スズキと言えば軽自動車のイメージが強い自動車メーカーだが、これまでにいくつもの魅力的な乗用車(リッターカー)を手掛けてきている。そのうちのひとつが、1983年に登場した「カルタス」だ。日本では約20年の製造期間を経て姿を消してしまったものの、先日、イベント会場で久しぶりに再会し、なつかしい気持ちになった。一部ではいまなおファンが多いカルタスとは、いったいどんなクルマだったのか。
GMとの業務提携から生まれたカルタス
スズキは1981年、アメリカのGM(ゼネラルモーターズ)と業務提携を結んだ。シボレー「クルーズ」やシボレー「MW」などのモデルは、実はスズキとの共同開発だ。2008年には提携を解消した両社だが、スズキの車両をベースにGMがデザインしたモデルは登場するたびに話題となった。
GMと共同開発したコンパクトハッチ「カルタス」の初代モデルは1983年に登場した。車名の由来は「崇拝」を意味する「Cult」からきている。当初は993ccの3ドアハッチバックのみの展開だったが、同年8月には1,324ccのエンジンを搭載し、ホイールベースを延長した5ドアセダンを追加。いずれも良好な販売台数を誇った。
1986年6月には大幅なマイナーチェンジを実施。ヘッドライトやバンパーを刷新したほか、チルトステアリングを採用したり、リアサスペンションを変更したりして、使い勝手や乗り心地を改善した。また、上位グレードとして「GT-i」を設定。同社初となるDOHC16バルブEPIエンジン(直列4気筒、ツインカム)にクロスレシオ化(ギア比を近接させエンジンパワーを効率よく使用できる)した5速マニュアルミッションを組み合わせたホットハッチの誕生だ。
先日の「ノスタルジック2デイズ2025」で出会ったのが、この「カルタス1300 3ドア GT-i」だった。当時のスズキの技術力を今に伝える貴重な1台だ。イメージキャラクターを務めた俳優の舘ひろしさんと、「オレ・タチ、カルタス。」「ささる ハードタッチ、カルタス」のキャッチコピーで注目を集めたていたあの頃が懐かしい。
当時、筆者の親族が「アルト」から新車の「カルタス」に乗り換えるというので、スズキのディーラーに見に行ったのをよく覚えている。買ったのは確か、GT-iではないノーマルの1,000ccか1,300cc、ボディカラーはホワイトに淡いブルーのラインが入っていた。カルタスを見ると、その親族と旅行に行ったことを思い出す。
カルタスはあの人気モデルの先祖だった?
カルタスは1988年に2代目へと進化。比較的安くて燃費性能が高いというカルタスの持ち味と、ホットハッチ「GT-i」というグレードは2代目も継承していた。2代目カルタスは、当時はオプション設定にされることが多かったパワーステアリングや、AMとFMに対応したラジオ付きのカセットステレオシステムなどを標準装備とし、エントリーグレードであれば100万円以下で購入できるという価格設定だった。ボディサイズは初代比で少し大型化し、居住性は向上。正統進化を果たした2代目も当時の大人気モデルとなった。
1989年には絶好調だった2代目カルタスに4ドアセダンを追加設定。翌年には、世界的デザイナーであるコシノヒロコ氏が内装のデザインを担当した「コシノヒロコ・リミテッド」が登場して注目を集めた。さらには警視庁がパトカーとして採用するなど、カルタスは話題に事欠くことがなかった。
1995年になると、カルタスの上位モデルとして「カルタス・クレセント」(事実上の3代目)が登場する。個人的な印象だが、初代や2代目よりも保守的というか、おとなしい見た目となり、カルタスらしさがなくなったようにも感じた。価格も100万円前後で買えていた2代目より高くなり、150万円近くまで上がってしまった。
デザインや価格が原因かどうかはわからないが、7年後の2002年にはセダンやワゴンなどすべてのバリエーションの生産が終了し、カルタスは19年の歴史に幕を下ろした。
日本国内でカルタスという名称は消滅してしまったが、カルタスの後継モデルは今も存在する。多くのファンがいて、筆者もかつて所有していたことがある「スイフト」だ。今では圧倒的な人気を誇るスイフトが、“スズキのコンパクトハッチといえば!”というポジションを守り続けている。カルタスで培った技術がなければ、今のスイフトは存在していなかったのかもしれない。