日本自動車会議所とは?
2025年の上場企業の株主総会も今週6月27日がピークとなるが、6月12日に株主総会を終えたのが日本トップ企業のトヨタ自動車だ。トヨタ源流の豊田自動織機の株式非公開化、子会社の日野自動車と三菱ふそうトラック・バスの経営統合など、グループ再編を相次ぎ発表した後の総会ということで注目を集めたが、監督機能強化など株主の信任を得て、豊田章男氏がグループを統率する体制がさらに明確なものとなった。
また、2025年3月期の報酬が前期比20%増の19億4,900万円だったことや日本相撲連盟会長への就任など、日本のトップ経済人として豊田章男氏は話題に事欠かない人物である。
豊田章男氏の今後の動きとして特に注目されるのが、6月10日に就任した日本自動車会議所(略称:自動車会議所)会長としての動向だ。
自動車会議所とは日本の自動車産業の生産・販売・整備・運輸・交通など、166の団体や企業で組織する業界横断的な総合団体である。日本の自動車業界全体の要望や政策提言を行い、政府と連携していく役割を主体とする。中でも特に大きなテーマが“クルマの税制”だ。複雑かつ負担の大きい自動車関連税制の改革は、長年の課題となっている。
裾野の広い自動車産業にあって、製造業としてのピラミッドの頂点にあるのがOEM(完成車メーカー)の団体である日本自動車工業会(自工会)だが、裾野までの横連携をまとめるのが自動車会議所であり、最近ではユーザー団体である日本自動車連盟(JAF)も加盟している。この自動車会議所の会長就任には、豊田章男氏にとって単なる要職に就く以上の並々ならぬ思いがあるのだ。というのも、自動車会議所の成り立ちには、章男氏の祖父であり、トヨタ自動車を創業した豊田喜一郎氏が関わっており、“豊田家”として格別の思い入れがあるからだ。
豊田家と自動車会議所の深い関係
自動車会議所の設立は1946年(昭和21年)6月。その前年の1945年11月、戦後間もないころに前身となる「自動車協議会」が発足しており、その発起人として自動車産業への情熱を持って奔走したのが豊田喜一郎氏なのだ。その思いは、章男氏の父である豊田章一郎氏が引き継ぎ、自動車会議所会長として2004年に念願の「自動車会館」を東京・芝大門に開設した。
豊田章男トヨタ会長は6月10日、日本自動車会議所の定時総会で新会長に就任し、「“クルマを日本の文化に!”を新たな合言葉に日本の自動車産業の横断総合団体のトップとして様々な活動をしていく」と発言。日本のモビリティ業界でのリーダーシップ発揮に強い決意を示した。
さらに記者団と懇談し、日本の自動車税制について「世界で一番高く、複雑な税金制度となっている。この自動車関係諸税の抜本的改革に向け、財源も含めて考えていく。(自動車会議所には)ユーザー団体のJAFも加入しており、自動車ユーザーを含めると2,500万人となる。私が全団体の接着剤となっていく」と抜本改革への意欲を強調した。
また、「モビリティ変革のさなかにあって、2030年から40年に向けても日本をモビリティ産業が引っ張り中心で支えるならば、当分やらざるを得ない」とし、業界のリーダー役を長く務めていく考えを示唆した。
今回の豊田章男氏の会長就任で、豊田家にとって3代にわたる自動車会議所での強いリーダーシップが期待されることになる。
豊田章男氏は2009年から2023年3月までの14年間にわたりトヨタ自動車社長を務め、この間、2012年~14年と18年~23年は自工会会長も兼務した。2023年4月にトヨタ社長を佐藤恒治氏に譲り、会長に就任。経済界活動でも財界総本山の経団連にモビリティ委員会を新設し、自らも共同委員長になる動きなどから、一時は“財界総理”と言われる経団連会長(トヨタでは豊田章一郎氏、奥田碩氏が歴任)の有力候補とされたが、今年5月の経団連役員人事で佐藤恒治社長を経団連副会長に送り込んだことで、豊田章男氏は経団連よりも自動車会議所会長を選んだという構図となった。