埼灯台へ。
薄曇りの5月某日、神奈川県横須賀市、三浦半島東端の岬である観音崎を訪れた。
岬の高台に立つ観音埼灯台(“灯台”がつくと「観音崎」ではなく「観音埼」となるのも面白いところ)は、維新の熱も冷めやらぬ1869年(明治2年)1月1日に点灯を開始した、記念すべき日本初の洋式灯台だ。
明治新政府のお抱えフランス人技師が設計した初代・観音埼灯台は、レンガ造りの四角い洋館造りだったが、1922年の地震で大きな亀裂が入ったため取り壊された。1923年には二代目が再建されたものの、不運なことに同年の関東大震災で崩壊。1925年(大正14年)に改めて、鉄筋コンクリート構造の三代目が建てられた。
現在稼働中の観音埼灯台は、この三代目である。三代目として新造されたとはいえ、竣工から今年(2025年)でちょうど100年になる歴史的建造物だ。
灯台の高さは19メートル、地上から灯火までは15メートルほどだが、高台に立っているため灯火は平均海面から56メートルの高さにある。
19海里(約35キロメートル)先まで届く77,000カンデラの光は、東京湾の要衝である浦賀水道を航行する船舶にとって、現在も重要な指標であり続けている。
価値の高い“登れる灯台”
日本全国には、大小合わせると約3000基もの灯台があるという。そのうち、内部が一般公開されていて、誰でも登ることができる灯台は16基のみ。観音埼灯台は、そのうちのひとつである。
これはもう、登るしかない。
灯台へは、県立観音崎公園の駐車場から歩いて10分ほど。
海岸線に沿った緩やかな遊歩道を進み、途中からやや急になる坂道を、息を切らしながら登っていくと、白亜の灯台が姿を現した。
協力金300円を収めて灯台の内部に進む。
螺旋階段をぐるぐる登り、てっぺんの灯室にたどり着く。
【動画】灯台の入り口から螺旋階段を登り、上部の灯室へ
手を伸ばせば届きそうなところに光源装置である“灯器(とうき)”があった。間近で見ると意外なほど大きく、レンズの構造は複雑だ。
現在の観音埼灯台に使用されている灯器の光源はLED、そしてレンズの形状は1822年にフランスのオーギュスタン・フレネルによって考案された、“フレネル式”が採用されている。
表面が球状ではなく、同心円にノコギリ状のプリズムを複数枚組み合わせたレンズがフレネルレンズ。通常の凸レンズだと重く厚くなってしまうところ、このフレネル式であれば薄く軽く作ることができるという。
19世紀前半の技術であるフレネルレンズと、20世紀後半の技術であるLEDが組み合わされ、21世紀の今、現役稼働しているというところが興味深かった。
灯室の出入り口からデッキに出ると、東京湾を一望できる絶景が待っていた。
風を受けながら周囲を見回す。背後には三浦半島の緑、眼下には浦賀水道を行き交う大小の船舶、遠くには房総半島の陸地も望めた。
観音崎灯台の公開は、年末年始を除く毎日(天候等により中止の場合あり)おこなわれている。灯台マニアや船舶ファン、あるいは歴史的建造物フリークにとって、訪問価値の高い施設と言えるだろう。
休日だったこの日も多くの観光客が訪れており、特に長い望遠レンズをつけたカメラを手にする人々が目立っていた。
彼らのレンズが狙う先、海の沖合には一隻の巨大な艦影があった。
【動画】灯台のデッキから螺旋階段を降りる
空母ジョージ・ワシントンとの遭遇
その船は、米海軍の原子力空母ジョージ・ワシントンだった。1992年に就役したニミッツ級航空母艦で、全長333メートル、全幅76.8メートル、満載排水量10万4,000トンを超える世界最大級の軍艦である。
ジョージ・ワシントンは2008年から2015年まで横須賀を母港としていたが、大規模整備のためアメリカに帰還。そして2024年11月、整備を完了して再び横須賀に配置された。
僕が観音崎を訪れたこの日は、再配置後初の出港だったそうで、まったく偶然だが極めて貴重な機会に立ち会うことができたようだ。観音埼灯台の周囲からその雄姿がよく見え、多くのファンたちが夢中でシャッターを切っていた。
【動画】灯台の前庭から望む、航行中の空母ジョージ・ワシントン
観音崎には地学的な観点からも注目すべきポイントがある。灯台からの帰路、散策路の崖面に見事な地層の露出が確認できるのだ。
現在の観音崎を形成している土地の大部分は、火山灰や凝灰岩が南の深海底に堆積してできたもので、50万年前にプレートとともに北上し押し上げられ陸化。現在の状態になったとされている。そうしてできた観音崎の地層は約30度の傾斜や逆断層が見られ、古代の地殻変動の圧倒的なパワーが感じられるものだ。
古くから軍事拠点だった観音崎
そんな観音崎の一帯は、明治以降、東京湾防衛の要として軍事的な重要拠点と位置づけられ、観音崎公園内には複数の砲台跡が点在している。
そのうちのひとつ、観音崎第一砲台跡を見学した。1884年(明治17年)に竣工、1915年(大正4年)に除籍となった砲台で、同時期に整備された観音崎第二砲台と並び、日本最古の近代砲台といわれる。
扇型に配置されたふたつの砲座は、右翼が南東、左翼が北東を向いていて、両者の間にはレンガ造りの連絡トンネルがある。この下には、地下弾薬庫が設けられていたそうだ。
レンガは“フランドル積(フランス積み)”と呼ばれる、明治前期に多く用いられた工法でていねいに積まれており、保存状態も良好。
砲座前面の石垣には御影石の大きなブロックが積み重ねられ、簡素ながら圧力を受け止める構造をよく示している。
また、灯台から駐車場へ戻る道すがら、道路脇にクラシカルな建物が見えた。
現在は、“県立観音崎公園パークセンター”として利用されているが、旧日本軍の弾薬庫を転用したものだという。基礎部分はレンガ積みのアーチ構造、壁面もレンガを積んだ重厚なつくりながら、瓦屋根であるところがいい雰囲気を醸し出している。
観音崎公園内に点在するこうした遺構群は、東京湾要塞としての歴史を物語る。灯台とあわせてこうした史跡を巡れば、観音崎が担ってきた複合的な役割、すなわち海上交通の安全確保と軍事的防衛拠点としての機能が自然と浮かび上がってくる。
思いがけず目撃した空母ジョージ・ワシントンの出港は、横須賀が現役の一大軍事拠点であることを改めて意識させる出来事だった。
灯台と軍艦、そして軍事遺構。
これらが静かに語る歴史を感じることこそ、大人のインフラ紀行の醍醐味である。