Niantic プロダクトマネージャー 野村 達雄氏

スタートアップメディアのTechCrunchが11月17日、18日に開催するスタートアップの祭典「TechCrunch Tokyo 2016」。6回目を迎えた今回は参加希望者が2000人にも及んだ。基調講演では、今年No.1ヒットとなったゲーム「ポケモンGO」のディレクター、Nianticの野村 達雄氏が誕生秘話と今後の展開について語った。

エイプリルフールが繋げた絆

講演の冒頭、ポケモンGOを提供するNianticのCEO ジョン・ハンケ氏が、Head of Asia Pacific Operationsの川島 優志氏とともにビデオメッセージで登場。来場者の起業家に対して、Nianticが実現したかった夢を「テクノロジーを有効活用して、人を外に連れ出す」と語り、「起業家の皆さんは『正しい夢』を夢見てください」とエールを送った。

放映終了後に登壇した野村氏は、Nianitc入社までの自身の経歴を語り始めた。Nianitcは、Googleの社内ベンチャーとして立ち上げられたことで有名だが、ハンケ氏や川島氏と同様に、野村氏もGoogleに在籍。2011年のグーグル入社時(日本法人)にデスクトップ版のGoogle Mapsを、米本社へ転勤した後はAndroidアプリのエンジニアとして従事していた。そんな中、野村氏はGoogleでも恒例の「エイプリルフール」に関わることになる。

Web業界でおなじみとなったエイプリルフールの”出し物”だが、Googleも毎年のように日本語入力アプリのネタで界隈を賑わせている。それに加えて野村氏が考案し、話題となったのが「ドラクエ風Googleマップ」。

「年末になると、『来年は何をやろうか』と社内で話しているんです。当時、最初に思いついたのはポケモンじゃなくて、『ドラクエみたいにしたら面白いな』と。今、私は30歳なんですが、例に漏れず子供の頃はゲームばかりやって怒られていました(笑)。ただ当時から『最新のゲーム』というよりも、レトゲーが好きで、ドラクエの、しかもファミコンの頃のマップを使えば面白いんじゃないかと思いついたんです」(野村氏)

物は試しと、野村氏はChromeのエクステンション機能を開発。Googleマップの青色の部分に水のテクスチャを、緑色には木のテクスチャを配置した。これを2、3時間で作った野村氏は、ほかのメンバーに見せて高評価を得たそうだ。

「この会場には、『会社を作る』『サービスを作る』というチャレンジをしてる人が多いと思うが、そういう方に伝えたい事は『文章よりもコードを書くこと』。デモを作ってみせることが企画書よりも効果的で、インパクトがある」(野村氏)

その後、チームメンバーと2カ月に渡ってマップに適用する開発を行い、エイプリルフールにロンチ、大好評に繋がった。ただ、この成功が「かなりハードルを上げてしまった」とのことで、翌年の「宝の地図(宝探し)」、そして2014年の”あのマップ”の考案と実現に、かなりの労力を必要としたそうだ。

「人を家の外に連れ出す」「リアルに広げる」の思いが融合した日

あのマップとは、もちろん「ポケモンチャレンジ」のこと。

当時、Androidアプリ開発を行っていた野村氏は「もうエイプリルフールはやらないぞ」と心に決めていたものの、「ポケモンが捕まえられれば…」という思いで再びデモを作ってしまった。「アイデア段階で話しても『ふーん』という反応だったんですが、見せたら『おお』と(笑)」(野村氏)。

この時、151匹を捕まえたユーザーに対して「ポケモンマスター」の称号を与える名刺を送った。実はこの行動こそ、ポケモンGOに繋がるヒントが隠されている。

「遊ぶことは、決してデバイス内に閉じた形じゃ駄目。エイプリルフールの企画として、ジョークとして用意した『ポケモンマスター認定』の名刺ですが、これが『ネットをリアルに広げる』ことの最初の挑戦だったと思います」(野村氏)

ここで、現在野村氏が所属するNianticの説明へと変わる。最初にNianticのロゴを投影した野村氏は「皆さん、見たことありますよね? 長いロード中に見せられているこのロゴですが、みなさんをお待たせしないよう、早くロードできるように、最適化を頑張ります」と話し、場内の笑いを誘う。

Google Earthの原型を作ったジョン・ハンケ氏が、Googleによる会社の買収で同社へ転籍、その後、マップチームVPとして勤務したのち、冒頭の説明通り社内スタートアップとしてNianticを立ち上げた。ハンケ氏がNianticを設立した目的は、「Adventures on foot with others」、人を家の外に連れ出すというものだった。

「そこで最初に作られたのがIngressでした。子供が家から出ないことを見て、外でできるゲームを作れば外に出るんじゃないか、そんな動機で作られたのがIngressです」(野村氏)

Ingressは、ポケモンGOの原型となったゲームで、「世界中を”1つのゲームボード”として遊べる」(野村氏)。ポケモンGOで言えば「ポケストップ」に位置する「ポータル」にユーザーが足を運び、「陣取り合戦」のような形でリンクを張っていくこのゲームは、200以上の国と地域、1500万以上のダウンロード数を記録している。

「歴史的建造物や、ちょっと不思議な街中にあるモニュメントをプレイヤーが実際に訪れる。『こんなものがこんなとこにあるのか』と学び、誰かにその喜びをコミュニケーションできるような仕掛けが、このゲームにはあるんです」(野村氏)

このポータルは、Ingressユーザーが申請することで登録されるため、世界中、無尽蔵に広がっていく。ポケストップがさまざまな場所に点在しているのは、Ingressユーザーのお陰であり、あまり人が足を運ばない山奥などに存在しないのもまた、この仕組みが理由となっている。

「私がポケモンチャレンジをロンチした頃、NianticはIngressを始めていました。ちょうどハンケがポケモンチャレンジを見ていて、私と面識のあった川島経由で『ポケモンとIngressがコラボしたら面白いんじゃないか』と言ったそうです。30歳前後の方はわかると思いますが、この世代ってみんなポケモンをやって育ったんです。それも、ゲームだけじゃなく、アニメや映画も見て成長した。だから、サトシに自分を投影して、『カスミと一緒に世界を回りたい』とか、みんな想像したはず(笑)。

当然、コラボの話を聞いて『面白いことが出来る』と思ったし、『子供の時の僕なら欲しがる』と思い、ポケモン(社名)のCEOである石原さんに話を持っていきました。すると、ポケモン社内でIngressをやってみようということになったんです。そうしたら石原さん自身が、当時の最高レベルとなる『レベル8』にあっという間になって、すっかりIngressにハマってしまって(笑)。

そこでついに『コラボしたら凄いことになる』という共通のビジョンを持って、ポケモンGOをやろうということになりました。私はその時、Nianticに在籍していなかったんですが、ハンケから『コラボを担当してほしい』と言われ、プロダクトマネージャーになりました」(野村氏)

ポケモンGOの遊び方、ゲーム性については、もはや説明不要だろう。100カ国以上で5億ダウンロードを記録するお化けアプリへと成長した。ただ、彼らは決してダウンロード数だけを見ているのではないそうだ。

「インストールやレベニューは大事。当然大事なんですけど、それよりもNianticにとってユニークな数字が『4.6BILLION km』なんです。この数字は、ポケモンGOプレイヤーが歩いた距離を総計したもので、実に冥王星までの距離を、この数カ月で歩いている。また、米Microsoftとスタンフォード大学が共同調査したんですが、ポケモンGOを続けることで、寿命が41.4日伸びるんです。ゲームするだけで寿命が伸びる、健康に影響を与えられる大事な数字だから、『歩いた距離』が私たちにとって重要なんです」(野村氏)

ポケモンGOはかつてないスピードで世界に広まった

人々が歩いた距離は宇宙を股にかけるまで達した